ミュージカル「レ・ミゼラブル」の全国公演が、先日の札幌公演で大千穐楽を迎えました。それを祝した「感謝の夕べ」(東宝主催)が東京・千代田区の東京會舘で23日夜、開かれ、札幌公演に携わった弊社社員3人とともに参加してきました。主演のジャン・バルジャン役を演じた旭川出身の福井晶一さんをはじめ出演者が勢ぞろい、悪徳テルナディエ婦人を演じた森公美子さんの司会で、賑やかに乾杯の宴が繰り広げられました。皆さん、それぞれの役と重圧から解放されて、実にいい表情をしていました。最後は「民衆の歌」を大合唱し、今年の公演の成功を締めくくりました。素晴らしい舞台、本当にありがとうございました。

 

 

ところで、きょうは、「レ・ミゼラブル」の原作者ビクトル・ユゴーの女性遍歴(女性狂いと言う研究者もいます)についてお話するときがきました。

フランス文学者の鹿島茂さんは、著書「『レ・ミゼラブル』百六景」(文春文庫)の中で、ユゴーについて「最晩年まで女狂いが止まなかった。女中に手を出すことなど何とも思わない男だった」と書いていますし、同じく仏文仏学者の西永良成さんも「『レ・ミゼラブル』の世界」(岩波新書)で「とてつもなく性欲が盛んだった」とユゴーを紹介しています。

こうした性欲過剰は軍人だった父親譲りともいわれています。

 


では、どこから始めましょうか。



ユゴーは幼馴染だった良家の子女アデール・フーシェ(180368年)と1821年に結婚します。パリのセーヌ左岸・カルチェラタンに近いサンシュルピス教会で催された婚礼は実に豪奢なものでした。



Adele_Hugo

写真1(アデール・フーシェ)





これは婚約時代の逸話ですが、ユゴーはアデールの家に招かれ、話が浮気の話に及ぶと、激しい口調で「妻がほかの男と関係を持つようなことがあれば、夫は妻を殺すか、自殺すべきだ」と主張したといいます。志操堅固な保守的な家庭人。こんなユゴー像が浮かびますが、その後の彼の行動を考えると驚きです…。


新婚当初は、その言葉通り、アデール一筋。3男2女を設けました。

しかし、アデールはほぼ毎晩の夫婦関係、1年ごとに子供をはらませる、夫ユゴーのあまりの性欲ぶりに恐れおののき、2人の間に隙間風が吹き始めた。こんな説もまことしやかに語られています。

 



ときは1833年。ユゴーは劇場で舞台女優のジュリエット・ドルーエと出会います。稲妻の一撃とはこのことをさすのでしょう。女優の驚くばかりの美貌に、逢った瞬間、衝撃を覚え、その場で「一生君を離さない」と告白します。ユゴーは「妻以外で初めての女性だ」と語っていますが、真偽のほどは分かりません。ユゴーとジュリエットはその後、50年にわたって愛人関係を結んだことを考えると、いかに一撃が激しかったかを物語っています。



2人が愛人となったのはこの年の2月19日。


これは、レ・ミゼラブルの中で、マリウスとコゼットが結婚する日付と一致しています。これはユゴーが小説の中で、自分の恋愛体験をそのまま反映させたといえるかもしれません。



Juliette_Drouet_(Noël)

写真2(ジュリエット・ドルーエ)

 

毎年夏になると、2人はノルマンジー、ブルターニュ、南フランス…と旅を重ね、訪れた思い出の地はレ・ミゼラブルに次々と登場します。ジャン・バルジャンが仮出獄し、マドレーヌ市長になったまちを覚えていますか? 英仏海峡に面したモントルイユ・シュル・メールという小さなまちですが、ここも2人で夏のひと時を過ごした、忘れ得ぬ場所だったのです。


ジュリエットとの恋愛に溺れる一方で、ユゴーは執筆にも情熱を燃やし、作家として、詩人として、名声を高めていきます。いわば、野心と上昇志向の権化と化していったのです。



もちろん、アデールとて愛人を作った夫を許しません。対抗措置として、パリの社交界で生きていく道を選びます。夜ごとの激しい夫婦関係から解放され、自由に羽ばたいていく姿が目に浮かびます。フランス社会ならではの寛容さ。もはや貞操の観念は通用しません。




ユゴーも実は、ジュリエットにぞっこんと思いきや、それでは満足できず、実に多種多彩な女性の間を遍歴するようになり、女性関係は乱れに乱れていきました。



そこで発覚したのが、1845年に起きた大スキャンダルだったのです。

 




写真1 ビクトル・ユゴーの正妻 アデール・フーシェ

写真2 50年間にわたりユゴーの愛人だった舞台女優ジュリエット・ドルー