わたしたちは、多様かつ変化に柔軟な社会を目指し、人種や国籍、肌の色、性別の異なる人々と共存する道を模索する時代を迎えています。あらゆる障壁を乗り越えていく努力が求められる中、国連が「SDGs」と名付けた持続可能な開発目標を定めました。そこに設定された17のゴールのうち、5番目に掲げた「ジェンダーの平等」について考えてみよう。前回、こんな提案をしました。



森喜朗
写真1(厚顔無恥とはこの元首相のことを指すのでしょう。最悪の展開となりました)


家父長制が長く続き、男性中心の社会が当たり前だった日本にとって、この目標は最も難しいのではないか。しかし、世界の人々の意識が急速に変化する中で、日本はこの潮流から取り残されてはならない―――。こんな強い懸念をお伝えした途端、「ジェンダーの不平等」をさらけ出す、驚くべき「発言」が飛び出しました!


東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長(83)の女性蔑視発言です。これは、本人の思惑とは裏腹に、世界を駆け抜け、結局、辞任に追い込まれるという最悪の展開を辿りました。後任が誰になるのか。今後、東京五輪の開催可否とも併せ、状況は極めて流動的です。この問題は流れが定まるのを待って、触れてみたいと思います。



このようにジェンダーをめぐる話題は事欠きません。

年明けの年中行事もそうでした。



みなさん、箱根駅伝はご覧になりましたか。東京・大手町から箱根・芦ノ湖畔を2日がかり、10人で襷(たすき)をつなぐ大学生による古典的なスポーツイベントです。関東地方の「地域限定」大会にもかかわらず、全国放送され、高い視聴率を取る不思議な大会。波乱のドラマが必ずや待ち受けている……こんな期待感もあるのでしょう。


箱根駅伝
写真2(毎年1月2、3両日に行われる箱根駅伝。関東の大学の地方大会はいまや全国区に)


今年もドラマが待っていました! 1月2日の往路は駅伝史上初めて、創価大学が制し、3日の復路もずっと首位を保ってきましたが…最終10区の走者が東京・大手町のゴール間際で駒沢大学に追いつかれ……結局、駒大が劇的な総合優勝を果たしたのです。


箱根駅伝創価駒
写真3(最終10区で駒大が創価大をかわして首位に踊り出る瞬間。ドラマは起きました)


駒大の逆転優勝はもちろん大きな話題となりましたが、それに思わぬ“おまけ”が付いたのです。駒大・大八木弘明監督が沿道から最終走者に放った喝! 実はその言葉が、同大の総合優勝以上に沸騰したのです。



世間を騒がせたその言葉とは………
「お前、男だ」「男だろ‼」



SNS上ではこの言葉を巡り、「NG」が殺到しました。まさに、今回テーマに挙げた「ジェンダー」の問題です。監督が発した「男だろ‼」の表現に対し、テレビを見ていた多くの視聴者から違和感、不快感が示されたからにほかなりません。「男だから頑張る」。いまや、そんな時代じゃないだろう。こう感じた人がいかに多かったことか。その人たちが次々とコメントを投稿したのです。この騒動に一番驚いたのは、監督自身だったかもしれませんね。


駒大監督
写真4(駒沢大の大八木監督。「おまえ、男だ‼」の喝に批判が集中しました)


たとえば、1960年代に刊行された三省堂の国語辞典を引いてみましょう。「男」を調べると、「力が強く、主として外で働く人」と書かれています。一方、「女」を引くと、「やさしくて、子供を生みそだてる人」とあります。


当時の社会通念を踏まえ、男女を典型的に区別する表現です。男の役割はこういうもの、女はこういうもの。この固定観念は60年当時、何の問題もなく受け入れられていたのでしょう。性的な役割の固定化と言えますが、現在なら即刻、出版停止となる表現です。

わたしたちはいま、男女という「性」を生物学的に言う「SEX」として捉えるのではなく、人為的につくられた「性差」「性的役割」を意味する「GENDER」として考える時代を生きています。みなさんは、駒大監督が発した「男だろう‼」の喝をどうとらえるか。その受け止め方こそが、男女を考えるスタートラインになるのです。


世界に先駆けて、男女同権を世に問いかけてきた米国ですら、いまなお、女性大統領は誕生していません。前回の大統領選でトランプ氏に敗退したヒラリー・クリントンさんは、米国社会に厳然と存在する“目に見えない女性差別(偏見)”を「ガラスの天井」(glass ceiling)という言葉で表現しました。


いまわたしたちは、そのガラスの天井を突き破る決断を迫られています。とりわけ日本社会は! 覚悟をもって考えていかなければなりません。