みなさんはジョニー・デップ主演の映画『MINAMATA-ミナマタ-』をご覧になりましたか。

熊本県水俣市の出来事を、真田広之、國村隼、美波、加瀬亮、浅野忠信ら日本人俳優が出演し、坂本龍一が音楽を担当した映画だが、日本映画ではなく、米国映画だ。そして、撮影は旧ユーゴスラビアのセルビアとモンテネグロで進められた。なぜ、日本で製作、撮影することができなかったのかという違和感を持った。国内公開が海外よりも遅くなったことも気になった。それでも、私は封切日の9月23日に見ることができた。国内公開の時期が早ければ、緊急事態宣言の影響で見る機会を失ったかもしれなかった。

 

コロナウイルス感染症が拡大する直前、国内初の感染者が確認された5日前、2020年1月10日(金曜日)に夫婦で水俣に行きました。この旅行は、最初から水俣を目的地として予定を立てたわけでなく、厳しい冬に、北海道を離れて、温暖な地域で過ごしたい。福岡だと直行便がある。九州だと熊本県と大分県は未踏の地だ。博多駅から新幹線だと熊本駅まで40分程度で着く。ということで熊本市に行くことにした。そうすると水俣のことを思い出した。水俣病を教訓に環境モデル都市として、街づくりを行っている記事を以前見た記憶があった。

 

恥ずかしい話だが、私は石牟礼道子『苦海浄土』を読んでいなかった。札幌在住の作家池澤夏樹氏個人編集による世界文学全集(河出書房新社)第3集第4巻(『苦海浄土』3部作収録)を年末に紀伊國屋書店で買い求め、読み始めた。旅行前に読了する予定だったが、結局、2段組700ページを超える重たい本を鞄に詰めて、新千歳空港を出発した。

 

以下、わずかな時間だが水俣を滞在して感じたことを記しておく。限られた時間で、表面的なことかもしれない。1人の旅行者として感想だと思ってほしい。
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【写真】水俣市観光ガイドブック。表紙画は中学2年まで水俣で育った江口寿史さんの作品。


水俣駅に到着すると、目の前に旧チッソ工場があった。名称はJNC水俣製造所と替わっている。もちろん中に入ることはできない。駅前の一等地に広大な面積を占めていた。駅を背に右に曲がりしばらく歩くと商店が連なった通りにでた。人口3万人に満たない水俣市だが、北海道の同規模の町と比べると、活気があった。1時間ほど街中を歩いたのだが、海辺の街でよく見かける海鮮系の飲食店、寿司屋が見当たらない(本当はあったかもしれない)。手ごろな昼食場所をスマホで検索すると「ちゃんぽん」が名物とわかり、その店に行ってみた。昔ながらの大衆食堂という雰囲気で、昼間からビールを飲んでいる老夫婦や家族連れで賑わっていた。「ちゃんぽん」を頼む。それがおいしかった。野菜のしゃきしゃき感が良かった。ちゃんぽんというと肉と魚介類、野菜をミックスしたイメージだが、海鮮類は入っていなかった。蒲鉾は入っていた。現在でも海産物の風評被害があるのだろうか。
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【写真】水俣駅前に位置する旧チッソ工場(現在はJNC株式会社)

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【写真】地元のソウルフード、水俣ちゃんぽん


市立水俣病記念館にタクシーで行ってみた。見学者は少ないというより、私たちが館内ですれ違ったのは3人程度で、展示室をほぼ独占しながら、貴重な展示物を見ることができた。歴史的経緯や多方面からの視点があり、
2時間近く滞在した。ミュージアムショップでは大型書店でも手に入らない書籍が並べられていた。タクシーの運転手によると、シーズンによっては熊本県内の学校の団体入場も多いとのことだ。観光客が寄る施設ではないようだ。60年ほど前、住民に水俣病の症状が広がり、一部の専門家が科学的に水俣病の原因はチッソが海に垂れ流した廃液だと証明されているのにもかかわらず、企業は隠していた。他の原因だと主張していた。国の被害者に対する動きも弱かった。
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【写真】水俣市の海辺。静かな入り江。

