みなさんは作家沢木耕太郎さんの作品を読んだことはありますか。
わたしの青春時代、沢木さんは「ノンフィクションライターの旗手」として、彗星のごとく文壇に登場しました。以来、彼の作品はすべて読んできました。
横浜国大卒業後、富士銀行(現みずほ銀行)に入行しますが、出社初日、東京駅前の信号待ちをしていて「退社」を決めます。本人がエッセーで書いているので、本当の話です。その後、大学の指導教官だった長洲一二氏(後の神奈川県知事)の勧めで、文筆活動に踏み出すのです。彼が銀行員だったら、いまこうして良質なノンフィクションを手にできなかったと思うと、素晴らしい決断でした!
前回、著書の中から4冊を取り上げて大団円へ……と見栄を切りましたので、約束通り、順番に話を進めていきましょう。今回が最終回、ということで、未練がましく、いつもより長く筆を執りました。お許し頂くとともに、最後までお付き合いください。
まず一作目。北海道新聞に入社した1979年に発表され、その年の大宅壮一ノンフィクション賞(第10回)に輝いた「テロルの決算」です。わたしが手にした最初の作品であり、忘れ得ぬ一作として単行本、文庫本ともに書棚に並んでいます。
舞台は1960年10月12日、東京・日比谷公会堂で開かれた立合演説会です。解散・総選挙を目前に控え、自民党、社会党、民社党の3党首が出席しました。会場は2500人の聴衆でびっしり埋まり、民社党の西尾末広委員長に続いて、社会党の浅沼稲次郎委員長が壇上に立ちます。会場に陣取った右翼からすさまじい怒号が飛び交う中、警備陣の隙をつくように、ひとりの少年が壇上へ。手には鋭く光る刃渡り33センチの刃物が握られていました。
浅沼氏に体当たりした少年は、その刃物で胸を2度突き刺し、即死させます。鮮血が噴き出す凄惨な殺戮劇をテーマにしたのが「テロルの決算」です。その瞬間を克明に再現する迫真の描写。読む者は固唾をのんで引き込まれます。描かれたのは老練な野党政治家と右翼少年の一瞬の交錯でした。まるで時計が止まったような、冷静かつ臨場感あふれる筆致が光ります。
犯行を犯した少年は当時17歳。名前を山口二矢(おとや)といいました。山口少年は帝大出の自衛隊幹部の家庭に育ち、中学と高校の途中まで札幌で過ごしています。通っていたのは、現在の光星学園。この少年がなぜ、浅沼氏を殺害しなければならなかったのか。東京鑑別所に収容された少年はなぜ自殺したのか……。それは読んでのお楽しみです。
この刺殺事件は、浅沼氏が刺殺される瞬間を撮影した特ダネ写真によって、後世に伝えられます。みなさん、一度は見たことがあるでしょうか。撮影者は毎日新聞のカメラマンだった長尾靖さん。長尾さんの写真は当時、毎日新聞と独占契約を結んでいた米国の通信社UPIを通じて全世界に配信されました。衝撃の1枚は、日本人として初の「ピュリツァー賞」に輝くのです。
少し横道にそれますが……。ピュリツァー賞を受賞した日本人は長尾さんを含め過去3人います。長尾さんの次に受賞したのは、ベトナム戦争に従軍した沢田教一氏です。あまりにも有名な、あの写真! タイトルは「安全への逃避」(1966年)といいます。戦禍を逃れ、必死の形相で川を渡る家族を捉えた、鬼気迫る一作。ノンフィク作家青木富貴子さんの「ライカでグッドバイ」が沢田氏の人生とともに描き切っています。

写真3(沢田教一さんがベトナム戦争に従軍し、戦場で撮影した「安全への逃避」)
青森県出身で、県立青森高校では寺山修司と同級生でした。卒業後、三沢の米軍基地にある写真店で働いたのをきっかけにカメラマンを志願、米国通信社UPIの門を叩いてベトナムに赴き、この場面に遭遇したのです。沢田氏はその後、内戦のカンボジアに転じてプノンペン郊外で銃殺されました。享年34歳。
もう一人は同じくベトナム戦争に従軍した酒井淑夫氏、受賞作は「より良き頃の夢」(1968年)です。それ以降、日本人の受賞者はいません。カメラマンとして世界最高峰の賞を射止めた3人ですが、沢田氏が早逝したように、彼らの人生は皮肉にも恵まれませんでした。それぞれの物語を語るには時間が足りません!
