世界で最も有名な喫茶店は? こう聞かれたら、わたしは迷わずに答えます。パリに現存する最古の教会、サンジェルマン・デ・プレ教会の向かいにある、緑の庇がまぶしいカフェ………。
1813年創業の「ドゥ・マゴ」です。
1813年創業の「ドゥ・マゴ」です。
ドゥは、un(アン)、deux(ドゥ)、trois(トロワ)のドゥ。つまり数字の2。マゴはmagots=
陶器の人形を指すフランス語です。つまり「二体の陶器人形」。その名前の通り、店内には創業当時から変わらず、ふたつの人形が店内を見守っています。
セーヌ川の左岸に位置するここサンジェルマン・デ・プレ地区には、古くから出版社や書店が集積し、多くの編集者、作家、ジャーナリストなどが居住するようになります。パリで最も自由な風が吹き、談論風発、芸術論議が交わされたのが…ここドゥ・マゴだったのです。

写真2(店の名前の由来である二つの陶器人形。200年以上、喧噪を見守ってきました)
常連の名前を挙げたらきりがありません。ヴェルレーヌ、マラルメ、オスカー・ワイルド、ヘミングウェイ、ジェイムズ・ジョイス、ピカソ…。数え切れないほどの著名人がこの店に集いました。前回の最後にご紹介した哲学者ジャン⁼ポール・サルトルとシモーヌ・ド・ボーヴォワールも毎日、このカフェで、「実存主義」に関する熱い論議を繰り広げたのです。
このカフェに近いモンパルナス墓地に、フランスを代表する“知性”は眠っています。ひとつの墓に…。二人は1929年に出会い、互いに惹かれ合いますが、自由意思を尊重するとの合意から、婚姻も、子供を持つことも、拒否しました。相互に性的な自由を認めながら、終生、伴侶(パートナー)として生き抜いたのです。実存主義とは、人間の本質に対して、現実の存在を優位に置く思想です。
女性問題を考える時、必ずやボーヴォワールの名前が出てきます。それは、彼女こそが女性解放思想の草分けであり、フェミニスト運動の理論・活動家として先駆的な役割を果たしたからです。そのバイブルとして、世界を駆け巡った著書が「第二の性」(Le Deuxi ème sexe)でした。

写真3(ボーヴォワールはその著書で「人は女に生まれるのではない」と述べました)
この作品は、ボーヴォワールのある言葉とともに女性史に刻まれていますが、みなさんはご存知でしょうか。
「人は女に生まれるのではない。女になるのだ」
On ne naît pas femme. On le devient.
ボーヴォワールはこの言葉にどんな意味を込めたのでしょう。サルトル研究の第一人者である海老坂武さんの解説に耳を傾けてみましょう。
「女性は女性として生まれるのではなく、男性を主体とする文明によって『他者』とみなされ、女という存在になっていくという主張です。原始社会から現代に至るまで、女性は常に男性が作り上げてきた『母性』『処女性』『永遠の女性』といった神話化された役割を担わされてきました。その女らしさとは、いかなる場合も、天性を持って生まれた資質ではなく、女はこうあるべき、という他者の意思によって、女性に押し付けられた状況を指しているのです」
海老坂さんの指摘のように、ボーヴォワールはこの著書の中で、従来、男性中心の社会で作り上げられてきた女性の実態を論じ、主体性の獲得によって女性は社会の束縛から解放されると説きました。男性中心の社会の中で、副次的(補完的)な存在であってはならないと。
この本が出版されたのは1949年ですが、それ以来、フランスや米国で始まる数々の女性解放運動の原点となり、フェミニズムやウーマンリブの世界的潮流を生み出していきます。いまなお世界で広く読み継がれ、男女平等社会の実現に影響を与え続けていることを考えると、“古典的な名著”に追いやるのは早計かもしれません。
わたしは、パリで1980年後半と90年代の後半の計5年間、生活しました。深夜のメトロ(地下鉄)にもよく乗りました。最終電車の運転席に女性が座り、深夜勤務を担っている姿を目にするたび、日本にこんな光景が実現するのはいつだろうか、と考えたものです。役所に行けば、窓口業務の大半は女性が占めていました。男女が共に社会を担い、互いに助け合い、築き上げていく。これが当然あるべき社会の姿なのです。
ボーヴォワールが「第二の性」を世に送り出してから72年。日本の現状はなお、深刻です。男性優越、性差別の横行、さらにジェンダーギャップは常に下位低迷…。男女を超え、人間として「どう生きるか」。わたしたち日本人は問いかけられています。世界から!