冒頭、どうしても触れたい話があります。



前回、札幌地裁で同性婚を認めないのは違憲だとする画期的な判断が示されたことを書きました。同じ地裁では3月29日、生活保護費の大幅な減額に苦しむ人たちが、政府の措置に異を唱えた行政訴訟の判決が下されました。結果は「減額は合憲」としてあっさり「棄却」されたのです。わたしはその判決よりも、その裁判長の名前をみてびっくりしたのです。


武部知子さん。つい先日、同性婚訴訟で違憲判決を下して一躍時の人となった女性裁判長、その人だったからです。



武部知子
写真1(同性婚の判決で注目を集めた武部裁判長。涙を流した訳は功名心からでしょうか)


同性婚の裁判では、判決を読み上げる際に涙まで流していましたね。それが、今回、生活保護の受給者たちによる「健康で文化的な最低限度の生活を保障する憲法25条に違反する」との訴えには、にべもなく門前払いをしたのです。政府にくみして!


同一人物によるこの判断の落差は一体何なのでしょう。わたしなりに考えてみました。結論は……同性婚の判断は何ら金銭を伴うことはありません。一審の地裁判決だし、違憲判断を出して驚かせてみよう。思惑通り大成功でした。一方、膨大な税金を伴う生活保護費については、権力にしっかりと従属してみせた。実に見事なバランス感覚! そこに見え隠れするのは、裁判長としてのしたたかな打算です(あくまでわたしの独断ですのであしからず)。


同性婚の違憲判決などすっかり色あせて見えました。と同時に、豹変した武部氏の処世術には「あっぱれ」を送りましょう! ただ、何とも言葉にならない、しらけた気分に陥ったことを、皆さんにお話ししておきたかったのです。

本題に戻ります。今回は、LGBTの活動家として知られる増原裕子さんについてお話ししたいと思います。



増原裕子
写真2(LGBTの当事者として全国で講演活動をする増原裕子さん)


増原さんは3年前、わたしが主宰する会合の講師を快諾し、来道してくれました。その縁で、いまなおメールのやり取りが続いております。ご承知のとおり、東京都渋谷区が同性カップルを結婚に相当する関係と認める全国初の「パートナーシップ証明書」を交付した際、その第1号となったのが増原さんです。2015年4月のことでした。パートナーは、元宝塚歌劇団で男役を務めた東小雪さん。2人が証明書を手に、満面の笑顔でマスコミの取材に応じた姿をみなさん、覚えていることでしょう。



ディズニー挙式
写真3(増原さんは東京ディズニーランドで東小雪さんと結婚式を挙げました)



はじめに、増原さんの経歴に少し触れておきます。増原さんは千葉県出身。慶応大学文学部でフランス文学を専攻し、同大大学修士課程を修了後、外務省のジュネーブ公館で在外公館派遣員として働きます。大学院在学中にはパリに留学した経験もあり、フランスとスイスで合わせて約3年間過ごしました。


帰国後は、IT関連会社の勤務を経て、2013年に企業や団体向けにLGBTの講演や研修を行うコンサルタント会社「トロワ・クルール」を設立、代表取締役に就きます。波乱の「その後」が待っていますが、それはのちほど紹介するとして……。講演会の様子を追ってみたいと思います。


増原さんはまず、LGBTが決して少数者でないことを知ってもらいたいと切り出しました。「いまの日本の社会の中で、LGBTは目に見えづらい存在です。しかし、みなさんの周囲にも必ずLGBTの人がいます。2年前に民間会社が行った調査では人口の7・6%、13人に1人の割合で存在するという結果が示されました。これは、日本の4大名字と言われる鈴木さん、高橋さん、佐藤さん、田中さんより多い割合なのです」



男性婚
写真4(東京都内の一般ホテルを使って、男性カップルの結婚式も行われています)



では、なぜ見えづらいのか? 「それは当事者がLGBTだと言いにくい雰囲気が、日本の社会に根強くあるからです」……「わたしは女性同性愛者の当事者です。小学4年生のころに気付きましたが、偏見を持たれるのではないかと思い、思春期の時には誰にも言えませんでした。大学を卒業するまで悩み、葛藤を抱えていました。その気持ちに変化が生じたのは大学院に進学後、パリに留学した時です。現地には同性愛者が集まるサークルがあり、活発に活動していました。日本では考えられなかったことです。そのサークルにわたしも参加し、自分の性を初めて前向きにとらえることができたのです」


増原さんは、性のあり方は肌や目、髪の毛の色と同じように生まれつきの属性のひとつであり、その人の個性を形成するアイデンティティの根幹だと強調しました。帰国後の活動により、その確信を一層強めていったといいます。次回、“その後”に耳を傾けましょう。