フランス革命を機に発出された「人権宣言」は前文と17条で構成され、その第1条に世界で初めてとなる人権の概念が記されたことを前回紹介しました。


「人は自由、かつ権利において平等なものとして生まれ、生存する」


繰り返しになりますが、これこそが人類の出発点となった、名高い「人権宣言」の文言です。

この宣言について、このままあっさり通り過ぎてしまうのはもったいないので、少し立ち入って紹介したいと思います。高邁な民主主義の理念が謳われているからです。そのいくつかを見てみましょう。


コンコルド広場
写真1(人権宣言を生み出した革命の舞台がコンコルド広場です。コンコルドはフランス語で協調の意味。広場はあまりに広くて1枚の写真には納まりません。当時は凄惨な処刑の場となりました。世界一有名な大通り・シャンゼリゼはここから凱旋門まで約2㌔続きます)


コンコルド駅
写真2(この広場の下にある地下鉄コンコルド駅。3つの路線が交差しておりパリの心臓部です。駅の壁にはアルファベットのタイルが張り詰めてありますが、この文字は適当に並べてあるのではなく、人権宣言の文面が書かれています)


【第3条】(国民主権)いかなる主権の淵源(えんげん=みなもと)は本質的に国民にある。

【第6条】(法の下の平等)すべての市民は法の下に平等であり、その能力に従い、かつ、その徳や才能以上の差別なしに、すべての公的な位階、地位、職に対し平等に資格を持つ。

【第10条】(意見の自由)何人もその意見の表明が法律によって定められた公の秩序を乱さない限り、たとえ宗教上のものであっても、その意見について不安を持たないようにされなければならない。

【第11条】(表現の自由)思想および意見の自由な伝達は、人の最も貴重な権利のひとつである。従って、すべての市民は法律によって定められた場合にその自由の濫用について責任を負うほかは、自由に話し、書き、印刷することができる。

【第16条】(三権分立)権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていないすべての社会は憲法を持たない。



「人権宣言」を初めて目にする人も多いかもしれません。読後感はいかがでしょうか。18世紀後半に人類はこれほど崇高な人権意識を掲げ、自由で平等な社会の実現に向けて力強い一歩を踏み出したことに、あらためて驚かされます。そして、人権を守ることこそが人間の存在の証であると宣言した【第1条】をしっかりと胸に刻みたいと思います。そして、話を進めましょう。この1789年の「人権宣言」の理念を体現するものとして2年後の1791年、フランス初の憲法(constitution)が制定されました。


1791年憲法
写真3(現存するフランス初の憲法。人権宣言を骨子とし革命勃発後に制定されました)

この憲法は基本的に人権宣言を下敷きにしており、前文と207条で構成されます。ここで特筆すべきは、「3章1節2条」に規定された条文です。

今回のストーリーは「人権」に端を発し、「戦争放棄」へと導くのが目的でした。その水脈をたどる過程で辿り着いたのが、「人権宣言」と、それをベースに制定された憲法です。ここには「戦争放棄」につながるどんな内容が盛り込まれているのでしょうか。極めて重要なその部分を見てみましょう。


【3章1節2条】フランス国民は征服の目的をもって、いかなる戦争を行うことを放棄し、またいかなる国民の自由に対しても決して武力を行使しない。


みなさんどうですか。この条文を読んで何か感じるものがありますか。日本国憲法第9条を想起しませんか。では第9条「戦争の放棄」と比べてみましょう。
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」(第1項)


自衛官募集
写真4(憲法論争の中で常に自衛隊の存在が世論を2分してきました。これは自衛隊の㏚を兼ねた隊員募集のポスターです)

憲法第9条の話はのちほどゆっくりしますが、みなさんに認識してもらいたいのは、「戦争放棄」を憲法に規定した立法例は、実は日本国憲法が唯一無二ではないという事実です。「戦争放棄」の範囲を侵略戦争(征服の目的をもったいかなる戦争)に限定しているため、自衛の戦争、あるいは制裁の戦争までをも放棄した日本国憲法とは異なることは言うまでもありません。

しかし、戦争放棄の思想の原点は、ここフランス憲法にある。こう言って間違いありません。国家レベルとして世界で初めて「戦争を放棄する」と宣言した「公式な文言」は1791年に遡る。歴史はこう物語っています。