音楽評論家の松村雄策さんが3月12日に亡くなりました。享年70歳でした。

新聞各紙は肩書を音楽評論家として記しましたが、作家としてビートルズの思いを込めた小説『苺畑の午前五時』を発表し、ロック・ミュージシャンとして活動していた時期もありました。そして、松村さんは雑誌ロッキン・オンの創刊者の1人です。他のメンバーは渋谷陽一さん、岩谷宏さん、橘川幸夫さんです。私はロッキン・オンを30代前半まで毎月熟読していました。岩谷さんと渋谷さんのプログレシブロック的、現代哲学的な難解な文章に比べ、松村さんは、ストレートでかつシニカルな要素を散りばめ、メロディラインがしっかりした良質なUKロックの様な文章でした。ロッキン・オンを買って最初に目を通す「渋松対談」は、落語で言えば長屋の大家が渋谷さんで、熊さんや八つぁんが松村さんという感じです。

マスコミの松村さん逝去の扱いはいずれも小さく、音楽活動に言及した記事は見当たりませんでした。私は、大学生の頃、松村さんのデビューアルバム(確か渋谷さんがプロデュース)を買い、コンサートを見に行きました。会場に渋谷さんが来ていた記憶があります。時代が10年遅かったら、松村さんは奥田民生さんや斉藤和義さんのようにミュージシャンとして大成していたのかもしれません。
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【写真】ロッキン・オン1984年1月号(8312月発売)

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【写真】同誌に掲載されたラスト・ライブの広告

松村さんの文章はさりげなく文学や芸術の話題に触れていました。私が内田百閒の愛読者となったのも松村さんの影響です。ロッキン・オン創刊メンバーはビートルズと同じく4人で個性も違う。紋切型になりますが、渋谷さんは経営者(当時は青年実業家)、岩谷さんは現代思想家か詩人、橘川さんは編集者(雑誌ポンプではSNS社会を先取りするような活動があった)、そして松村さんはミュージシャンです。創作や評論などの活動もミュージシャンとして執筆していた感じです。

ロッキン・オン元編集長増井修さんが20年以上前に同誌に書いたエピソードを思い出しました。増井さんが松村さんから預かった原稿(当時は手書き)を紛失してしまった。松村さんに再度、お願いしたところ、彼は原稿を一字一句覚えていたとのことだ。つまり、自分が書いた文章は頭の中で正確に残っていること、文章の構成はもとより語句の表現など相当悩みながら推敲したからこそ可能だったと思われます。すごいことだと思いませんか。

松村さんは、ロッキン・オン読者を中心に大きな影響を与えた人物ですが、道新文化事業社で松村さんの名前を知っている社員は少ないでしょう。しかし、様々なコンサートを主催している会社として、松村さんのことをもっと知ってもらいたいと思いブログに記しました。「ロック評論家でミュージシャン、作家、そしてビートルズを愛した」松村雄策さんのご冥福を祈ります。

さて、今回はもう一つの話題を記します。
 

3月24日からバンクシー展 天才か反逆者か BANKSY GENIUS OR VANDAL?が札幌市中央区の東1丁目劇場(旧北海道四季劇場)で始まります。毎朝、私は道新プレイガイドの売上報告を見ていますが、オープンが近づくにつれ、バンクシー展の前売り券販売数が増えています。この展覧会は海外で公開され、日本では2020年3月から横浜、大阪、名古屋、福岡、広島、東京を巡回してきました。海外と国外ですでに300万人以上が入場したとのことです。

BANKSYは正体不明のアーティストです。イギリス南西部の港町ブリストル出身とのことですが、個人なのかグループなのか明らかにされていません。10年ほど前からBANKSYはマスコミで取り上げられるようになりました。オークションでのシュッレッダー事件、世界各地でゲリラ的に描かれた作品、キリストの生誕地とされるイスラエルのベツレヘムでのホテル(世界一眺めの悪いホテル)開業など・・・、行動や作品価格などセンセーショナルな話題が先行し、作品について考える時間がありませんでした。先月28日、東京展(原宿駅前のWITH HARAJUKU)で初めてまとまった形でBANCYの作品を見る機会を得ました。