急ぎましょう。「テロルの決算」に続く二作目は……。わたしに限らず当時の若者が夢中になって読み耽った「深夜特急」です。インドのデリーから英国ロンドンまで、路線バスと高速の乗り合いバスを使って一人旅をする。そんな覚悟で日本を飛び出した「私」の物語。最近、これを真似たテレビ番組もありますね。

写真5(「深夜特急」は新潮文庫で全6冊。最近活字を大きくした新版が発行されました)
「深夜特急」は新潮文庫で6巻。オレンジ色の背表紙が目印です。高齢者向けに活字を拡大した新版が最近、発刊されました。それを機に、再読しましたが、みずみずしい文章は新たな感動を呼び起こしました。40年前、新聞記者を目指した者にとって色褪せることのない、原点となる作品です。
実は、わたしは一度、沢木さんにインタビューする機会がありました。2001年のことです。この年の9月11日。ニューヨークなどで同時多発テロが起き、「テロとの戦い」に踏み切った米国は、アフガニスタンに戦端を開きます。お会いしたのは、戦闘が激化した直後。東京・三軒茶屋にある仕事場を訪ねました。アフガニスタンと聞いてなぜ、沢木さん?
「深夜特急」第4巻は、パキスタンからアフガニスタンに向かう様子が描かれています。カイバル峠を越えて首都カブールへ。イスラマバード、ペシャワール、カンダハル、カブール、ヘラート…。ページを括ると、当時、アフガンからのニュースで流れていた地名が、随所に出てくるのです。戦場と化したこの国境地帯を陸路、日本人として旅した経験を持つ作家は、おそらくほかにいません。わたしは、本人に会って、直接、アフガン戦争への思いを聞きたかったのです。
その時のインタビューは忘れ得ぬものです。沢木さんとの会話はアフガンどころか多岐に拡散し、実に6時間にも及びました! ロングインタビューの中で、じっと目をつぶり、語った言葉が思い出されます。
「アフガニスタンの景色。それは、心に染み入るものでした。カブールの市場にはザクロやブドウが溢れていました。美しいシルクロードの光景を現場で、しかもこの目で見たことこそが、わたしの創作活動の原点であり、すべてです」
別れ際にはこんな言葉をもらいました。「新聞記者は辛いけど、いい職業ですね。取材対象に肉薄し、真実を引き出してください。決して諦めることなく。そのためには、インタビューこそが命だと僕は思います」
後ろ髪を引かれつつ3作目へと移ります。沢木さんの言葉<インタビューこそ命>を踏まえるなら、その究極は「流星ひとつ」にほかなりません。北海道出身の歌手藤圭子が1979年、28歳で芸能界を引退する際、東京・紀尾井町のホテルニューオータニで行ったインタビューを収録した作品です。
実はこの原稿は79年に完成していましたが、出版を断念しました。それから34年後の2013年、藤圭子は新宿のマンションから飛び降り自殺します。沢木さんはその際、凍結した作品の封印を解き、原稿を世に出します。なぜ出版を断念し、自殺を機になぜ解禁したのか。それは本をお読みください。

写真8(出版が凍結されていた「流星ひとつ」は、藤圭子の死後、発刊されました)
それにしても、「流星ひとつ」は不思議です。いっさい地の文がなく、すべて2人の交互の会話で構成されているからです。驚くのは、寡黙なイメージで知られる藤圭子が、かくも確かな言葉で、率直に語る人だったのかということ。北海道の貧しい暮らしから身を起こして上京。デビューからトップ歌手への道のり。結婚、そして離婚…。苦難の人生が何と軽やかに語られていることでしょう!
