北海道はよく「北の大地」と呼ばれます。その言葉に、わたしは気恥ずかしさを覚えます。「北の大地」とは、国土が狭い、小さな島国・日本だからこそ通用する言葉。それは世界地図を広げて俯瞰してみれば一目瞭然です。北海道は極東の最果てに位置する豆粒のような島…にすぎないのですから。


アムール川
写真1(はるか大陸のかなたからアムール川を渡り蝦夷錦がもたらされました)

冒頭、こんなお話をしたのは、北海道の対岸に迫りくる雄大なユーラシアに目を向けるためです。この大地こそが正真正銘の「北の大地」!かつて日本領だったサハリン(樺太)が寄り添っているのがシベリアを擁する母国ロシア。そのロシアと国境を接してせめぎ合う中国。両国の国境線は4209㌔にも及びます。これこそが、わたしがこれまで書き綴ってきた蠣崎波響の「夷酋列像」を産み出した揺籃の地、北の大地なのです。

みなさん、アムール川という河川の名前を耳にしたことがありますか? はるかモンゴルに源を発し、ロシアや中国の大地を縦横に流れ、オホーツク海へと注ぐ大河です。中国名・黒竜江。全長4450㌔と聞くと、その長大さに驚かされます。(ちなみに石狩川は全長268㌔)。わたしは、かつてロシア極東のハバロフスクを訪れた際、この大都市を流れるアムール川の河畔に立ち、茫漠たる光景に息を飲みました。対岸の中国は目視できません。

川とは不思議です。どの国、どの地域を流れていようとも、必ずや人と物が行き交い、異なる文化が交錯し、融合します。アムール川ももちろんです。北東アジアの大動脈として、太古の時代から「文化の十字路」の役割を果たしてきたのです。


ニコライスク
写真2(アムール河口のニコライスクは人口3万人。蝦夷錦はここから蝦夷地へ渡りました)

アムール川がオホーツク海に注ぎ込む河口のまち。ニコライスク・ナ・アムーレといいます。ここはかつて、日本が支配した時代がありました。ロシア革命(1917年)に干渉した日本は1920年、漁業・造船基地として繁栄していたこのまち占領し、日本名「尼港(にこう)」と称します。このまちで在留邦人が大量に虐殺される悲惨な事件が起き、「尼港事件」として歴史に名を刻みます。この経緯は省きますが、日本がその後、軍国主義へと突き進む近現代史の原点ともいえる、大事な出来事だったことを記しておきます。

ニコライスクの対岸に、間宮海峡(タタール海峡)を隔ててサハリン島が南北に横たわります。海峡の幅はわずか7㌔。冬場は凍結して陸地化するため、ロシアや中国の物資は、いとも簡単に海峡を越えて日本にもたらされました。


間宮海峡
写真3(間宮海峡は幅7㌔。好天の時は大陸とサハリンは双方から肉眼で確認できます)

江戸時代、鎖国政策を取っていた日本は長崎を唯一の窓口として、中国やオランダとの貿易を行ってきましたが、実は、最北端の蝦夷地ではアムール川を通じた経済活動(交易)が密かに、アイヌの人たちによって行われていたのです。それは幕府も黙認していたとされます。これこそが「北のシルクロード」です。


蝦夷錦の道
写真4(「北のシルクロード」の予想ルートです。蝦夷地を支配した松前が終着点でした)

黙認の理由は…このルートを通じて貴重な絹織物がロシア・中国からもたらされたから。まさに絹の道にほかなりません。豪華絢爛な織物は日本に渡り「蝦夷錦(えぞにしき)」と呼ばれました。仲介者のアイヌの人々によって、やがて松前藩に伝わり、それが幕府への献上品として江戸へ。将軍や有力な武士たちの垂涎の的になったのです。

フランス東部の地方都市ブザンソンで見つかった夷酋列像(11点)の中から、前回まで
アッケシ(厚岸)のイコトイとクナシリ(国後)のツキノエ、ノッカマップ(根室)のションコの3人を紹介しました。3人とも見事な蝦夷錦を羽織っていたのをみなさん、覚えていますね。この衣装はすべて、大陸のはるかかなたから、アムール川(黒竜江)を通じて松前にもたらされた衣装だったのです



蝦夷錦の来た道
写真5(1990~91年、北海道新聞日曜版で「蝦夷錦の来た道」が38回連載されました)

サハリンからアムール河口、旧満州(中国東北地方)へ。蝦夷錦はその先々で大切に保存されていますが、絵画という世界に「錦の美」を見事に表現し、保存したのが、蠣崎波響作「夷酋列像」だったのです! 貴重な肖像画の連作はいま、アムール川を遡るどころか、日本からはるか1万㌔も離れたフランスにあるという、あらたな「秘話」を生み出しました。何と壮大な物語でしょう。


ここまで辿ってきたからには、夷酋列像がなぜブザンソンへ渡ったのか。知りたくなりますね。実は過去の研究で、その理由はなお明らかにされていません。そこで、次回から、あくまでわたしの「独断」によって、謎に挑んでみようと思います。ただし、何ら学術的な根拠はありませんので、ご承知置きのうえお読み下さい。