スペインの巨匠パブロ・ピカソと「ゲルニカ」を巡る旅が終わりに近づきました。


わたしたちは首都マドリッドの中心部にあるソフィア王妃芸術センターでピカソの傑作「ゲルニカ」と向き合っています。

縦3.49㍍、横7.77㍍。横長のモノクロの大作を前に、視線をどこに置いたらよいかと戸惑います。ふつうなら左から右へと目を移していきますが、この作品は物語を追う展開にはなっていないのです。


ゲルニカ批判

写真1(「ゲルニカ」はモノクロで色彩がなく、物足りなさを感じる人もいます)




前回、この絵は複雑なようで意外に単純だとお話ししました。4人の女性に死んだ子供、横たわる兵士を含め計6人の人間を配置し、そのほかに牡牛と瀕死の馬が各1頭、ニワトリ1羽、灯りを内在した目のような不思議なオブジェがひとつ。これが主な構成要素です。



これらが何を意味するのか。美術界ではすでに研究が尽くされているうえ、私はその専門家ではありませんので、たとえばこんな考え方があるということを列挙しましょう。


*牡牛=ファシズム・残虐性の象徴
*瀕死の馬=虐げられた人民の象徴
*灯火を持つ女性=真理・真実
*子供の死体を抱く女性=ゲルニカ爆撃の被害者
*駆け寄る女性=ソ連の隠喩(遠距離から即座に共和国を支援した国)
*建物から落ちる女性=ピカソ自身、あるいはイエス・キリストの象徴
*内部に電球が描かれた光源=神の目。すべてを明るみに出す証人
*机の上のニワトリ=精霊、平和の象徴

 

ただ、この作品に定説はありません。それは、ピカソが生前、多くを語ることなく世を去ったからです。日本ではピカソの研究家として知られる美術史家・宮下誠氏の以下の解釈が支持されているようです。


「キリスト教的黙示録のビジョン、死と再生の息詰まるドラマ、ヒューマニズム救済の希求、すべてを見抜く神の眼差し、それでも繰り返される不条理な諍いと死、人間の愚かしさと賢明さ、人知を超えた明暗、善悪の葛藤、象徴的表現の最良の結果」



みなさん、どうでしょうか。この絵の前に立ち、それぞれの部分を統合した全体の構成から、こうした分析を受け入れることができますか。



ゲルニカ研究の第一任者である宮下氏は著書「ゲルニカ~ピカソが描いた不安と予感」(光文社新書 850円)の序章で、ゲルニカへの懐疑の視点から、次のような問いを投げかけました。それは、いまなお戦争から脱却できず苦しむわたしたちにとって、本質的な意味を持つと思い、全文を引用してみます。


黒幕

写真2(原田マハさんの「黒幕のゲルニカ」=新潮文庫。興味が沸いたら一読を)




「『ゲルニカ』が戦争の愚かさを我々に迫る力を持っているとしても、『反戦画』としての『ゲルニカ』が9.11の同時多発テロとその後に展開した不条理を知るわたしたちに、身に迫る戦争の恐怖と不安を十全に告発するだけのアクチュアリティ(現実性)を持っているだろうか。抽象的な反戦のシンボルとしては機能しても、どこかお題目のような、決まり事のようなよそよそしさが漂っている。そう受け取られる劣化が『ゲルニカ』を覆っているのではないか」

「いやそうではない。劣化しているのはむしろ、わたしたちの感受性の方かもしれない。その答えは、本書を読み進める中で自(おのず)と見つかるだろう」


そう、「ゲルニカ」に関心を持った方は、宮下氏の著書を読み進め、感性を研ぎ澄まして、その答えを発見してもらいたいと思います。そしてぜひ、「ゲルニカ」を巡る旅、ピカソに触れる旅に出かけてみましょう。

ピカソ自画像

写真3(ピカソ20歳の自画像です。パリのピカソ美術館で見られます)



旅の最後になりますが、巨匠ピカソは、「レ・ミゼラブル」の著者ビクトル・ユゴー同様、絶倫でした。英雄色を好む! ピカソは生涯2回結婚し、3人の女性との間に4人の子供を設けましたが、愛人関係を持った女性は一体、何人いたのでしょうか。これが莫大な遺産相続をめぐる骨肉の争いに発展したことを考えると、ピカソも安らかに眠っていられませんね。



ピカソ、ゲルニカを巡る美術散歩にお付き合いくださり、ありがとうございました。