松前藩家老・蠣崎波響が描いたアイヌ長老の肖像画「夷酋列像」は、なぜフランスの地方都市ブザンソンに存在するのか。前回、わたしは徳川幕府が救援を依頼したフランスの軍事顧問団の副団長として来日し、旧幕府軍に合流して箱館戦争を戦ったジュール・ブリュネ(1838~1911年)が略奪を主導した。唐突にもこんな説を披露しました。なぜブリュネなのか。推理の理由を述べる必要がありますね。


ラ・ミッション
写真1(ジュール・ブリュネに光を当てた佐藤賢一作「ラ・ミッション」。必読の一冊です)

ブリュネとはどんな人物だったのか。格好の入門書があります。5年前、直木賞作家の佐藤賢一さんが「ラ・ミッション 軍事顧問ブリュネ」(文芸春秋)を書き下ろしました(今年文庫本になりました)。戊辰戦争の最後の戦いである箱館戦争にフランス人のブリュネがなぜ参戦したのか。幕末から維新の歴史に興味のある方は必読の一冊です。

ただ、残念なのは、ストーリーはブリュネの軍人としての系譜や来日後、旧幕府軍に参加した経緯、箱館戦争の攻防に焦点が当てられ、彼が箱館を後にし、フランスに戻った「その後」は描かれていません。ブリュネが夷酋列像の略奪に関与したのでは? こんなわたしの疑惑を解くヒントもありません(笑)。佐藤氏は引き続き、帰国後に焦点を当てた続編の構想を温めているといいますので、何か手掛かりが出てくることを期待しています。



みなさん想像してみてください。



幕末から明治維新の世の中を。長く続いた江戸時代に1853年、激震が走ります。そう、ペリーの黒船来航です。これぞ、徳川幕府の鎖国体制を崩壊へと導く「終わりの一歩」。翌年には日米和親条約が締結され、240年もの長きにわたった鎖国は終焉します。米国に続き、イギリス、フランス、ロシア、オランダとも同様の条約を締結します。いや、締結させられます。日本は欧米列強の「草刈り場」と化し、屈辱的な不平等関係を甘受せざるを得ない窮地に追い込まれるのです。

日米和親条約によって、幕府は下田と箱館の2つの港を開港し、欧米列強は日本での利権拡大を進めます。これを機に幕府の弱体化、求心力低下が加速し、時代は一気にポスト徳川へ。混沌とした日本に派遣されたブリュネは、幕府崩壊後も旧体制派の榎本武揚、土方歳三らに加担、帰還命令に背いて箱館戦争に身を投じるのです。ここまでは前回お話ししました。



榎本武揚
写真2(ブリュネが行動をともにした榎本武揚。ブリュネ同様、変わり身の早い男でした)

箱館戦争は道南全域に舞台が及び、箱館とともに松前、江差が激戦地となりました。とりわけ旧幕府軍、新政府軍入り乱れた戦場と化した松前では、城が落ち、藩主松前徳広は君臣ら60人を引き連れて船で弘前藩へ逃亡します。混乱の極みの中で、蠣崎波響の夷酋列像は略奪された! これがわたしのひとつの推理です。(違う推理はまた後ほど紹介します)


蠣崎波響は1826年に死没しました。まさか自分の作品が死後、フランスへ渡るなどとは! おちおち墓場で眠っていられません。では、当時、「夷酋列像」はどこに保存されていたのでしょう。それが判然としません。なにしろ、松前藩の秘宝中の秘宝。松前城のどこかに厳重に保管されていた…とみるのが妥当です。


松前城
写真3(松前藩の居城です。道内で城郭が残るのはここだけ。咲き誇るサクラは見事です)

ただ、波響は松前藩12代藩主松前資広の5男として生まれ、蠣崎家の養子に入りました。蠣崎家は松前城の近接地(現在の道立松前高校の校長住宅)に屋敷を構えており、この屋敷こそが、道東のアイヌ指導者12人を呼び寄せて、夷酋列像が描かれた場所なのです。蠣崎家と城は表裏一体の関係にあり、夷酋列像が自宅に保管されていた説も捨てきれません。


松前城内、あるいは蠣崎家のどちらにあったにせよ、戦争の混乱期、賊が押し入って作品を盗んでいったとしても、盗難に気付く余裕などなかったはず。なにしろ藩主が命からがら、弘前に逃げ出したわけですから。その盗難が白日に晒されたのが…120年の月日を経てブザンソンに出現した1986年だったのです!

わたしがブリュネ犯行説を唱える有力な理由として、ブリュネが若い頃から絵に親しみ、画才に優れていたことを挙げます。陸軍士官・ブリュネの砲兵学校時代の成績表には「頭脳明晰にして才気煥発、品行方正にして画技に秀でる」と記され、日本滞在中は常にクロッキー用鉛筆とパレットを持ち歩いていました。パリの自宅(遺族が居住)には日本で描いたスケッチが大切に保存されているのです。


ブリュネの絵
写真4(ブリュネは卓越した絵の才能がありました。これは有名な幕府軍のスケッチです)


箱館戦争を指揮した絵画好きのブリュネが、蠣崎波響の夷酋列像を知らないはずはありません。松前の戦闘にブリュネが関わったことも知られています。しかも、夷酋列像は実に小さな作品です。12枚セットにしても風呂敷に包んで簡単に運べます。大人2人で十分! 箱館戦争に加わったブリュネと仲間のフランス人が松前城下で秘宝を見つけ、これ幸いとばかり、ひょいと背負って持ち去る光景が、わたしの脳裏を刺激してやまないのです。