虫といっても、もぞもぞ動くあの虫ではなく、「仕事の虫」や「本の虫」のように何かに熱中する虫とも違います。
「耳の虫」。英語の「Earworm(イヤーワーム)」の訳語です。

頭の中で、あるメロディーが繰り返し流れて離れない現象。誰しも経験があるでしょう。
脳や神経の専門家らの研究で、この虫が現れる頻度には個人差があることや、その傾向もわかってきたそうです。例えば、音楽関係の仕事に就いている人に多く起こるとか、そういう人の脳は右側の灰白質が薄いとか。それでもまだ、正体を突き止めたとはいかないようです。

この「虫」、わずらわしい、消えてほしいなど、嫌われがちという解説もありますが、かわいいとか元気になれるとか、プラスに感じる経験も少なくないのではないでしょうか。

先日(10月24日)、内田光子さんのピアノ・リサイタルを聴いて以来、わたしの耳にはシューベルト晩年のソナタ第20番の最終楽章のメロディーがたびたび現れます。素朴な民謡風の調べです。

これは本当に愛おしい虫です。

シューベルトは、「魔王」や「野ばら」など、歌曲で知られる作曲家ですが、わずか31年の生涯で、「楽聖」と呼ばれるベートーヴェン(亡くなったのは56歳)に劣らない数の作品を遺しました。
ベートーヴェンは、自分の思想や理想を、それまでにない形で表現しようと苦闘した人でしたから、その音楽はマッチョなところがあります。疲れているときなどはちょっと敬遠したくなる曲が多い。
それに対してシューベルトは、自分の中に湧き上がる音楽に素直でした。聴く方も、歌曲はもちろん室内楽や交響曲でさえ、構えずに旋律に身をまかせることができます。

内田さんはリサイタルの前夜、キタラ小ホールでトークの会を催しました。シューベルトの音楽には、死と向き合ってさえ希望やあこがれがある、と語っていたのが印象に残ります。

当ブログで、ことあるごとにワーグナーへの偏愛を明らかにしているわたしも、無人島に持っていく1枚には歌曲集「冬の旅」を挙げたように、シューベルトが大好きです。
たまたま、最後の交響曲(大ハ長調。今は第8番と呼ばれますが、少し前までは第9番でした)の、ジョージ・セル指揮のSACDリマスター版が発売されたので聴いていたこともあり、この秋は「いいなあ、シューベルトは、いいなあ※」という感じに染まっているのです。

そう、シューベルトのメロディーは「秋の虫」にふさわしい。

もし、興味を持ってもらえたなら、「冬の旅」の第5曲に当たる「菩提樹」や、映画「バリー・リンドン」(スタンリー・キューブリック監督1975年)で使われたピアノ三重奏曲第2番などを、ネットで探して聞いてみてはいかがでしょう。

あなたの耳に新しい虫が、それも愛おしい虫が棲みつくかもしれません。

※池辺晋一郎著「シューベルトの音符たち」(音楽之友社)にでてくる表現。なお、この本で池辺氏は大ハ長調交響曲について、偉大な先輩のベートーヴェンを強く意識したために歌謡調の旋律が乏しい、という趣旨のことを書いていました。確かにそれまでの交響曲と比べると肩ひじ張ったところは感じられますが、やはり独特の旋律美にあふれているとわたしは思います。


内田光子



(写真)わたしの愛聴盤のひとつ、内田光子さんのシューベルト・ピアノソナタ集(CD8枚組)。もちろん第20番も入っています