一言でいうと刺激的な展覧会です。さらに、ロシアのウクライナ進攻という現実がBANKSYをさらに深く見つめることになりました。一番印象に残ったのはLOVE IS IN THE AIRで3点構成の作品です。テーマ別に分けられた12のコーナーの1つ「抗議/PROTEST」で展示されていました。札幌展のフライヤーに使われた花束を投げる男の作品です。憎しみを込めた男が手榴弾または火炎瓶の代わりに花を進攻する敵の兵隊に投げつけているように思われます。私はウクライナの武器を持たない民衆がロシアの権力者の命令により、不本意ながら従軍したロシア兵士に対して行っている気がしました。そして、平和の希望を花で表していると思います。映画『戦場のメリークリスマス』(大島渚監督)で、怒ったヨノイ大尉(坂本龍一)の前で花を食べるセリアズ(デビッド・ボウイ)のシーンを思い出しました。
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【写真】バンクシー展フライヤーから

美術の専門家でもありませんし、展覧会の詳細はこれ以上記しませんが、多くの道民にBANKSY展に足を運んでもらいたいと思います。そのために、以下2点を伝えたいと思います。1つは、BANKSYの活動は、この1世紀の現代美術の手法と表現を展開していることです。便器にサインしただけの作品「泉」やモナ・リザに髭を加筆した作品を発表したマルセル・デュシャン、死刑執行の道具である電気椅子をシルク・スクリーンの作品にしたアンディ・ウォーホル、前の東京オリンピック開催前に北海道新聞東京支社旧社屋前で清掃パフォーマンスを行った赤瀬川原平さんらのハイレッドセンター(赤瀬川さんは精巧な1000円札を美術作品として発表し、偽札問題として法廷で争った)、社会に対するメッセージ文を作品にしたバーバラ・クルーガー、地下鉄やストリートを作品発表の場としたジャン=ミシェル・バスキア、キース・へリング、社会批判を強めたYBAs(Young British Artists)の作品を思い起こします。それは単に表面をなぞるのでなく、前述した作家のコンセプトを自己のものとし、さらに昇華させています。差別、格差、暴力、管理社会など現代社会の問題に対する批判とその状況下での希望がBANKSYの世界に現れているようです。

2つ目は、ロック・ミュージックとの類似性です。ここでいうロックミュージックは主に1970年代後半以降、パンク、ニューウェイブ、オルタネイティブと展開してきたUKロックです。BANKSYのメッセージ(差別、格差、暴力、管理社会など現代社会の問題に対する批判とその状況下での希望)は英国の労働者階級が生んだ音楽のような気がします。ストレートでシニカル、そしてポップな感じです。北アイルランド紛争を歌ったU2のSUNDAY BLOODY SUNDAY、フォークランド紛争時の造船所の街を歌ったエルビス・コステロのSHIPBUILDING、ジョン・レノンとヨーコ・オノが展開したWAR IS OVERの活動などと同じメッセージがあるように思われます。BANKSYI FOUGHT LOWという作品を発表しています。この曲はザ・クリケッツの作品ですが、後にクラッシュがカバーした方が有名です。

もしかして、BANKSYは、思春期から10代後半に前述したロック・ミュージックに影響を受けていたのではないかと察します。ミュージシャンになって、社会に対してメッセージを伝えたいと思っていたかもしれません。しかし、演奏が苦手で、バンドを組む相手もいないので、美術活動を開始したのかもしれません。これはあくまでも私個人の憶測です。

ともあれ、BANKSYの作品を札幌で見ることができるのは私たちにとって、とても、とても幸福なことです。その幸福の一部を戦乱や差別、格差、分断、情報統制に苦しむ人たちに少しでも分けることができないと切に願います。

無理なことと思いながらも希望を見つけていきたい。
 

東西ドイツ統一の3年前、1987年6月6日、西ベルリンの壁近くで、デビッド・ボウイが叫んだことを忘れないように。
 

WE CAN BE HEROS. JUST FOR ONE DAY. (HEROS 1977)