「働けば自由になる」。



アウシュビッツを訪れ、このゲートをくぐったわたしは、戦争の狂気と恐怖に身がすくむ思いに駆られました。ユダヤ人に限らず、異なる民族や宗教、文化的背景を持つ人々がいかに共存していくか。それは人類共通の課題であり、過ぎ去った過去ではなく現在進行形でわたしたちに熟考を迫っている。こう強く思います。


前回の最後に、ナチス同様、軍国主義に突き進んだ日本について触れました。戦争という魔物に取り憑かれ、中国やアジア諸国を蹂躙し、言葉に尽くせぬ残虐な行為を繰り広げた日本。アウシュビッツはその日本に対しても戦争の闇の深さを語り掛けているのです。

昨年暮れ、アウシュビッツから発信された一本のAFP電に目が留まりました。それは、ドイツのメルケル首相がアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所を訪れたことを伝えるもので、首相のワンフレーズとともに脳裏に焼き付いています。



「ナチスが犯した罪を認めることはドイツのアイデンティティの極めて大事な一部です」



メルケル首相
写真1(「働けば自由になる」と書かれたゲートをくぐるメルケル首相=左から2人目)

記事によると、ホロコースト(大量虐殺)の象徴であるアウシュビッツの跡地をドイツの首相が訪れるのはメルケル氏が3人目。1945年1月27日に同収容所がソ連軍によって解放されてから75年になるのを記念した訪問でした。メルケル氏はこの場で、さらに強いメッセージを発しています。耳を傾けてみましょう。


「ナチスによる犯罪の記憶は、決して終わることのない国家責任です。1940年の収容所開設以来、45年に解放されるまで、100万人ものユダヤ人が命を落としたここアウシュビッツでの出来事は、ドイツにとって『深い恥』です」


メルケル氏は近年、ドイツ国内で台頭する人種差別主義やヘイトクライム(憎悪犯罪)に憂慮を示し、「反ユダヤ主義と闘うためには、アウシュビッツの記憶が繰り返し、繰り返し語られ、そのおぞましい記憶を現在、そして未来に繋いでいかなければならない」とも語りました。そのうえで、アウシュビッツの維持費用として6000万ユーロ(約72憶円)をドイツ政府が寄付する方針も表明したのです。


戦争責任を全面的に認め謝罪し続けるドイツの歴代政権。アウシュビッツの歴史を「恥」と言い切る指導者の勇気に共感します。メルケル首相が旧東ドイツの出身であることも根底にあるのでしょうか。ドイツと同様、日本は戦時中、中国・東北地方に満州国という傀儡政権を樹立し、朝鮮半島を植民地化して支配下に置きました。しかし、戦後、その責任を総括することも、両国に謝罪することもなく現在に至っています。

1990年1月、当時長崎市長だった本島等氏は「昭和天皇にも戦争責任はあると思う」と発言し、右翼に銃撃されて瀕死の重傷を負いました。みなさん覚えていますか。さきの大戦で多くの若者が天皇の名のもとに戦地に赴き命を落としました。戦死者は実に300万人に及びます。責任の所在はどこにあるのか。その重い問いは不問に付されてきたのです。


本島市長狙撃
写真2(本島等長崎市長が右翼に狙撃された事件を報じる朝日新聞)

日本各地で朝鮮人の排斥を訴えるヘイトスピーチが横行し、街頭で異論を唱える人たちと激しい衝突を起こしている現状をみなさんご存知でしょう。中国や韓国に居丈高な姿勢を貫く安倍政権を支持する目に見えない層(ネトウヨを含め)がはびこっています。その根源を辿れば、さきの大戦へと行き着くのです。


ヘイトスピーチ
写真3(川崎市ではヘイトスピーチのデモを発端に騒然とする場面もありました)

ドイツと日本は敗戦の焼け跡から未曾有の復興を果たし、ともに経済的繁栄を成し遂げました。しかし、自ら戦争責任を認め、謝罪を繰り返すドイツとの隔たりはあまりに大きいと言わざるを得ません。


アウシュビッツには歴代のローマ教皇も足を運んでいます。2代前のヨハネ・パウロ二世はアウシュビッツに近いクラクフの出身。続くベネディクト16世はドイツ人で、ミュンヘンの大司教から教皇に就任しました。2人はそれぞれ1979年と2006年に訪れました。


そして、昨年11月に日本を訪問したフランシスコ教皇は2016年7月にアウシュビッツを訪れています。その際、過去の教皇とは異なり、「沈黙」の訪問を望みました。いっさい演説をすることなく、現場でただ祈りを捧げる。その姿がいまなお脳裏に焼き付いています。



フランシスコ
写真4(アウシュビッツを訪れたフランシスコ教皇は沈黙のまま祈りを捧げました)

フランシスコ教皇の来日に想を得て始まった今回の旅は、随分長い道程を辿ってきました。もう少しお付き合いください。