イタリアを旅行するならどこを訪れてみたいですか。



首都ローマ、水の都ベニス、ファッションのまちミラノ、港町ナポリ、ルネッサンス発祥のフィレンツェ。ここまできて、次の都市はどうでしょう。


ヨーロッパ最古の大学都市ボローニャ、冬季五輪を開催したトリノ、ロメオとジュリエットの舞台ヴェローナ、南に目を向けると古代都市ポンペイ、美しい海岸線が広がるアマルフィ、映画ゴッドファーザーのロケ地パレルモ(シチリア島)…。




イタリアには何と魅力的な都市が散らばっているのでしょう。キラキラ輝いていますね。




では、アッシジはどうですか。イタリアを旅した人に、どこに行ってきましたかと尋ねて、「アッシジ」と聞いたことはあまりないのはちょっと残念です。きょうの旅の目的地はそのアッシジです。



ウンブリア州ペルージャ県にあるアッシジは、人口2万8000人。カトリックの信者にとっては、ローマのバチカンと並ぶ聖地のひとつです。一生に一度は訪れたい巡礼地、そう、イスラム教で言えばメッカのような存在といったら分かりやすいでしょうか。


聖地アッシジ
写真1(アッシジはイタリア中部にあり、丘陵の中腹に広がっています)



地図を開いてみましょう。長靴の形をしたイタリア半島のほぼ中心部、フィレンツェとローマの両都市からそれぞれ約130キロの位置に息づいています。



Inkedイタリア地図
写真2(アッシジの場所を確認してください。素通りすることが多いかもしれません)




ローマ教皇フランシスコの来日を機に思い着いた今回の思索の旅。約13憶人の信者を持つカトリック教会の頂点に立つ教皇は、2013年に即位した際、自らの名前をアッシジの聖人「フランチェスコ」に求めたと、前回紹介しました。

アメリカ西海岸の都市「サンフランシスコ」の語源であることにも触れましたね。



アッシジはフランチェスコの名を冠した聖堂と関連教会を含め「アッシジ・フランチェスコ聖堂と関連修道施設群」として2000年、世界遺産に登録されました。



まちは丘陵の中腹の細長い台地の上に、東西に広がる形で開けており、ちょうど西側の端にフランチェスコ聖堂が鎮座しています。壮麗なゴチック建築を前に聖人と向き合い、自らの信仰のあり方をあらためて問い直す場であり続けてきたのです。





まずは、フランチェスコとはどんな人物だったのか。簡単に振り返っておきましょう。





その生誕には所説ありますが、1181年か82年。日本でいうと平安時代の末期に当たります。源平合戦で平家が滅び、鎌倉幕府が誕生する、ちょうどそのころ。ヨーロッパでは「中世盛期」と位置づけられる時代です。


フランチェスコは、「アッシジに生まれた清貧の聖人」と言われていますが、実は、豪商の家に生まれ、幼少期は何ひとつ不自由のない生活を送っていました。ラテン語を学び、フランス語を習得し、当時としてはごく一握りの恵まれた家庭に育ったのです。


こんなセレブの生活をなぜ捨てたのでしょうか。それは、フランチェスコが神の啓示を聞いたからにほかなりません。アッシジ郊外の聖堂で祈りを捧げていた時、目の前にある磔のキリスト像から「私の家を建て直しなさい」との声を聞いたといいます。身にまとった衣服を脱ぎ棄て、聖言に従って生きていく決意をしたのは20歳のころでした。


「私の家」=「教会」の修復と祈りに身を捧げる献身的な姿に、志をともにする弟子が次々と集まります。12人の使徒で「小さき兄弟会」を発足させたのは1210年。兄弟会の名前はいまなお、カトリックの主要宗派であるフランシスコ会の正式名称として使われています。


アッシジクリスマス
写真3(年末を迎えた聖地アッシジ。まちの中心コムーネ広場の賑わいが想像できます)


44歳の短い生涯を閉じるまで、フランチェスコは多くの言葉を残しました。人生は決して受け身であってはならない。自ら行動を起こし能動的に生きる。「愛されるより、愛すること」というシンプルな言葉にこそ、その生き方が凝縮されているかもしれません。


大聖堂はアッシジの旧市街を東西に貫くサン・フランチェスコ通りの突き当りにあります。巡礼者とともに丘の坂道を登っていきましょう。


まもなく訪れる2020年が素晴らしい1年であることを、ともに願いながら!