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【写真】市立水俣病資料館からの眺望。不知火海と天草半島方面を臨む。敷地には現代美術家のインスタレーション作品が設置されている。

それはチッソの企業城下町だった側面もあったようだ。大企業チッソの社員は市民から「社員さん」呼ばれ、商店や飲食店にとっては上客だったようだ。チッソとその関係者、チッソから恩恵を受けていた人たちと、漁業者や患者たちとの間に分断が生じていた。そして、「水俣病」という名称だ。「スペイン風邪」と同じ感覚だ。病気で苦しんでいる人がいるのにもかかわらず地名を病名にする感覚、前近代的な思想が昭和の日本にあったことだ。COVID-19を地名で表現した政治家が批判されたが、当時の日本は地名を病名にすることも大きな問題にならなかった。

個人的に感じたことは、私と同世代の人たちが、何も知らずに胎内で、または幼児期に有害物質を吸収し、発症し、一生病人のままで苦しんでいることだ。また、現在でも水俣病の認定を巡って、法的問題が続いている。私も1回の旅行で水俣病が終わらなかった。感染症拡大と水俣病の歴史がどこかで似ているように思えた。2月下旬以降の半年間、当社は主催事業を開催することが不可能となった。仕事量も減り、時間に余裕ができたため、日本文学全集の石牟礼道子の巻などを読み、当時の水俣の様子をネットで検索していた。北海道関係では札幌の北星女子高校が1960年から水俣病の原因究明を進めていた熊本大学医学部や胎児性水俣病と認定されたばかりの患者らにスズランや募金を贈り、63年には水俣市の招待で高校生が水俣を訪問していた(北海道環境財団ホームページから)。当社が事務局を務める北海道書道展の会員、招待会員だった鴫原美恵子さんが引率した教師だった。

コロナウイルスも、当初、ヒトからヒトへの感染が容易に起こる確かな証拠はないという中国政府の発表(ホームページ厚生労働省検疫所FORTHDisease Outbreak News:更新 2020112)があった。中国政府は武漢市で感染が拡大しても出国禁止措置は行わず、多くの中国人観光者が北海道を訪れた。日本政府も入国を認めていた。その結果。雪まつりで道民に感染者が発生し、多くの命を失う事態となった。当初、感染症をパンデミックの扱いにしなかったWHOの判断も適切でなかった。水俣病におけるチッソや国の動きと似ているのではないか。そして、当社の社員は雪まつりの時期から、コロナウイルスの対応に追われ、今も続いている。

MINAMATAの映画で、印象に残ったのはユージン・スミス(ジョニー・ディップ)が、ボブ・ディランの曲Forever Youngを歌いながら病気の少女をあやしているシーンだ。NHKFMウイークエンドサンシャイン」でピーター・バラカン氏が話していたが、この曲は1974年の作品で、ユージン・スミスが水俣市に滞在していた時期の後だ。事実と反するが、映画とマッチしている。Forever Youngはボブ・ディランが自身の子供のために作った曲だという。当時、ディランは水俣病を知っていたのか。札幌で公演があれば聞いてみたい。2014年4月のディラン札幌公演は当社が主催した。担当だった貝田健介部長はディランを連れて、札幌ドームでファイターズ戦を観戦したので、またディランと当社社員が接触する可能性は低くない。

 

会社の利益を守るために、廃液を海に流し続けたチッソは、感染防止対策を行わず、拡大させた野外フェスティバルの主催者に通じるお粗末さがあった。

2か月ほど前の朝日新聞の記事によると、水俣病の原因となった水銀は北海道で産出されたとのこと。水俣に運ばれ、チッソの化学工場で、プラスチックなどの製品を作り、私たちはその製品を使用してきた。私たちは今も日常的にプラスチック製品を使っている。そのプラスチック製品は海に捨てられて、海洋や生物に影響がでてきている。海洋に廃棄されたプラスチック製品は年々増えている。


MINAMATA-ミナマタ-水俣、まだまだ考えることがたくさんある。不安は消えない。答えは風に吹かれている。
The answer is blowin’ in the wind.

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【写真】2014年4月、ボブ・ディラン札幌公演のフライヤー