北大の元学長で札幌日仏協会の会長を長く務めた中村睦男さんが先日、81歳で逝去されました。葬儀は近親者で済ませたとはいえ、要職を務められた先生です。胆振管内白老町に開設され、オープンを待つ民族共生象徴空間(ウポポイ)の誘致にも、アイヌ文化振興機構理事長として大きく関わりました。今後、大学やアイヌ関係者、もちろん日仏協会を含めて「送る会」などが予定されると思います。あらためてご冥福をお祈りするとともに、生前の社会活動への貢献に感謝申し上げます。


ウポポイ
写真1(白老町に完成しオープンを待つウポポイ。中村さんが誘致に奔走されました)

前回、中村さんがフランスのポワチエ大学への留学経験があり、フランス法に基づく平和憲法の研究に功績を残されたと書きました。日本の著名な憲法学者の中にはフランスで学んだ方が多く、こうした法学者によって日本国憲法の支柱である「戦争放棄(第9条)」が守られてきたことにも触れました。なぜでしょうか。これから、そんな話をしていきたいと思いますが、まず前提となる「人間の基本的権利」=「人権」について考える必要があります。

フランスはご承知の通り、1789年のフランス革命で民衆が蜂起して絶対王政を打倒、「人権宣言」を高らかに謳い上げました。「人権の母国」と呼ばれる所以です。この話はのちほどゆっくりしたいと思います。


人権宣言
写真2(フランス革命を契機に生まれた人権宣言=パリ・カルナヴァレ博物館蔵)


「人権」とは、現代を生きるわたしたち日本人にとって、「空気」のような存在です。日常を幸せに生きるうえで、国民に等しく認められた権利です。毎朝、新聞を開くと、この「人権」の文字に触れない日はありません。この1週間の北海道新聞朝刊から人権の文字を拾ってみましょう。働く者、女性、子供、高齢者、障害者、外国人、性的マイノリティー(LGBT)、アイヌの人びと、犯罪被害者。これらの言葉の後に「の人権」を付けてみてください。日々、人権にまつわる多くの事象、情報が溢れているのは、裏を返せば、人権侵害が現代社会にもたらす影響がいかに大きいかを物語っているからです。


「人権」という概念がヨーロッパに源流を持つのはご存知でしょうが、さて、日本でこの言葉が使われ出すのはいつごろだと思いますか? それは江戸時代の最終年、明治維新直前の1868年(慶応4年)のことでした。つまり、日本には江戸時代が終わるまで、「人権」という概念は存在しなかったことになります。


「人権」という言葉を初めて使ったのは、幕末の啓蒙思想家・津田真道(つだ・まみち)です。みなさんは福沢諭吉や森有礼(もり・ありのり)、西周(にし・あまね)、西村茂樹らとともにその名前に触れたはずです。西周は「哲学」(philosophy=フィロソフィー)の翻訳者として知られますが、「人権」は津田真道が発案した翻訳語だったのです。


津田真道
写真3(明治の啓蒙思想家・津田真道は岡山・津山の出身。「人権」の発案者です)


西周
写真4(同じく啓蒙思想家の西周は島根・津和野の出身。「哲学」の言葉を生み出しました)


津田は現在の岡山県津山市にあたる美作(みまさか)国津山藩に生まれ、江戸に出て蘭学を学びます。1862年には蘭学の故国・オランダの名門ライデン大学に西周とともに留学、2年間にわたる大学の講義録(憲法学)を帰国後、「泰西国法論(たいせい・こくほうろん)」と題して翻訳し、幕府の江戸開成所から出版しました。


それまで、ヨーロッパの議会制度や憲法は、中国で発行された漢文による「世界地理書」を通じて日本に紹介されてきましたが、津田真道の翻訳は中国を介さず、いわばヨーロッパ直輸入、日本初の西洋法律書といわれています。ここには欧州の三権分立制度やフランスやイギリスの憲法についても詳述されていますが、その中で、津田はフランス語のdroits de l’homme(ドロワ・ドゥ・ロム=人間の権利)の訳語として「人身上諸権」「人身の権」を当て、その省略形として「人権」と称したのです。


人間の基本的権利という意味での「人権」は津田真道が工夫を重ねることで、当時の啓蒙学者たちの間でも用いられるようになります。これが日本における「人権」の黎明期。ヨーロッパから遅れること100年が経過していました。


少し講義調になりました。そのついでに。「人権」は英語でhuman rights (ヒューマン・ライツ)と言いますが、歴史をみれば、その言葉はまずフランス語の「droits de l’homme」として誕生し、これをフランス語から英語に翻訳する形で「human rights」が生まれた。こういう順番になります。


フランスの基本精神を成す「人権宣言」を辿る中で、ぜひ知っておいてほしいことがあります。それは、日本国憲法第9条が定める「戦争放棄」についてです。みなさん、9条は戦後日本を占領したアメリカから強要されたと思っていませんか。「戦争放棄」の水脈を遡ると、実はこの「人権思想」と密接に絡みつき、革命よりさらに80年近く前の18世紀初頭、同じフランスに行き着く―。こんな、あまり知られていない事実を掘り下げたいと思います。