日本は単一民族の国ではありません。


先住の民であるアイヌの人々の豊かな文化に彩られた国……。
北海道で暮らすわたしたちこそがその先頭に立ち、発信していく責務があります。開拓から152年。この間、隅に追いやられてきた(いや、追いやってきた)人々の苦境と現実に光を当て、復権に力を注がなければならない。そう強く思います。


前回、「単一にこだわる愚かしさを知る」という少し過激な見出しを掲げたのも、日本が単一民族から成る国家であると発言し続ける「政治家」へのメッセージであるとともに、すべての国民に正しい認識を抱いてもらいたいという願いからです。

「ダイバーシティー」(多様性)について考えるうえで、その導入としたのがアイヌです。北の大地で暮らす日常の中で、先住者への敬意にも似た気持ちに満たされる瞬間があります。そのひとつが、書物の中での出会いです。季節が移り、「読書の秋」を迎えました。今回は本をくくりながら、そんな出会いを繰り広げてみます。


シャクシャイン
写真1(英傑シャクシャイン。日高管内新ひだか町の静内真歌に像が聳え立ちます)


わたしは、オホーツク地方にある北海道新聞の支社に勤務していた2年ほど前、地元の地域FM局から出演依頼がありました。その時、与えられたテーマは「この秋、読んでおきたいこの2冊!」。リスナーが限定されているとはいえ、公共の電波にのせて自分の考えを発信する責任の重さを感じたからでしょう。かなり緊張したことを思い出します。

わたしは、リクエストに応じて、2冊の本をスタジオに持参しました。選んだのは、いずれもアイヌをテーマにした作品でした。これには訳があります。2年前を思い起こしてみましょう。当時、女性知事が音頭を取り、幕末の探検家・松浦武四郎がこの大地を「北海道」と命名して150年の節目に当たると大きくPRしていました。


蝦夷地舞台
写真2(アイヌの人々は国後・択捉との交易にも貢献しました。この景色こそ原風景です)


この知事は、150年に及ぶ和人の歴史を誇る一方で、それ以前、ここ蝦夷地に暮らしていた人々の労苦を思いやる視点がすっぽり抜け落ちていたのです。心ある道民は彼女の発言に違和感を覚えたことでしょう。そこで、わたしはこの番組であえて、北海道の地が、アイヌの人々の「血と汗と涙に彩られた大地」であることを深く知る必要がある、と力を込め、その世界に踏み入るための必読書として、2つの作品を紹介したのです。それをここで“再放送”したいと思います。



蝦夷地別件
写真3(蝦夷地別件はアイヌ民族を主人公に激動の蝦夷地を描き切っています)


1作目に挙げたのは、船戸与一(ふなど・よいち)作「蝦夷地別件」です。若い世代には、船戸の名前に触れたことのない人もいるかもしれません。しかし、わたしのような「老いの域」に達した者にとって、船戸は時代の先を行く、あこがれのハードボイルド作家でした。新作が出るたびに、必ず書店で買い、心躍らせて読み耽りました。船戸は5年前、満州国をテーマにした超大作「満州国演義」(全9巻)を脱稿し、71歳で没しました。彼の新作が読めないかと思うと、寂しさが募ります。


船戸与一
写真4(船戸与一はハードボイルド小説の草分け。読者を血沸き肉躍る世界に誘います)


「山猫の夏」「猛(たけ)き箱舟」「砂のクロニクル」…。南米や中東、アフリカなど海外に題材を求めた作品とは一線を画した本作の舞台は、18世紀の蝦夷地。アイヌ最後の蜂起と伝えられる「国後・目梨の乱」を壮大なスケールで描き切りました。圧巻の一言に尽きます。アイヌ民族とこれほど真正面から向き合った文学作品を、わたしはほかに知りません。


時代はちょうど、フランス革命が起きた1789年。民族の大規模蜂起として歴史に名をとどめる「シャクシャインの乱」から120年目に当たります。当時の蝦夷地は、原生林に覆われた未開の大地…こんなイメージを抱きがちですが、それは誤解です。先住民族のアイヌがこの地に築き上げた文化は17世紀、すでに大きく開花していました。人々は、舟を操って国後、択捉に至る現在の北方領土を自由に往来し、漁に携わり、島々の定住者たちと交易・経済活動を行っていました。国後・択捉・歯舞・色丹。4島が日本固有の領土であることは、この歴史が証明しています。

江戸時代、蝦夷地を支配したのは松前藩です。道南の小藩の目は道東まで行き届くことはなく、藩から利権を買収した運上屋が悪徳な商売を繰り広げています。アイヌを虐げ、利益を搾取し、横暴の限りを尽くしていく…。和人(シャモ)に対する怒りが頂点に達し、蝦夷地全域を巻き込んだ大蜂起に発展したのが、この作品のテーマである「国後・目梨の乱」でした。

蝦夷地に革命が起こるのか。渾身の歴史絵巻は大団円へと向かいます。あとはみなさんぜひ本を手に取って、読み進めてください。この小説を読んだ人なら、「日本は単一」といった単純で安易な発想が生まれることはないでしょう。