マスコミを覆う深刻な現状の根底にあるのは、とりもなおさず世の中に浸透する活字離れです。本が売れないのと同様、新聞を読まない。情報はインターネットやスマホで瞬時に得る。こうした大きな時代の変化にどう立ち向かっていくか。マスコミ、とりわけ新聞業界に突き付けられた課題といってよいでしょう。
もう伝説の域にあります。NHKで1960年代に「事件記者」という番組が放送され、高視聴率を誇りました。この番組の影響から、新聞記者は若者の憧れの存在となります。事件・事故を追いかける警察の記者クラブを舞台にした取材合戦、巨悪と闘う記者たち。胸をすくスクープを追う姿が視聴者を釘付けにしました。しかし、最近は記者を主人公に据えた番組はほとんど目にしませんね。
そんな中、久しぶりに“スポットライト”を浴びたアメリカ映画がありました。タイトルはずばり「スポットライト」。封切りは5年前。その年のアカデミー賞で作品賞と脚本賞を受賞したので、ご覧になった方も多いでしょう。
ストーリーの舞台は米国東部の古都ボストン。このまちの地元紙「ボストン・グローブ」の調査報道で、カトリック神父による児童の性的虐待(小児愛)が明らかとなり、教会の隠蔽工作が次々と暴かれます。全編を貫くのは、記者の地道な取材の積み重ねと、情報を得る孤独な作業、さらに強い使命感です。
とりわけ、カトリック教会という巨大権力と対峙する取材過程の中で、記者の平等性(それは編集局長から部長、入社1年目の記者を含みます)が活写されている点が胸を打ちます。そこに上下関係はなく、互いを尊重しながら自由闊達な議論が飽くことなく続きます。自らの意見を明確にし、少数意見であることを恐れない。他者の意見を尊重する。前回書いたわたしのジャーナリスト志願の動機と不思議なほど合致するのです。
付け加えるとすれば、マスコミを志す者は地位や名誉、出世を求めてはならない。他の職種とは全く異なる世界を生きる。こんな覚悟が必要なことをこの映画は教えてくれます。
今年で没後25年。もうそんなに月日が経つのかと感慨を深くします。作家の司馬遼太郎さんです。みなさんは司馬さんのどんなジャンルの作品に興味がありますか。
「竜馬がゆく」「国盗り物語」「坂の上の雲」「翔ぶが如く」など長編の歴史小説にはじまり、日本国内はもとより海外にも赴いた「街道をゆく」シリーズ(中国や韓国、台湾、モンゴル、ポルトガル、オランダ、アイルランドにも!)、「風塵抄」などの紀行、エッセイに至るまで…。では、こうした膨大な創作を生み出す原動力は、一体何だったのでしょう。
わたしは迷わず答えます。作家に転じる前、新聞記者だったからだ、と。確かに司馬さんは作家であり、歴史家であり、思想家であり、文明批評家でもあった。異存はありません。しかし、わたしは彼が最後まで新聞記者の精神を失わない人だったと確信します。なぜなら、著作の数々は、人に会い、話を聞き、取材を積み重ねる…いわば記者の取材の集大成だったからです。晩年、語った言葉がその証です。
「生まれ変わっても新聞記者になりたい」
記者歴は1948年から61年までの13年間でした。産経新聞に入社した司馬さんは、京都支局を皮切りに大阪本社地方部、同文化部長などを経て、出版局次長を最後に退社し、文筆業に専念します。最近、文庫になった「新聞記者 司馬遼太郎」(文春文庫、620円)を、みなさんにはぜひ一読してみもらいたいと思います。
写真3(文春文庫から発刊された司馬さんの記者時代の記録。逸話が満載です)
わたしはこの本を読み、熱い思いがこみ上げてきました。そこには、地方を愛し、若い記者をいとおしむ、優しく、穏やかなまなざしが満ちていたからです。たとえばこんなくだりがあります。「わたしは新聞の1面を飾る、大見出しの記事を読むときよりも、地方版の片隅の記事を読むとき、ふと、新聞記者という職業人の人生の重さを感じるのです」
そんな中で記者の資質として、司馬さんは次の五つを挙げていたのが印象に残ります。
①新聞が好き
②好奇心が旺盛
③権力が嫌い
④足と頭で書く
⑤人に優しい。
同感です。
①新聞が好き
②好奇心が旺盛
③権力が嫌い
④足と頭で書く
⑤人に優しい。
同感です。
新聞記者の先輩として司馬さんの足跡を振り返るとき、わたし自身、この仕事を職業とした人生の選択に、悔いはありません。