「令和」という元号にもすっかり慣れてきました。振り返れば2019年4月30日に平成天皇が退位し、翌5月1日に新天皇が即位して新元号が誕生しました。まだ1年4カ月前のことですが、なぜか、遠い話のような気がしますね。それもそのはず、この間、国内は、終息の見通しが立たない新型コロナウイルスの感染が拡大し、東京五輪を1年延期するなど、長く、暗いトンネルに迷い込んでいるからです。
元号が令和に変わったことで、30年間続いた平成も遠ざかった気がします。その前の昭和は、さらに彼方へ……。しかし、この昭和という時代に日本が経験した「未曾有の戦争」を遠くに追いやってはならない。甚大な犠牲を代償に誕生した日本国憲法についても、国民一人一人が真剣に考え続けなければならない。それがこの国を継承する者の責務だと、わたしは考えます。
元号が移り行く中の2018年12月、平成天皇が最後の誕生日に行った記者会見をみなさん、覚えていますか。現在の上皇である平成天皇が、時に声を震わせながら、その心境を語った姿に心を揺さぶられた方も多いのではないでしょうか。何を語ったのか。思い出してみましょう。
天皇はまず、即位以来、日本国憲法の下で、象徴と位置付けられた自らの望ましい在り方を常に模索しながら職務を遂行してきたと述べ、そのうえで「平和」に対する強いこだわりを繰り返し表現していました。
民族紛争や宗教対立、テロの頻発など、第2次世界大戦後の国際社会を辿り、こうした中で日本が果たしてきた役割と貢献の大きさにも触れ、「わが国の戦後の平和と繁栄が多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れてはならない」と国民に訴えたのです。
そして、最も強調したかったのは次のひとことだったような気がします。それは、会見の最後の部分で語った言葉です。平成天皇は、在位中、皇后(現在の上皇后)とともに、サイパンやパラオ、フィリピンなど激戦地への慰霊の旅に出たことに言及しながら、「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに心から安堵しています」と結んだのです。その時、天皇の声は震え、うっすらと涙を滲ませていたのを、テレビを観た方なら見逃すことはなかったのではないでしょうか。
昭和天皇からバトンを引き受けた後継者として、約310万人もの国民が戦死した悲惨な戦争を二度と繰り返してはならないとの強い不戦の誓いがあったはずです。この会見で発した平和を希求する言葉の数々。そこには、就任以来、勇ましく憲法改正を訴え続ける安倍晋三首相に対する「思い」が込められていたかもしれない。会見を目にしながら、こんな感情が沸き起ってきました。
「戦争放棄」を巡るフランスの小さな旅から戻ったわたしたちは、いま、日本国憲法を考える新たな旅に出ました。最初にお断りしておきます。安倍首相が強い意欲を示している憲法改正について、みなさんは「賛成」「反対」、それぞれの立場があると思います。当然のことです。ですから、わたしはその賛否についてはみなさんにお任せします。ただ、「憲法改正」は極めて慎重に行われなければならない、というのがわたしの立場であることは、申し上げておきます。
釈迦に説法ではありますが、まず、ほんの少しだけ、日本国憲法について復習してみましょう。
日本国憲法は前文と11章103条で構成されていますね。その骨格を成すのが、前回お話しした3つの原則。①国民主権②基本的人権の尊重③平和主義――です。この中で特筆されるのは前文と第9条です。世界の憲法はどこも憲法制定の目的や基本原理、制定者の覚悟などを前文に掲げるのが通例ですが、「戦争を繰り返してはならない」という決意がこれほどまでに、主体的に滲み出た文言はほかの国には例がありません。前文の最後には「日本国民は国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」と高らかに宣言しているのです。
そして第9条「戦争の放棄」。11章103条から成る憲法の中で、第9条だけは唯一、1条で1章を立てています。極めて異例です。戦後、多くの解釈と論争を生んできた第9条。なぜ、いま「改正」なのか。考えていきましょう。