江戸末期の日本とフランスを股にかけ、驚異の語学力を武器に聖職者として、通訳として活躍した神父メルメ・カション。前回、このメルメ神父の人生を振り返り、蠣崎波響の名画「夷酋列像」をフランスに持ち去ったのではないか…こんな推理をしてみました。

函館山の麓に広がる西部地区は、多くの観光客を魅了してやまない人気スポットです。異国情緒漂う景観を醸し出しているのは教会の存在でしょう。ハリストス正教会と並んでこの地区の代名詞になっているのがカトリック元町教会です。この教会を創設し初代神父に就いたのがメルメだったことはお話ししました。


函館西部地区
写真1(函館山の麓に広がる西部地区。異国情緒漂う観光客の人気スポットです)


メルメ神父が幕末の箱館に滞在したのは1859年から63年までの4年間でした。その間、日仏辞典の編纂とともに、アイヌ民族にも強い関心を寄せ、「アイヌ小辞典」を編集しました。エキゾチックなアイヌ文化に魅せられたのでしょうか。異文化との出会いは神父のその後の人生にどんな変化をもたらしたのでしょう。

神父は突如、箱館を立ち去ります。江戸に戻り、駐日フランス公使の公式通訳の職を得たのも束の間、宣教会の許可を受けないまま、再び、忽然と母国へ帰国します。なぜでしょう? パリ万博の会場で、幕府の代表団とナポレオン3世との通訳を務めたのを最後に、ぷっつりと消息を絶ったのはなぜでしょう。神父の職をかなぐり捨て、なぜ南仏に向かい、ニース(あるいはカンヌ)で死んだのでしょう。



そして、蠣崎波響のアイヌ指導者の連作「夷酋列像」を、果たして神父は持ち出したのでしょうか? ここが今回、お話ししなければならない核心部分です。



わたしは、この人の話に耳を傾けようと思います。この人とは……。メルメ神父の来日から100年後の1953年。カトリックの宣教者としてフランスから日本に派遣され、神父の創設した函館のカトリック元町教会主任司祭に就任したグロード神父です。


グロード神父
写真2(献身的な活動で函館に生涯を捧げたグロード神父。穏やかな笑顔が忘れられません)


函館や道南で暮らしたことのある人にとって「グロード神父」の名前を聞いたことのない人はいないでしょう。聖職者としての献身的な活動だけではなく、社会福祉事業に情熱を傾け、恵まれない子どもたちから高齢者、病を抱えた人たちに至るまで、すべての人々が共生する社会の実現に力を尽くしました。五稜郭公園を舞台にした壮大な野外劇の開催にも奔走し、北海道新聞社会文化賞、フランス政府からは「レジオン・ドヌール勲章」を授けられました。

神父は2012年に85歳で逝去しましたが、蠣崎波響の「夷酋列像」がなぜ、フランス・ブザンソンで見つかったのか。同じフランス人神父として生前、大きな関心を寄せていました。メルメ神父の関与についても見解を示していましたので、紹介したいと思います。


夷酋列像展
写真3(夷酋列像をめぐるナゾは時を経て、解明されるどころか深まるばかりです)

残念ですが、グロード神父はメルメ・カション神父が「夷酋列像」をフランスに持ち帰ったかどうかについては「正直分からない」と答えています。そのうえで、こんなことを語っていました。「夷酋列像はブザンソンの美術館の屋根裏に放置された状態で見つかりました。当時は、この作品が偉大なものなのか、そうでないのか、理解する人がいなかったのです。そして、大事なことは、美術館がこの作品(夷酋列像)を購入したのではないことです」

幕末の箱館・松前の状況についても触れています。「当時は日本の美術品ならフランス人は何でも買いました。一方、松前藩は江戸から強い圧力を受けていて、財政的にも苦しく、売れるものは何でも売っていました。とりわけ箱館戦争で松前藩は大混乱に陥り、松前の宝である夷酋列像もこうした混乱の中で散逸していったのでは…」。グロード神父の話の中で最も重要な点は、ブザンソンの美術館で「夷酋列像」を購入した事実はないという部分です。

「夷酋列像」がブザンソンで発見された―。北海道新聞パリ特派員だった浜地隼男さんが1面トップで報じたのが1984年でした。実は、ブザンソン美術館の調査によると、「夷酋列像」は、この美術館で全収蔵品の調査が行われた1933年、収蔵目録に掲載されました。ただ、美術館の屋根裏にいつから置かれていたのかははっきり分かりません。しかも、この調査の後、さらに51年間にわたって見向きもされず眠り続けたのです!


ブザンソン美術館
写真4(夷酋列像はいつからここにあるのか。ナゾを秘めたブザンソン美術館)


地方美術館としては屈指の質と量を誇るブザンソン美術館ですが、東洋美術の価値を見極める学芸員はおらず、グロード神父の言う通り、「松前の宝」は放置され続けたのです。しかし、ブザンソン側でもナゾを解く調査・研究が繰り広げられてきました。わたしにとってうれしいことに、メルメ神父も調査対象に浮上し、いくつかの興味深い新事実が明らかになりました。次回はそれを端緒に、「夷酋列像」を巡る長い旅を締めくくりたいと思います。