前々回、フランスは男女の関係に極めて寛容な愛の国、仮にスキャンダルが発覚したとしても、私事であれば「それがどうしたの?」で済まされる。こんなことを書きました。

それではモラルはどこにあるのかと疑問に思う方も多いでしょう。もちろん、フランスは法治国家。レ・ミゼラブルに登場したジャン・バルジャンの宿敵ジャベールのように、社会秩序と正義を守るシステムはしっかり確立されています。ビクトル・ユゴーだって法の束縛から免除されることはありません。


「絶倫」「性欲の塊」と言われ、女性との関係を重ねていたユゴーにとって、これからお話しする「事件」は、文豪として、さらには国会議員として社会的、政治的地位をはく奪されかねない、人生最大のピンチだったといっていいでしょう。



一体何がー。






時は1845年7月5日の深夜、場所はパリ・オペラ座に近いサン・ロック通りのとあるアパルトマン(集合住宅)の一室でした。

パリ在住の画家が警察に対し、「妻の浮気の現場を取り押さえてほしい」と内偵を依頼、その申請に基づいて、警部2人が指定された部屋に踏み込んだところ、案の定、画家の妻が男性と性行為に及んでいる現場を取り押さえたのです。職務質問に男は、貴族院議員だと主張したうえ、議員の不可侵権をたてに、その場で逮捕されることを断固拒否しました。




警部は躊躇しましたが、国会議員を名乗る男のド迫力に圧倒され、その場から逃がしてしまったというのです。逃亡を許した理由については、さらに諸説ありますが、その中には「男のいち物があまりに大きくて驚いたから」といった“珍説”まであるといいます。




この男がだれだか分かりますね。そう、ビクトル・ユゴーです。




では、ユゴーとベッドを共にしていた女性は?

leonie
写真1

この女性はレオニー・ビヤール(L éonie Biard)と言い、職業は「小説家・劇作家」。ユゴーとは文筆をなりわいにしている共通点があります。そう、2人は1843年にパリの文学サロンで知り合い、それから親密な交際を続けていたのです。密会場所はきまってサロン近くのこのアパルトマンでした。



もちろんレオニーは人妻です。夫はオーギュスト・ビヤール(Auguste Biard)。ビヤールは画家であるとともに探検家として知られ、北極やアマゾンを旅した経験をもとに、雄大な自然を題材とする絵画を描きました。レオニーとの婚前旅行は北極だったというので、当時としては極めてユニークなカップルだったわけです。



2人に子供はなく、レオニーは新婚直後から文学サロンに入り浸り、ユゴーと恋仲になります。すでに文学界の重鎮だったユゴーと関係を築くことは、駆け出しの女流作家にとってはまたとないチャンス。たとえ文豪の性欲のはけ口になっても…です。

しかし、オーギュストは妻の不貞を許しませんでした。用意周到に警察に内偵調査を依頼し、見事“大捕り物”に成功したー。これがことの顛末です。



議員特権を使って難を逃れたユゴーは、一時的に公的活動から遠ざかってスキャンダルが収まるのを待ちました。政治家の立場を使って、ビヤールにベルサイユ宮殿の壁画を描く仕事を与えたとも言われます。ピンチを脱するのに必死だったユゴーの焦りが容易に想像できます。



一方、レオニーは姦通の現行犯で逮捕、収監され、釈放後は修道院で謹慎期間を過ごしてから社会復帰しますが、夫から離縁を宣告され、1855年に正式に離婚しました。

ユゴーはその責任を痛感したのか、正妻アデール・フーシェ、愛人ジュリエット・ドルーエに続いて、レオニー・ビヤールを「第3夫人」とし、最後まで生活の面倒をみました。女性関係の代償がいかに高くつくかを思い知ったか、知らなかったか…。




ユゴーの女性をめぐるトラブルは枚挙にいとまがなく、究極は息子の恋人を奪い取って関係を持ったこともあるといいます。ジュリエットの身の回りの世話をする小間使いの女性にもちょっかいを出し、草むらで性交したといった話まで伝わります。ここまでくると、もはや「病気」といってもいいかもしれません。




そんなビクトル・ユゴーがいまなおフランス人の敬愛を集め、どんな田舎町に行っても彼の名前を冠した通りが存在するのはなぜでしょう。ユゴーの死を国葬で送り、葬列に加わったパリ市民は200万人にのぼったといわれる、その理由は何でしょう。「レ・ミゼラブル」の発売日、書店に人々が殺到し、初版が2日で売り切れたのはどうしてでしょう?



その理由を知りたい人は、パリに行きましょう。パリを代表する歴史地区のひとつマレ地区。フランス革命の発祥となったバスチーユ広場に近接するこの地区の中心部・ボージュ広場の一角に、「ビクトル・ユゴー記念館」がひっそりとたたずんでいます。

ユゴー記念館
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写真1 ユゴーの第3夫人となったレオニー・ビヤール

写真2 パリ・ボージュ広場の一角にあるビクトル・ユゴー記念館