2016年の米国の大統領選挙では、史上初の女性大統領の誕生を多くの世論調査が予測しました。しかし、結果はご承知の通り、トランプ氏の勝利。大統領夫人、上院議員、国務長官。華麗な政治経験を積んだヒラリー・クリントンさんは、まさかの敗北を喫したのです。その敗北宣言で、記憶に残るのが「ガラスの天井」(glass ceiling)という言葉です。女性に対する見えない偏見・差別の存在。これを打ち破れなかったと悔しさを滲ませたのです。
自由と平等を掲げて誕生した米国でさえ、その理想はなお実現されていません。資質や実績があっても女性であるがゆえに、一定の職位以上には昇進できない。ヒラリーさんは自らの敗北と重ね合わせながら、企業に限らず、学術、スポーツ、政治などあらゆる分野で女性が指導的立場に立てる社会の実現を、この言葉に込めたのです。
毎年、年末になると、世界経済フォーラムという組織が男女格差を測る「ジェンダー・ギャップ」という指数を発表します。この数値は経済、政治、教育、健康の4つの分野のデータをもとに男女の平等がどれだけ進んでいるかを示すもので、昨年の日本の順位は153カ国中121位でした。日本の前後には、アフリカや中東諸国が並びます。
1位はアイスランドで2位以下、ノルウェー、フィンランドなど北欧諸国が続き、主要国ではドイツ10位、フランス15位、英国21位、米国53位などです。一方、中国は106位、韓国108位。ともに日本より上位で、男女格差が日本より小さいということになります。
日本人はこうした数値を前にすると、何ともやりきれない思いをするかもしれませんが、話を進める前に、実は日本は世界に誇るべき女性を世に送り出していることを強調しておきたいのです。言葉を換えれば、「ガラスの天井」を突き破った女性を……。
みなさんは緒方貞子さんという女性をご存知でしょうか。2019年に92歳で逝去されましたが、国際社会で彼女ほど名前の知られた存在を、わたしはほかに知りません。女性に限らず、日本人として、これほどの知名度を持つ人物はいないでしょう。
緒方さんはスイス・ジュネーブに本部を置く国連機関のひとつ国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の最高位ポストを務めました。女性としてこの役割を担うのは世界で初めてでした。緒方さんの在任は1991年から2000年までの10年に及びましたが、就任当初は東西冷戦の終結を受け、多くの難民が欧州諸国に押し寄せていました。中東やアフリカ諸国でも紛争が頻発します。その救援活動に緒方さんは命を賭し、多くの功績を重ねたのです。
ちょうどわたしが北海道新聞のパリ特派員を務めた時代と重なりました。緒方さんをぜひ取材したい。こんな思いでインタビューを申し込んだのは1996年の秋。緒方さんは快諾してくれました。いざ、ジュネーブに出張してUNHCRへ。わたしを玄関で待ち受けていたのは、女性広報官でした。「アフリカ中部のチャド共和国で軍部のクーデターが発生して大量の難民が出ている。マダム・オガタはけさ、急きょ、アフリカに向かうことになった」
インタビューはドタキャンとなりました。後日、緒方さんからは自筆のお詫びの手紙が届きました。いま思い起こしますと、緒方さんの話をじかに聞けなかったのは本当に残念ですが、彼女が貫いた「徹底した現場主義」は、わたしのその後の記者人生の支えとなり、勇気と希望を与えてくれたと思っています。
空振りに終わったジュネーブ出張からパリに戻る途中、レマン湖畔の小さな村を訪れました。ここに眠るオードリー・ヘップバーンの墓地を訪れてみたい。かねて抱いていた、ささやかな夢を実現するためでした。「ローマの休日」「ティファニーで朝食を」「マイ・フェア・レディ―」…。数々の名画を通じて世界の人々を魅了したヘップバーンは1993年、63年間の人生を、ここスイスの村で閉じました。
わたしは墓前に立ち、こんなことを考えました。「なぜ彼女は、いまもなお輝き続けているのか」と。大女優として世界を魅了した美貌は、「美しさのほんの一部に過ぎない」と。ヘップバーンは生涯を通じて、国連児童基金(UNICEF)の活動に携わり、貧困や飢餓、難病と闘い続ける世界中の子供たちに寄り添いました。その献身こそが、永遠の美の原点にある。彼女の晩年の姿こそが、人間本来の美しさを体現しているのではないかと。
フランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルと新たな夫婦の形を提示したシモーヌ・ド・ボーヴォワールも闘い続けました。女性としてではなく、人間として。男女を超えた「存在」として…。性差を超えた生き方がいま、あらためて問われていると、わたしは強く思います。