今年の札幌は8月下旬から秋のような気温でしたが、9月に入ると秋空です。
2、3か月後の降雪を考えると、この時期に道内各地を旅したいと思います。
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【写真】新篠津村・しのつ公園、園内の温泉はおすすめ。2021年9月撮影

 秋風景恵庭
【写真】恵庭市・ルルマップ公園の秋、カフェのアイスクリームは美味。
                         2021年9月撮影

道新文化事業社が主催するコンサートには音楽が大好きな人たちが集います。私も半世紀以上音楽を聴き続けていますが、ラジオで聴いた曲が、頭の中から離れなくなり、レコードやCDを買い求めに街に出たことは少なくありませんでした。今は、スマホを通して、いつでも手軽に音楽を手に入れることができますが、昔は、聴いた曲の演奏者や収録されたアルバム名がわからず、レコード店で探すのに苦労しました。

年齢を重ねるにつれ感性が鈍くなり、頭の中で音楽が流れることが少なくなってきましたが、1年ほど前の土曜朝、NHKFMの「ウィークエンドサンシャイン」から矢野顕子さんの「音楽はおくりもの」が流れてきました。同名のアルバムから「魚肉ソーセージと人」などと一緒に紹介されました。その直後、たまたま運転中に聴いたMISIAの番組でもこの曲がオンエアされました。MISIAはこの曲のコーラスを担っていました。2度聞くと頭の中で曲が流れ続け、4丁目の玉光堂でCDを購入しました。

8月31日、札幌・道新ホールで矢野顕子さんのコンサートが開催されました。道新文化事業社の主催事業です。ブログで自社事業を取り上げるのは、遠慮しなければと思いましたが、キング・クリムゾン札幌公演(2018年12月、hitaru)以降、最も感動したコンサートなので、書かせていただきます。
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【写真】矢野顕子リサイタルのリーフ

この公演はピアノ弾き語りのソロ・コンサートでした。舞台の中央にグランドピ
アノが置かれ、休憩なしで初期の作品から未発表の最新作まで1時間半かけて演奏しました。バックバンドなしという形式が、矢野さんの魅力を引き出しました。美術館の常設展示室で巨匠のデッサンを見た感動に近いものがありました。

以前から、矢野さんはピアノの演奏だけでコンサートが成り立つと思っていました。矢野さんは、時折、客席に顔を向けながら、難解なフレーズをさりげなく、そして楽しそうに弾いてしまいます。私が矢野さんの演奏をレコードで初めて聞いたのは、ティン・パン・アレーのアルバム『キャラメル・ママ』(1975年発表)のB面2曲目に収録された「ソバカスのある少女」(松本隆作詞、鈴木茂作曲)で、高校1年生の時です。矢野さんはキーボードで参加しており、演奏が前面にでてくるのではなく、さりげなくといった感じでしたが、気になりました。ジャケットに記載された演奏者クレジットで矢野さんの名前を知ったのですが、当時の日本のミュージシャンの演奏にはないスタイルでした。半年後のデビューアルバム『ジャパニーズ・ガール』がリリースされ、すぐレコードを買いました。当時はニュー・ミュージック、現在はシティ・ポップといわれるカテゴリーのミュージシャンとみなされていたようですが、ピアノのテクニックが高度で、ジャズ、それもフリージャズの要素が強い演奏には驚きました。洋楽、邦楽というジャンルでは括ることができないアーティストの出現でした。

矢野さんは、子どもの頃はクラシック、その後、ジャズを始め、高校生からジャズクラブで演奏、ティン・パン・アレーやリトル・フィートをバックに録音したデビューアルバムを発表、ソロ活動はもとより、様々なミュージシャンのアルバムに参加、YMOの海外公演に同行するなど日本のポップ・ミュージックを代表するアーティストです。米国のバンド、リトル・フィートをバックにレコーディングした際は、あのローウェル・ジョージが矢野さんの演奏に驚嘆し、自分たちの力不足からギャラを辞退したとの伝説があります。

弾き語りコンサートという形式で、ピアノ演奏を堪能しましたが、歌もすごい、ピアノと同等です。ピアノと声で魅力は倍増以上です。1970年代後半のロック評論文壇では、「ロックのビートにあわない日本語で、日本のロックを確立する方法は」といった議論がありました。矢野さんのボーカル・スタイルは、日本人はおろか海外アーティストにもない新鮮さがありました。「歌手=矢野顕子」は唯一の存在です。90年代以降、独特のボーカル・スタイルを持った日本の女性アーティストが続々とデビューしたのも矢野さんの影響があったからではないでしょうか。

