2019年が暮れていきます。平成から令和へ。元号が新しくなる中、あっという間の1年だったようであり、それなりに長い時の流れであったようでもあり…。

みなさんはいかがでしたか。


今年も実に多くのニュースが駆け抜けました。そんな中で、どんな出来事に思いを寄せ、どのような映像や言葉が記憶に残りましたか。


私にとっては、まだ先日のことではありますが、11月下旬のローマ教皇フランシスコの訪日が、鮮明に脳裏に焼き付いています。タイのバンコクから羽田空港に到着し、風雨の中、タラップを降りた日のことがきのうのように思い出されるのです。



カトリック信者ではありまんが、4日間の日本滞在中、長崎、広島、東京で発せられたさまざまなメッセージに心が大きく揺さぶられたからです。




フランシスコ長崎

写真1(長崎の爆心地公園で市民と交流するローマ教皇フランシスコ) 



教皇の訪日は1981年のヨハネ・パウロ2世以来、38年ぶり2度目のことでした。

フランシスコは、格差と貧困、環境破壊など幅広い分野で積極的に発言してきたことでも知られていますが、今回の訪日で発せられたメッセージは、宗教の枠を超えて真剣に耳を傾けるべき「珠玉の言葉」に満ちていたといっても言い過ぎではないでしょう。



最大の目的は、世界唯一の被爆国である日本から、核兵器廃絶のメッセージを世界に向けて発信することにあったのは言うまでもありません。



長崎の爆心地公園と広島の平和記念公園で行われた演説で、教皇は繰り返し訴えました。「核兵器は、今日の国際社会や国家の安全保障に対する脅威から私たちを守ってくれるものではありません。そう心に刻んでほしい」(長崎)「戦争のために原子力を使用することは、現代において、犯罪以外の何ものでもありません。人類とその尊厳に反するだけでなく、私たちの未来におけるあらゆる可能性に反します」(広島)



その訴えは、核保有に対する非難と核抑止論の否定―のふたつに要約され、内容は極めて踏み込んだものでした。




では、翻って日本はどうでしょうか。




わが国は米国の「核の傘」に頼っています。これを理由に、政府は米国と歩調を合わせ、国連の核兵器禁止条約の批准について、拒否する姿勢を崩していません。唯一の被爆国である日本こそが条約を批准して核廃絶の先頭に立ってほしい。いや、立つべきだ。教皇のメッセージには、政府に方針転換を促す狙いもあったとみていいでしょう。


「核兵器のない世界は実現可能であり、必要不可欠です」。このメッセージに対し、日本は「核兵器禁止条約は非現実的で夢想家の夢」と門前払いの主張を変えません。いくら「核保有国と非核保有国の橋渡しに努める」と言い募ってみても、説得力を持たないどころか、国際社会の支持を得られない。私はこう思います。


いつまで米国の顔色をうかがって、追随外交を続けていくのでしょう。唯一の被爆国が泣いています。世界が落胆しています。


フランシスコは東日本大震災の被災者や福島第1原発事故の避難者との対話集会に出席し、東京ドームでミサを行い、出身母体であるイエズス会が設立した上智大学で学生と交流するなどして日本を離れました。ローマに戻る特別機の中では、原発について「利用すべきでない」との見解も表明しました。



教皇上智

写真2(上智大学で学生と交流した教皇。貧者に寄り添い清貧であれと説きました)



「歴史に残る業績の多くは、実現できると信じる理想主義者の熱意と努力のたまものである」。私はこの言葉を信じ、支持します。


サンフランチェスコ聖堂

写真3(アッシジのサン・フランチェスコ聖堂。カトリックの聖地です)



世界に約13憶人の信者を持つカトリック教会の頂点に立つ教皇は2013年に就任しました。名前の由来はイタリア中部アッシジに生まれた清貧の聖人「サン・フランチェスコ」に求めたのです。アメリカ西海岸の都市「サンフランシスコ」の語源ともなったアッシジの聖人です。


その生誕地は、首都ローマとルネサンス発祥のフィレンツェのちょうど中間に位置し、世界遺産に登録されています。教皇をめぐる思索の旅に出てみましょう。