ミュージカル「レ・ミゼラブル」はブログの進展を待ってくれません! 10日、札幌文化芸術劇場hitaru(ヒタル)で華やかに幕を開け、17日までの11公演がスタートしました。
パリの7月革命(1830年)に着想を得た大規模な民衆蜂起、その混乱の中でセーヌ川に身を投じる宿敵ジャベールの死、民衆蜂起の先頭に立つマリウスとコゼットの恋の成就、賑やかな婚礼、そしてコゼットらに見守られて天に召されるジャン・バルジャン…。血沸き、肉躍る第2部とエピローグはどうぞ、舞台でご堪能ください。

老婆心ならぬ老爺心から、ぜひお話しておきたいことがふたつあります。

ひとつ目は、言わずもがな、レ・ミゼラブルはミュージカルであることです。舞台を彩る名曲の数々に心を奪われます。とりわけ有名なのは、政府の圧制に抗議し、決起する若者や学生たち、それに賛同する市民が次々と加わる場面で歌われる「民衆の歌」(原題:A la volonté du peuple)です。
  
  戦う者の歌が聴こえるか 鼓動が あのドラムと響きあえば
  新たに熱い命が始まる 明日が来たとき そうさ 明日が
  列に入れよ われらの味方に 砦の向こうに 世界がある
  戦え それが自由への道

このメロディーを聞いて、わたしたちが言葉に表せぬ高揚感を覚えるのはなぜでしょう。それは、この詩がわたしたちの魂を鼓舞し、生きる勇気と希望を与えてくれるから。同時代を生きたドラクロワの名画「民衆を導く自由の女神」を想起させるから。そう、ミュージカルの舞台構成はこの絵画を基に作られているのです。


ドラクロワ

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市民の力で革命を起こし、社会を根底から変えてきたフランス。国王を断頭台に送り、世界で初めて人権宣言を掲げた国。その主役はあくまで国民だ。権力に決して迎合しない。「小さくても怒りの声を上げよう」。このミュージカルは観る者にこんなメッセージを発し続けているのです。だからこそ、言葉にならない高揚感に満たされるのだと、私は思います。

そして、老爺心のふたつ目。それは、ジャン・バルジャンとジャベールの関係です。これがレ・ミゼラブルのストーリー展開の核をなしているのはみなさんお気づきでしょう。


jean valjean

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Javert

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ツーロンの徒刑場の看守から、警部にまで上り詰めたジャベール。その生い立ちはミュージカルでは触れられません。小説によれば、ジャベールは刑務所の中で女トランプ占い師の子として生まれ、父親も徒刑囚でした。自らの出身階級に強いコンプレックスを抱いていたため、権力の象徴ともいえる警察官を目指します。彼の感情を支配するのは、権威への尊敬と反逆に対する憎悪ですが、性格は極めて真面目で厳格そのものです。
ジャン・バルジャンの不正を暴くことに命を懸けたジャベールがミュージカルの最終章でセーヌ川に投身し命を絶ちます。なぜ? 銀の燭台を盗んだ罪を償うため、過去を清算して、清く美しく、純粋に生きようとするジャン・バルジャンに対し、ジャベールの心のどこかに、尊敬と敬意の念、すべてを許す感情が芽生えたとしたら…。それを否定する気持ちとの葛藤にさいなまれて……。こう解釈することも可能でしょう。

著者のビクトル・ユゴーは小説の中で、ジャン・バルジャンもジャベールも「生涯女性を知らなかった」とあえて記しています。つまり、ふたりとも童貞だったわけです。そう考えると、この二人の関係にどこか、同性愛的な要素が込められているのでは…。これはうがちすぎでしょうか。
小説の舞台となったモントルイユを紹介した際、ビクトル・ユゴーがかつて、このまちを愛人と訪れた忘れ得ぬ場所であり、作家自身、「絶倫」と言われるほど女性関係が盛んだったことに触れました。つまり、ジャン・バルジャンはユゴーとは対極にある人物として描かれたことになります。
次はユゴーの女性遍歴をテーマにしてみましょうか。

さて、hitaruで開幕した公演は順調に進んでいます。ジャン・バルジャン,コゼットなどは日によって演じる役者が違いますが、どの演技も、どの歌声も、感動ものです。
みなさんよりひと足早く、ゲネプロ(公演前の通し稽古)で観せてもらいました。「役得」にお許しを。

写真1:ウジェーヌ・ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」(ルーブル美術館蔵)。門外不出の名画は「日本におけるフランス年」に合わせて1999年、東京・上野の国立博物館に1か月間、貸与・展示されました
 
写真2:ジャン・バルジャン  写真3:ジャベール