ローマ教皇フランシスコの訪日をきっかけに昨年12月から書き綴ってきた「信仰をめぐる旅」はそろそろ終わりに近づきました。


このテーマで旅を続けて22回目。長かったような、短かったような。不思議な気持ちです。まだまだ語り尽くせぬ話がありますが、わたしの知識不足から、ときに中途半端だったことをお詫びしなければなりません。しかし、一連の流れの中で書きたかったこと。それは、生をもってこの世に生まれたわたしたちが、限られた現世の時間を「いかに過ごすべきなのか」。ローマ教皇の来日はそんな「気づき」を与えてくれたと信じるからです。


フランシスコ教皇
写真1(フランシスコ教皇は世界を回り、隣人愛と平和を唱え続けています)


約6カ月間のストーリーを「見出し」とともに振り返ってみましょう。旅は、フランシスコ教皇がその名を求めたイタリア中部アッシジ生まれの聖人フランシスコに始まりました。聖人の一生を「貧者に寄り添い清貧であれ」「愛されるより愛すること」「自然を愛し慈しんだ聖人」「改革への小さな灯りをともす」と題して紹介しました。


続いて、日本にも洗礼名をフランシスコに求め、ローマ教皇のもとを訪れた武士がいたことについて書きました。仙台藩主伊達政宗が派遣した支倉常長です。「フランシスコに名を求めた侍」「苦難に満ちた大海原へ」「世界は激動し殺気立っていた」「沈黙が意味する悲運の運命」「ハポンさんが映す光と影」「異教徒を虐殺して守った国家」。これらのタイトルから連想できるように、支倉常長がたどった帰国後の悲運の末路を遠藤周作の代表作「侍」を読み解きながら紹介しました。

さらに、支倉常長に先立って九州のキリシタン大名がローマ教皇のもとに派遣した「4人の少年」について、苦難の旅路とローマでの栄誉、さらに支倉と同様、帰国後の悲しい結末を辿ったのです。「栄光は落日の序章だった」「ラガッツィからセニョーリへ」「『福者』になった少年」「少年が問う信仰とは」「『にこり』と笑える幸せ」。切支丹があまりに非人道的な手段で虐殺されていった時代を思う時、脳裏に浮かんだのが、さきの第二次世界大戦でユダヤ人が虐殺されたアウシュビッツの訪問でした。

ポーランド南部の古都クラクフから始まり、その近郊に位置するアウシュビッツを訪ねました。「ホロコーストの原点がここに」「地球を動かしたまち」「訪れなければならぬ場所」「『働けば自由に』の嘘と恐怖」「沈黙の祈りが意味するもの」「歴史の影を背負った言葉」。



アウシュビッツ
写真2(ドイツの歴代首相はアウシュビッツを訪れ、自国の犯した行為を謝罪し続けます)

アウシュビッツには歴代のローマ教皇も足を運び、平和の祈りを捧げてきました。ナチス・ドイツによる狂気ともいえるユダヤ人の大量虐殺。わたしたちは、その現場を訪ね、あらためて日常とともにある小さな幸せと祈り(それを信仰というのかもしれません)の大切さを考え、必ずや迎える「死」の瞬間に向けて人生を昇華させていく道のりの遠さを思いました。

そしていま、ローマ教皇に着想を得た長い旅を、どこで終えようかと考え、みなさんをお誘いしたのが、「ここ」です。

ローマ教皇はカトリックの総本山としてローマのバチカンに存在してきました。初代教皇のペトロ(337~67年)から数え、昨年訪日したフランシスコ教皇は266代目に当たります。教皇がローマに存在するのは、はるかローマ帝国時代、キリスト教が国教となったからです。当時は新興宗教に過ぎなかったキリスト教が次第に権力と密接に結びつき、「一神教」として君臨するようになるには長い、長い歴史の積み重ねが必要でした。

しかし、ローマ教皇が実はローマに存在しなかった時代があるのをご存知でしょうか。そう。1309年から77年までの68年間、ローマ教皇は現在の南フランス・アビニョンに「幽閉=捕囚」されていました。教皇でいうとクレメンス5世からグレゴリウス11世に至る7人です。「捕囚」というと、自由を奪われた悲惨な状況をイメージしますが、7人の教皇はフランス国王の絶大な庇護のもと、南仏で優雅な時を過ごしたといわれます。



アビニョン教皇庁
写真3(アビニョン中心部に構える教皇庁。堅牢な建物はキリスト教の権力の象徴です)  

アビニョンは日本人あこがれの南仏プロバンス地方の中心都市。「世界で最も美しい村」と呼ばれる村々が点在し、ラベンダーの花が咲き誇ります。パリから高速鉄道(TGV)で2時間40分。壮大な教皇庁とローヌ川に架かる「アビニョンの橋」が迎えてくれます。



アビニョンの橋
写真4(童謡で世界に知られる「アビニョンの橋」。本名はサン・ベネゼ橋といいます)

教皇は時の権力と抗争を繰り広げながら、いまや12億人もの信者を統合する精神文化の最高峰へと上り詰めました。アビニョンのまちを歩くと、「時の重さ」がずしりと迫ります。ギリシャ時代の多神教に代わる「新興・異端勢力」として登場したキリスト教。その歴史を紐解き、路地を彷徨する。ローマ時代の雰囲気を色濃く残すこのまちは、訪れる人の想像力を刺激してやみません。



どうか、ぜひ(Allons y=アロン・ズィ)!