先日、かねて計画していたウポポイを訪ねてきました。胆振管内白老町に昨年4月に誕生した民族共生象徴空間です。オープンしてまもなく1年。新型コロナウイルスの感染拡大で、入場者は伸び悩みつつも、アイヌ文化の発信拠点として知名度は大いに高まってきました。
今回、わたしはウポポイに行かなくてはならない。こんな切迫した思いに駆られて車を走らせたのです。これから、みなさんにその理由を説明しましょう。
これまで、わたしは「ダイバーシティー」とう単語をキーワードに書き進めてきました。振り返って、なぜ多様性をテーマに据えたのでしょう。それは、わたしたちが生きている現代社会が異なる人種(民族)や国籍、肌の色、さまざまな性によって構成され、その存在を認め合い、尊重し合わない限り、持続可能な社会は築けない。こんな目的意識からでした。
アイヌ文化がいかに豊かであるかを紹介し、性差を超えたジェンダーの平等についても考えました。LGBTに取り組む増原裕子さんと知己を得て、「北海道は偏見が少なく、平等意識が浸透し、思いやりの精神が強い」と語った言葉に、限りない勇気をもらいました。
わたしは一貫して、多様性の豊かさと素晴らしさを提唱してきたつもりです。社会を構成する一人ひとりが弱者の視点に立って考え、行動する。その重要性を小さな声ながら、ずっと発信し続けたいと思います。
そこで、きょうの本題であるウポポイに移ります。なぜウポポイへ向かったのか。みなさんはすでに、報道を通じてご存知でしょう。3月24日に日本テレビ(道内はSTV)の朝の情報番組「スッキリ」で放送された、アイヌ差別の衝撃的な映像を目にしたからです。スタジオに笑いが漏れたその現場を、自宅のテレビで、視聴者の一人として、偶然、目撃したのです。まるで、「見ろ」と言わんばかりに!
北海道新聞は社説でもこの問題を取り上げ、「その内容は再掲するのも憚られる」と書いていました。そう、再現するのも憚れます。しかし、わたしはあえてその憚れる内容を再現します。なぜ? それは、弱者を平然と侮辱する、極めて重大な人権侵害を孕んでいるから。北海道に住む者として許すことができないから。怒りに震えたからです。
番組ではまず、アイヌの女性を描いたドキュメンタリー「Future is MINE アイヌ私の声」を紹介したうえで、脳みそ夫と称するお笑い芸人が登場します(わたしはこの芸人を見るのは初めてでした)。そこで発したのが次の謎かけです。
「この作品と掛けて、動物を見つけた時と解く。その心は、あ、犬」
この謎かけが、実は、脳みそ夫のアドリブではなかったことが、事の深刻さを物語っています。なぜなら、その謎解きの場面に合わせて、「あ、犬と」と読ませる字幕が流れたから。番組制作者たちは事前に内容をチェックしたうえで放送した、いわば確信犯だったのです。
脳みそ夫は、自らのツイッターで「知らなかったとはいえ、長い年月にわたりアイヌの皆さまが苦しまれてきた表現をすることになってしまいました。大変申し訳ありませんでした」と謝罪しました。次回の放送では冒頭、MCの水ト(みうら)麻美アナウンサーが「制作にかかわった者にこの表現に差別にあたるという認識が不足していて、番組として放送に際しての確認が不十分でした」と頭を下げました。
この重大な問題を担当アナウンサーが、軽い言葉で謝罪して済ませようとする。日本テレビという放送局の問題意識の希薄さは、世の中をなめているとしか言いようがありません。
網走出身の文芸評論家・川村湊さんは北海道新聞朝刊のオピニオン「時代を視る」で厳しく論じていました。「私が驚いたのは、こんな古典的な差別表現に41歳の脳(みそ夫)、33歳の水卜、51歳の加藤浩次(小樽出身でこの番組の司会者)をはじめ番組制作関係者たちがまったく『無知』だったことだ。もちろん無知だからといって許されることでもなく、無知自体が罪でもあるわけだが、民族差別表現への鈍感さが目を覆わんばかりに蔓延していると思わざるを得なかった」
道産子の川村さんの論評はまさに、わたしの思いを代弁してくれています。と同時に、小樽出身のМC加藤浩二が、何の抑止力にもならなかったことに対し、落胆と失望を禁じ得ません。ただ、北海道で暮らすわたしたちにとっても、決して他人事ではないのです。