若い人と話をする中で、口癖のようになってしまった「バルセロナへ行きなさい」。では、このまちに行く目的は? かの有名なガウディのサグラダ・ファミリア教会を見学するためでも、熱狂的なサッカーを観戦するためでもありません。若き日のパブロ・ピカソに出会うため。こうお話ししました。




バルセロナの旧市街ゴチック地区に「ピカソ美術館」はあります。1963年に開館した美術館は1314世紀に建てられた宮殿5つを改築してひとつにした建造物。歴史ある建物を見るだけでも価値があるのですが、内部にはピカソが幼年期から少年期に描いた作品を中心に4251点という膨大な作品が展示されています。



ピカソ美術館
写真1(バルセロナのピカソ美術館)




ピカソはバルセロナと同じ地中海に面した南部マラガに生まれ、18951904年までバルセロナで過ごしました。このまちで美術学校に通い、10代の多感な青春を送ったのです。



その後、ピカソはパリに移り、その後の生涯をフランスで過ごしますが、ことあるごとにバルセロナを訪ね、旧友と親交を深めました。いわば「第2の故郷」です。


本題に入る前に、ひとつ、みなさんに質問を。




ピカソ美術館があるのはバルセロナだけはありません。いくつ存在すると思いますか?




文豪ビクトル・ユゴー原作のミュージカル「レ・ミゼラブル」札幌公演にちなんで、ユゴーの女性遍歴の話をした際、パリの歴史地区・ボージュ広場に面したビクトル・ユゴー記念館をぜひ訪ねてみましょう。こう提案したのを覚えていますか。



実は、この記念館から徒歩数分の場所に「パリ国立ピカソ美術館」があります。ピカソ美術館といえば、愛好者がまず頭に浮かべるのがこの美術館。質量ともに圧倒的規模を誇っています。



パリ、バルセロナのほか、ピカソ美術館は生誕地のマラガにもあります。フンラス国内にはカンヌとニースに近いアンティーブとヴァロリスに同名の美術館があります。さらに1973年、ピカソは91歳で死去し、ニース郊外の自宅に近いヴォ―ヴナルグ城に埋葬されますが、この城もピカソの作品を所蔵していて、隠れた“ピカソ美術館”と言われています(この城は不定期に一般公開されています)。つまりヴォ―ヴナルグ城を含めると全部で6か所あるのです。



これだけ多くの美術館が存在するのは、とりも直さずピカソがギネス記録に登録されるほど多作な芸術家だったからです。生涯に描いた油絵と素描は1万3500点。版画に及んでは10万点もの作品を残しているのです。



私の自慢は、ヴォ―ヴナルグ城を除く5か所のピカソ美術館を訪ねたことがあることです(笑)。どの美術館も、それぞれ個性があって、甲乙つけがたいのですが、どこが一番好きかといわれれば、迷わず答えます。


バルセロナだと!



中世の雰囲気が漂う石畳の小路と建物が醸し出す独特の雰囲気。ピカソのエネルギーが充満する館内。ここには、画学生だったころのピカソの、「ごく普通の作品」が、これでもかというほど並んでいます。基礎を固め、習得する画家の真摯な姿勢とともに、画布からは非凡な才能がほとばしっています。絵の前に立つだけで、言葉にならないほどの感動に包まれること請け合いです。



幼少の頃から、ピカソの才能は飛び抜けていたといわれています。凡庸な絵画教師だった父親はその才能に早くから気づき、それを自在に伸ばすため、自らは絵筆を折る決断をしました。親にして、わが子への嫉妬を抱かせるほどの才能を備えていたのです。父と子の凄いところは、その才能に甘んずることなく、「基礎」を徹底的に学ぶ(ばせる)努力を怠らなかったことです。



バルセロナのピカソ美術館に行ったら、必ずや足を止め、時間を忘れて見入ってしまう作品があります。それが、「科学と慈愛」と題した油絵です。1897年、ピカソが16歳の時に描いた作品で、数々の賞を総なめにし、国内美術界で絶賛を浴びました。


ピカソ「科学と慈愛」(1897年)
写真2(ピカソ16歳の作品「科学と慈愛」)



伝統的かつ写実的な手法で描かれたこの作品は、わたしたちが親しんでいるキュービズム以降の“ピカソらしい絵”とは全く異なります。少年とは思えぬ表現力と技巧に、息を飲み、立ち尽くすのです。



写真1:中世の宮殿を改装してつくられたバルセロナのピカソ美術館

写真2:16歳にして巨匠の才能を思わせる「科学と慈愛」