日本は単一民族だと主張し続ける麻生太郎氏について、前回、厳しく批判する形で終わりました。この政治家には、単一にこだわることがいかに愚かであり、しかも事実に反しているかを、ぜひ認識してもらいたいと切に願います。ただ、未曾有を「みぞゆう」と読む違える一般常識の欠如、九州の保守的な価値観・因習に捕らわれた成育履歴、地方財閥の御曹司、80歳の高齢者…などを総合的に勘案すると、もはや不可能でしょう。



イランカラプテ
写真1(新千歳空港にはアイヌで「イランカラプテ」と書かれた歓迎幕がはためきます)


北海道に暮らすわたしたちは知っています。この大地には、先住者であるアイヌの人たちが生活を営み、豊かな文化を育んできたことを。この大地に踏み入ってきたわたしたち和人は新参者であり、わずか150年の歴史しか持っていないことを。


多様性(ダイバーシティー)の素晴らしさを知ることを今回の大きなテーマに掲げました。この目的のために、わたしはまず、アイヌの人びとにまつわる話を、徒然なるままに綴りながら、思索を巡らせたいと思います。

まもなく、今年のノーベル文学賞の発表があります。日本では川端康成、大江健三郎両氏に続いて、村上春樹氏の受賞が成るか。今年も全国の「ハルキスト」たちが夢中になって応援していることでしょう。

最近の受賞者の中で、わたしが最も印象に残っている作家に、フランスのギュスタフ・ル・クレジオ氏がいます(2008年受賞)。かつて、北海道新聞のパリ特派員を務めていた頃、知己を得た文芸評論家・菅野昭正さん(現在、東京・世田谷文学館長)とパリの街角で雑談したことを思い出します。アルベール・カミュやアンドレ・ジードなど多くのノーベル賞作家を輩出してきたフランスで、次に受賞するのは誰でしょう? こんな質問に、仏文学者でもある菅野さんが迷わず名前を挙げたのが、ル・クレジオ氏だったからです。


ルクレジオ
写真2(ノーベル文学賞を受賞したル・クレジオ氏。アイヌにもあたたかい目を向けます)

特徴的な名前が忘れられず、ずっと記憶に残っていましたが、予言は見事、的中しました。ノーベル財団は「限りない人間性の探求者であり、現代文学の地平を切り開いた哲学者」と称えています。遠いフランスのノーベル賞作家…とお思いの方もいるかもしれませんが、実は、その創作活動の中に、日本の先住民族であるアイヌが明確に位置づけられていることを、ぜひ心に留めてもらいたいのです。

ル・クレジオ氏はノーベル賞を受賞する2年前の06年1月、初来日を果たしていますが、その際に訪れたのは、東京や京都ではなく、北海道のアイヌ民族のもとでした。アイヌ研究が盛んな札幌大学の研究者が招聘し、それを快諾する形で実現したのです。

ノーベル賞に輝いた時、わたしは札大の瀧本誠樹准教授(当時)を取材しましたが、新千歳空港に到着したル・クレジオ氏がサンダル履きで降り立ち、慌てて持参した長靴に履き替えてもらったという、来道時の逸話を聞いて、権威とは無縁の作家の人柄に深く感銘を受けたものでした。


札幌大学
写真3(アイヌの研究拠点となる札幌大学。ル・クレジオ氏のシンポジウムが行われました)


道内滞在中、札大でのシンポジウムに参加し、西岡水源地(札幌市豊平区)の雪原を歩き回り、胆振、日高のアイヌ民族の史跡を巡ってアイヌの人たちと交流を深めました。

瀧本さんは「その静謐なたたずまいを思い浮かべるだけで、出会えた喜びや興奮、去っていった時の寂しさの記憶が胸を締め付けます。一会にして人を魅了する稀有な人。弱者に寄せる誠実で、真摯なまなざしに突き動かされました」と回顧したうえで、氏が語ったこんな言葉を教えてくれました。



「文明社会の中で取るに足らないと思われてきたものにこそ、実は大事な価値がある。それを知らせるのが文学の役割です」



ル・クレジオ氏はヌーボー・ロマンの旗手として1960年代に文壇に登場しますが、それもつかの間、名声をあっさりと捨てて放浪の旅に出ます。中南米、アフリカ、太平洋の島々…。40作に及ぶ著作の多くは、こうした体験を踏まえ、欧米による先住民文化の破壊の歴史を綴っています。作品に共通するのは、弱者側の一方的な「怒り」ではなく、小さな声にじっと耳を澄ます深い思索の痕跡であり、自然と融和して生きる先住者への深い敬意なのです。


銀の滴
写真4(ノーベル文学賞作家としてアイヌの口承文学の紹介にも貢献しています)


作家は言います。


「他民族によって構成される社会は何と豊かで多様なことか」。



このさりげない言葉に接するたびに、「単一」に固執する愚かさをあらためて思い知らされます。件の政治家にも聞かせたい。こう強く思います。