テレビの劣化。それは、マスコミ全体を覆っている深刻な現状です。日本テレビの犯したアイヌ民族を蔑視する番組はいつ、どこで起きても不思議はない。わたしはいま、こんな危惧を強く抱いています。


2年前からほぼ週1回、徒然なるままに綴ってきました。あと4回、お付き合いいただいて、筆を置きたいと思います。ちょうどテレビ番組の不祥事に話が辿り着きましたので、約40年にわたって報道現場に身を置いてきた者として、残りの部分はこうしたマスコミの役割について、あらためて徒然なるままに語りましょう。お付き合いください。


毎週土曜日の夕方に放送されるTBS(道内はHBC)の「報道特集」を昔から、ほぼ欠かさず見ています。現在、キャスターを務める金平茂紀さんは旭川出身。かつてTBSのモスクワ特派員だった時代に、現地で知己を得たのがきっかけで、ジャーナリストの先輩として、その骨太な姿勢に共感してきました。金平さんは、道新読書欄(日曜日)の執筆を長く引き受けてくれていたので、覚えている方も多いでしょう。


報道特集
写真1(TBSの「報道特集」が始まったのは1980年。懐かしいキャスターが並びます)


テレビ報道のあり方について、金平さんはかつて、朝日新聞の大型インタビューに応じて、次のようなことを語っていました。その内容を鮮明に記憶しているのは、時代を射抜く洞察力と経験に裏付けられた迫力があふれていたからでしょう。放送記者のみならず、現在の新聞記者にもまったく同じことが言えるので、その言葉に耳を傾けてみようと思います。


わたしはこれまで、多様性の大切さを説いてきました。権力の側ではなく、庶民の側に立った、少数者(弱者)の視点こそがジャーナリズムの原点であると。金平さんも同じことを語っていました。「記者の仕事は本当に孤独な作業ですが、組織論理に流れたり、空気を読んで個を殺したりするのは、記者とは相いれない行為といってよいでしょう」


金平さん
写真2(現在キャスターを務める金平さんは旭川出身。骨太の姿勢を貫き通しています)


安倍政権時代から急速に「忖度」が横行し、組織内にも同調圧力がはびこりますが、こうした現状に対し「社内の圧力に屈して萎縮したり、自主規制したりする風潮を容認してはなりません。記者は、権力に対峙し、監視するいわば『番犬』の役割を担っているからです。記者の側から権力を持つ政治家や役人にクンクンとすり寄って、おいしい餌(特ダネ)をあさり出す。従順な“吠えない犬”になり下がってはならないのです」。含蓄のある言葉です。


わたしは多様性の必要性を説いてきましたが、金平さんはこんな逆説的な指摘をしていたのが印象的です。「マスコミは多様な意見を紹介することで、何か問題が起きた時の批判を防御する姿勢が目立ちます。両論併記主義。積極的に論議を提起するのではなく、先回りして文句を言われた場合に備えてバランスを取る。これは本来の多様性とは全く異なります」


なるほど。となると、日本テレビのアイヌ蔑視報道は、逃げも打たず、備えもない、無知丸出しの姿勢なのです。読者や視聴者に対して、上から目線で物事を決めつける。背筋が凍る思いに駆られるのは、わたし一人だけではないでしょう。


かつて、首相官邸の担当記者として、首相や官房長官の記者会見に出ていました。その場に居合わせるということは、いわば読者の代表として総理や官房長官に向き合うことです。市民の知る権利に応える最前線。ならば、国民が本当に聞いてほしい質問をぶつけるのが使命です。最近の記者会見を見ていて、ときに緊張感を欠いた、予定調和的な、的外れな質疑の多さに辟易します。権力者である首相やそのスポークスマンである官房長官を忖度する必要はありません。記者に求められるのは権力との真剣勝負の“対決”です。


官邸記者会見
写真3(首相や官房長官の記者会見は首相官邸の記者室で行われます)


かつて「花形」と言われた新聞記者(少なくともわたしが記者を目指した40年前は狭き門の職業でした)は、時代とともに輝きを失います。衰退の証拠は新聞の発行部数が如実に物語っています。日本新聞協会の調査では、協会に加盟する全国103紙の最新の発行部数は約3509万部。前年に比べ実に271万部も減少しました。このペースで減少したら15年後に新聞は消滅する、それほど危機的な状況です。新聞を読まない、取らない世帯が急増しているのです。当然のごとく、新聞記者を志す人も減少の一途。風前の灯です。


新聞記者
写真4(東京新聞・望月衣塑子記者の著書を原案に2年前、映画が作られました)


一人でも多くの大学生などに記者の仕事の魅力を伝えたいと、何度となく会社説明会の講師を務めました。その中で、わたしが訴えたのは、冒頭お話しした金平さんの言葉と重なります。①権力を持つ者を監視する②少数派であることを恐れない③多様な意見を尊重し社会の自由な気風を保つ。シンプルですが、これこそがわたしの追い求めてきたジャーナリスト像でした。