前回の話を読み返してみて、「戦争放棄」と「人権」の関連付けがやや唐突な印象与えてしまった気がします。そこで、その関連性について若干、補足説明させてください。


今回の一連のストーリーは、最終的に「戦争放棄」をうたう日本国憲法第9条に辿り着こうと思っていますが、ではなぜ「人権」と「戦争」が連動するのでしょうか。それは9条が規定する「戦争放棄」が国民の人権を守ることに帰結するからにほかなりません。


さきの第2次世界大戦で日本は、戦場で、銃後で、合わせて300万人もの人が亡くなりました。この膨大な戦死者、莫大な犠牲の上に、現在の日本の平和と繁栄が築かれてきたのは言うまでもありません。国家(軍部)が国民を戦場に駆り立て、無為無策な戦闘で戦死者を生む構造。これは平凡で平和な暮らしを希求する国民の基本的権利である人権の侵害行為につながる。こんな視点から、まずは「人権」について考え出したのです。


原爆ドーム
写真1(戦争の悲惨さをいまに伝える広島の原爆ドーム。人権を考えるシンボルです)

「人権」の概念はフランスに発祥し、同国はいまなお「人権の母国」の異名を取っています。その原点となったのは1789年に起きたフランス革命でした。ルイ16世の絶対王政に民衆が蜂起し、政治犯が収監されているパリ・バスチーユ監獄を襲撃したのが1789年7月14日。フランスでは「革命記念日」として1年で最も大事な国民の祝日です。日本ではなぜか「パリ祭」と呼んで、よその国の祝日を楽しみます。何とも不思議な習わしですね。

この革命によって、国王ルイ16世と王妃マリーアントワネットがパリ中心部のコンコルド広場で、断頭台の露と消えたことはみなさんご承知の通りです。フランス革命については実に膨大な書物と記録が残され、日本でも数え切れないほどの学者が研究の限りを尽くしきました。そんな中、わたしは、作家佐藤賢一さんの渾身の一作「小説フランス革命」(集英社文庫、全18冊)の通読をお勧めします。佐藤さんは、性的不能者だったルイ16世とマリーアントワネットの性生活を史実に基づいて記述していますし、革命を主導したロベスピエールが同性愛者であり、死ぬまで童貞だったことまでリアルに描き出します。


小説フランス革命
写真2(佐藤賢一さんの渾身作「小説フランス革命」。文庫18冊を一気に通読しましょう)

フランス革命の最大の果実は、ブルボン王朝による絶対王政を打倒したことはもちろんですが、「人権宣言」を明文化したことを忘れてはなりません。前回、「人権」はフランス語で「droits de l’homme」(ドロワ・ドゥ・ロム=人間の権利)と言い、英語ではなくフランス語として誕生したとお話ししました。日本でこの言葉が登場するのは1886年。幕末の蘭学者であり啓蒙思想家の津田真道(現在の岡山県津山市出身)が考案した翻訳語だったことを思い起こしてください。

では、革命を踏まえて発せられた「人権宣言」には、何が書かれていたのでしょう。原文に当たりましょう。「人権宣言」はパリの国立カルナヴァレ博物館に保存されています。フランス語で正式にはdéclaration des droits de l’homme et du citoyen。正確に訳すと「人間と市民の権利の宣言」と言います。この歴史的な宣言は、2003年にユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界記憶遺産に登録されました。


バスチーユ襲撃
写真3(人権宣言の発端は革命の勃発。バスチーユ監獄の襲撃に始まりました)


宣言はフランス革命の基本原則を記したもので、前文と17条で構成されます。その前文と第1条で「人権とは何か」を簡潔ながら的確に規定しています。以下がその前文と第1条です。


【前文】国民議会として構成されたフランス人民の代表者たちは、人の権利に対する無知、忘却、または軽視が公の不幸と政府の腐敗の唯一の原因であることを考慮し、人間の譲り渡すことのできない神聖な自然的権利を厳粛な宣言において提示することを決意した。
【第1条】(自由・権利の平等)人は、自由、かつ権利において平等なものとして生まれ、生存する。

これこそが世界で初めて記された「人権の概念」です。人間の自由と平等と並んで、人民主権、言論の自由、三権分立、所有権の神聖――が盛り込まれました。前文の構成・言い回しを含め、日本国憲法の前文、基本精神と何と類似していることでしょう。18世紀後半、世界は自由と平等、民主国家を求めて激動し、フランスでは現代とほぼ同等の諸権利を保障する人権宣言が発出されたことを考える時、国交を断絶してわが世の春を謳歌していたわが国、徳川治世に対し複雑な思いを抱かざるを得ません。


米国憲法
写真4(アメリカでは独立戦争を経て1788年には世界初の憲法が公布されました)


もし、日本が鎖国政策を取らずに海外に門戸を開いていたら。切支丹を追放していなかったら…。全く違った歴史が描かれたことでしょう。