沢木耕太郎という聞き手を得て初めて成立した作品だと思います。そして、読み終えた時、わたしはインタビューの概念が根底から覆されました。なぜ?
「インタビューとは相手の知っていることをいかにしゃべらせることではない。実は相手すら知らなかったことをしゃべらせる。インタビューの途中、相手が話していると、それまで自分が気付いていなかったことを口にする。その発した言葉から、自分はそんなことを考えていたのかと本人が気付いて驚く。これぞ究極のインタビュー!」。これがわたしの至った結論です。
いよいよ最後の作品となりました。
沢木さんはオリンピックを丹念に取材してきたスポーツライターでもあります。これほど五輪を広く、深く考え、取材してきた作家は国内にいないでしょう。コロナ禍の現在、目前に迫った東京五輪・パラリンピックは開催されるのか、開催するならどんな形となるのか。可否を含め国民の関心が集まる中、この作品に注目が集まっています。
「オリンピア1996 冠(コロナ) 廃墟の光」(新潮文庫、750円)

写真9(アトランタ五輪をテーマにIOCの終焉を予言した「オリンピア1996」)
1996年に米国アトランタで開かれた第26回大会の全日程を、現地でつぶさに観戦した渾身のルポルタージュです。いま、書店の目立つ場所がこの作品に埋められている理由をみなさんはお分かりですね。コロナに翻弄される東京五輪を前に、わたしたちは国際オリンピック委員会(IOC)の横暴ぶりに不信を募らせています。「IOCは何様か」。そんな怒りを、すでに25年前のアトランタ大会で抱き、警告し、「五輪は滅びる」と予言していたのです。
アトランタ大会は、クーベルタンが提唱した近代オリンピックがちょうど100年を迎えるのを記念した大会でした。父祖の地(アテネ)を押しのけ、開催地となったのがアトランタです。米国ではわずか3回前、ロサンゼルスで開かれたばかり。なぜ再び米国なのか。アトランタは、グローバル資本の典型であるスポンサー(コカ・コーラ)とテレビ局(CNN)の本拠地です。「IOCは巨大資本=マネー=の前にひれ伏した」と世界中から非難の合唱が起きたのもうなずけます。
従って、この本は東京五輪を控え、まさに時宜にかなった必読の書です。最大の読みどころは序章。五輪発祥の地であるギリシャのオリンピアを訪れる場面で始まります。沢木さんは、古代オリンピック競技会が開催されたスタディオンの古代遺跡に立ち、その崇高な理念が内部から腐敗→崩壊→消滅した無残な姿と、金権にまみれた汚いIOCの現状を重ね合わせ、「近代オリンピックも滅びる」と予言したのです!
そして、東京五輪についても次のように警告します。「東京は極度な緊張を強いられる都市になるだろう。思いがけない事件が起き、予想もしなかった展開が生じ、信じられないパニックが生まれる。そのパニックを押さえるため、誰かが、あるいは何かが、スケープ・ゴートとして祭り上げられる可能性がる。7月、東京が『死の街』にならないことを祈る」
わたしはこの作品を読み、未来を予言することがメディアの極めて大事な役割だ…と学びました。「廃墟の光」とはコロナ禍に揺れ、危機に瀕した東京五輪そのものなのです。
さて、2年間、綴ってきたわたしのブログもようやく最終章に辿り着きました。司馬遼太郎さんやノーベル賞作家ヘミングウェー、そして沢木耕太郎さん……。優れた作家たちが現在地へと導いてくれました。その途上、出会った人たち、勇気を与えてくれた皆さんとの出会いを糧に、人生、次の歩を進めます。
このブログは次期社長の若林直樹さんが形を変えて引き継いでくれることでしょう。
それでは、みなさん、ありがとうございました。