大げさなタイトルを掲げてみました。「地球を動かしたまち」。その疑問に答えましょう。


いまわたしたちはポーランドの古都クラクフに来ています。目的地は、クラクフ郊外にあるアウシュビッツ強制収容所の跡地であることは前回お話ししました。


しかし、せっかくクラクフに来たので、「ちょっと寄り道」をしたくなります。このまちには、立ち寄る価値のある場所がたくさんあります。素通りするのはもったいない。少し探索してアウシュビッツへ向かうこととしましょう。


みなさんは天文学に興味がありますか? 身近なところでは、日食や月食、最近スーパームーンの写真が紙面に紹介されていて、その大きさにびっくりしました。これらは、いずれも地球と月、太陽の位置関係が絡んだ現象です。


地球が自ら動いていることは、小学生でも知っている常識です。

地球はほかの惑星とともに太陽の周りを自転しながら公転しているー。これを疑う人はいませんね。しかし、中世までは違いました。宇宙の中心はあくまで地球であり、その周りを太陽や月などが回っている。この「天動説」こそが「常識」だったのです。


15世紀に入り、ポルトガルやスペインなど欧州諸国が大航海時代を迎えると、その常識は一変します。船舶が大海原を航行し、羅針盤の技術が発達する中で、天空に輝く太陽や月、星が大事な指針となっていきます。研究が進むにつれ、天動説では説明できない現象が明らかになり、天文学者から異論が唱えられるようになります。




コペルニクス
写真1(天文学史上、最も重要な発見とされる「地動説」を唱えたコペルニクス)



そんな時代に登場したのが、みなさんご承知のニコラウス・コペルニクス(1473~1543年)。世界で初めて地動説を唱えた人物です。天文学史上、最も重要な発見として、いまなお燦然と名を刻んでいます。この世紀の天文学者を生んだのがここ、クラクフなのです! コペルニクスが歴史と伝統を誇るクラクフ大学に入学したのは1491年。大学では月の精密な軌道計算を歴史上、初めて行い、天動説に懐疑的な見解を示したアルベルト・ブルゼフスキ教授に師事したのが、天文学との出会いでした。




クラクフ大学
写真2(ポーランド屈指の名門クラクフ大学。ノーベル賞学者も輩出しています)


コペルニクスは天文学者として知られますが、実はカトリックの司祭であり、教会では司教参事会員を務め、知事、長官、法学者、占星術師でもありました。医師の資格も持っていたといいます。まさにレオナルド・ダビンチばりの「万能の天才」だったのです。


コペルニクスを生んだクラクフが「地球を動かしたまち」と称されていることを、納得していただけましたか。しかも、クラクフはダビンチにも出会える場所でもあるのです!


クラクフの旧市街を歩いていて、あまりに地味な建物なので通り過ごしてしまうかもしれません。辛子色の外壁が特徴の美術館があります。ポーランド王国時代から名門貴族として知られるチャルトリスキ侯爵家が保有、運営する「チャルトリスキ美術館」です。



チャルトリスキ美術館
写真3(見逃してしまうほど地味な美術館です。外壁の辛子色を手掛かりに)


なぜこの美術館をお勧めするのでしょう。それはルネサンスの巨匠ダビンチの描いた「白豹を抱く貴婦人」を所蔵しているからです。世界的にも数が限られているダビンチの名作の一点が、ここクラクフに存在するとは! ダビンチが一人の女性を描いた肖像画として現存するのはわずか4点。パリ・ルーブル美術館の「モナ・リザ」「ミラノの貴婦人の肖像」、ワシントン・ナショナルギャラリーの「ジネーヴラ・デ・ベンチの肖像」、そしてクラクフの「白貂を抱く貴婦人」です。と聞けば、訪れない手はないですね。



ダビンチ白貂
写真4(レオナルド・ダビンチの「白貂を抱く貴婦人」。クラクフの至宝です)


「白貂を抱く貴婦人」は1490年頃に描かれたとされますが、このダビンチの作品がなぜクラクフにあるのか、詳しい経緯は謎に包まれたままです。美術館を創設したチャリトリスキ侯爵がこの絵画を1798年に購入した記録までは遡れるそうですが…。


わたしがクラクフを初めて訪ねた時、実はこのまちにダビンチの作品があることを全く知らず、偶然立ち寄って名画と対面したのです。「驚きの瞬間」はいまなお忘れられません。


さらに世界中が知っているもうひとつのクラクフ。これが本題につながります。

1994年に公開されたスティーブン・スピルバーグ監督の代表作「シンドラーのリスト」をみなさん、ご覧になりましたか。この名作の舞台こそが、クラクフです。美しいまちの南部に広がるユダヤ人地区はアウシュビッツへと続く、悲しい歴史を刻んだまちなのです。




クラクフユダヤ街
写真5(クラクフのユダヤ人街。いまも多くのユダヤ人が居住し、商売を営んでいます)