ミュージカル「レ・ミゼラブル」は10日の開幕以来、連日、満員御礼が続き、17日、11公演を締めくくる千穐楽で感動の幕を下ろしました。

会場の札幌文化芸術劇場hitaruに足を運んでくださった皆さま、楽しんでいただけたでしょうか。弊社主催の近年にない大出し物が無事終了したことに対し、あらためて感謝申し上げます。東宝をはじめ関係者の皆様、出演者の方々…。言い尽くせぬ「ありがとう」を送りたいと思います。

 

レ・ミゼラブル (002)

 

レ・ミゼラブルは欧米や日本など、世界各国で上演されている一大ミュージカルです。10年ほど前、主役を務めた17か国のジャン・バルジャン役が一堂に会して、それぞれの国の言語で「民衆の歌」を歌うイベントが英国で行われました(日本からは鹿賀丈史さんが参加)。レ・ミゼラブルが世界規模で愛され、上演され続けていることの証です。原作者のビクトル・ユゴーも、自分の作品がこんなことになっているとは、墓場でびっくりしていることでしょう。

 

ユゴー

 

きょうは、そのユゴーの女性遍歴についてお話しすることを、前回のブログでお約束していました。



レミゼを紹介する初回、ビクトル・ユゴー(1802年~1885年)はフランスのどんな田舎町に行っても彼の名前を冠した通りがあり、いまなお国民に親しまれている国家的シンボルだと書きました。ユゴーの葬儀が国葬で営まれ、遺体がフランスの偉人を祀るパンテオンに葬られていることがその証拠です。


そんな偉人であるユゴーが実は、私生活では「絶倫と言われるほど女性好きだった」と書くと、皆さんは驚かれるでしょう。日本で、もしユゴーほどの著名人の女性スキャンダルが発覚したらどうでしょう。たちまちマスコミが殺到し、国民から軽蔑され、失脚する。そんな光景が浮かびます。

ところが、ここは「愛の国」フランスです。女性関係にこれほど寛容な国もありません。文豪の女性問題など、大半の人は無関心、あるいは無視。「それがどうしたの?」。



第2次大戦後、フランスは第5共和政として国家を再建し、国民の直接投票によって大統領を選出してきました。ドゴールにはじまり、ポンピドゥー、ジスカールデスタン、ミッテラン、シラク、サルコジ、オランドと続き、現在はマクロン氏です。みなさん、名前は聞いたことがあるでしょうか。




私がパリに滞在したのはミッテラン氏の社会党政権からシラク氏の保守政権へ移行した時期でした。

当時、大統領の任期は7年。ミッテラン氏は2期務めたので14年の長期政権。その末期に話題になったのが、「隠し子」の存在です。大統領がダニエルさんという正妻とは別に、ルーブル美術館の学芸員を務める女性との間に隠し子を設けていたことを、成長した娘の写真とともに、週刊誌(パリ・マッチ)がすっぱ抜いたのです。

日本ならそれこそ大騒動に発展し、政界引退に追い込まれるところですが、フランス国民の反応は冷静そのもの。全く盛り上がりませんでした。しかも、ミッテラン大統領がパリ・マッチの報道を受けて、マスコミに答えた言葉がけだし名言。


「エ・アロール(Et alors)?」。日本語に訳せば「それがどうしたの?」でした。



日本でも作家の渡辺淳一さんが、これに着想を得て、同名の連載小説を200203年に北海道新聞の朝刊に連載したので、覚えている方もいるでしょう。

 

フランスでは私生活をめぐる女性問題は話題にしないという伝統があります。裏を返せば仕事をしっかりしていれば何も問題ないのです。隠し子がいようが、いまいが…。それよりも、ミッテラン大統領はその知性と容姿、よどみない弁論術などから理想の大統領像と尊敬を集め、「国父」として慕われました。

 

ミッテラン

 

こんなお国柄。「絶倫」だったビクトル・ユゴーが、女性問題をもって、自らの地位と名誉を貶められることはなかったのは当然です。レ・ミゼラブルを執筆した文豪として、後半生は国会議員(貴族院議員)として名をはせたユゴーは「フランス統合のシンボルであり、ナポレオン以上に国民に広く親しまれた存在」(仏文学者・鹿島茂氏)であり続けたわけです。


 

レミゼを観た方々に、原作者の女性関係を暴露するのは気が引けますが、やはりお約束したことですので、次回こそ、ユゴーの絶倫ぶりに触れてみましょう。



 

写真1 レ・ミゼラブル札幌公演の初日の舞台を終え、カーテンコールで観客の声援に応える出演者たち(北海道新聞写真部提供)

  

写真2 ビクトル・ユゴーは女性が大好き。「精力絶倫」と言われています

 

写真3 ミッテラン大統領は機知に富み、頭の切れ味は歴代大統領の中で抜群でした