また、一般的な歌唱法ではないのにもかかわらず、日本語がきちんと伝わることも矢野さんのスタイルです。他人の歌詞を歌うこともありますが、矢野さんの作詞は、「詩」として、文学に位置付けられます。なんというか、1人1人の心の中や身近なことから、広い場所へ、遠くは宇宙まで、現在から過去、未来につながる詩です。ラーメンや魚肉ソーセージが文学に昇華するのです。矢野さんが育った青森県の隣、岩手県の宮沢賢治をイメージする歌詞も少なくありません、賢治も楽器を演奏し、曲を作っていました。私が思うには、70年代80年代のロック、フォーク歌手のように4ビート、8ビートのリズムでギターやキ-ボードでコードを弾きながら、日本語の歌を作っていたら、どうしてもロックやジャズになじまない。コード中心で音楽を作る日本人ミュージシャンのはるか上のレベルに矢野さんは10代から存在していたのです。

コンサートでは曲間に語りを入れていました。デビュー後(たぶん40年以上前だと思う)初めて北海道で演奏した場所が道新ホールだったことや自分が音楽を担当した新作映画、会場で販売しているグッズ、奥田民生さんの魚肉ソーセージの話などなど・・・矢野さんらしい喋りで、ほのぼのとしていました。そして、これから演奏するのは、昔の曲ですが、ライブで演奏したことはありません。初めて人前で演奏しますと言って、さっぽろ地下街ポイントクラブの曲を始めました。この夜、道新ホールに集まった限られた人だけがこの曲をライブで聞く貴重な体験となりました。「わたしのバス(Version2)」、「電話線」、「SUPER FOLK SONG」、「春咲小紅」(はるさきこべに)、宇宙飛行士野口聡一さんが作詞した新曲「ドラゴンはのぼる」など40年以上のキャリアから新旧交えて演奏し、「音楽はおくりもの」、「GREENFIELDS」、「ひとつだけ」で締めました。特に「音楽はおくりもの」を聴くと、コロナ禍で外出もできず、人に会えない、そのような中で音楽を聴いて踊って、音楽に元気づけられる、音楽は贈り物といったメッセージで、私を含めて、本当に共感しました。大貫妙子、キャロル・キングを聴き、モータウンで踊ろうといった内容です。そして、アンコールは札幌ならではこの曲でと「ラーメンたべたい」です。矢野さんは味噌ラーメンでなく、塩ラーメンのイメージですが・・・

道新ホール、ほぼ満席700人弱が、矢野さんを聴いて、自分や家族、友人のことを振り返り、明日への元気をもらったコンサートでした。会場の雰囲気が温かった。野菜たっぷりで様々なスパイスを使った滋味あふれるスープを味わった感じです。

北海道新聞社関係者としては道新ホールのことを話したことが印象に残りました。日本のポップ、ロック界の大御所たちは、道新ホールで札幌公演をスタートし、人気とともに市民会館、厚生年金会館(ニトリ文化ホール)、月寒ドーム、真駒内アイスアリーナとグレードアップしたものです。東京の音楽関係者の間では、北海道新聞よりも道新ホールの知名度が高いかもしれません。札幌市内には道新ホールより音響の良いホールが増えましたが、700人の定員で、アーティストを身近に感じることができます。アーティスト自身や北海道在住の音楽ファンにとって思い出が詰まった「箱」で開催したこのコンサートは、道新ホールの新たな伝説に加わったと断言します。

今度は、出来たら林立夫さん、小原礼さん、佐橋佳幸さんの演奏で、矢野顕子さんの札幌公演を見たいものです。そして、「音楽はおくりもの」は未来に残る名曲になるでしょう。個人的にはコロナ時代に世界中で発表された楽曲のナンバーワンです。仮にコロナが去っても、個人的なことや社会的に辛いことがあった時、私たちを支えてくれる楽曲として、聴き継がれるでしょう。毎年、クリスマスや大晦日に、家族で食卓を囲む時に流したいと思います。そういえば、NHK紅白歌合戦に矢野顕子さんは出演したことがありましたか?

さて、道新文化事業社では尾崎亜美さんのコンサートを開催します。10月20日、会場は道新ホールです。最近国内外で話題のシティ・ポップ系公演で、演奏は小原礼さん、是永巧一さん、Aisaさんです。私は大学1年生の時に尾崎さんのコンサートを見に行っており、44年ぶりとなります。先日亡くなったオリビア・ニュートン=ジョンを取り上げた佳曲「オリビアを聴きながら」をラジオで聞く機会も増えました。チケットはお早めに、道新プレイガイド、セイコーマートなどで発売中です。
尾崎亜美
【写真】尾崎亜美コンサート2022のリーフ
※【写真】リンク先、道新PGオンラインストア購入ページ