レ・ミゼラブルの時代背景について、前回、大事な史実を記し忘れました。

ナポレオン・ボナパルト(1769年~1821年)の登場と没落です。

混乱の世にすい星のごとく現れ、皇帝に就いたのが1804年。レミゼのストーリーが始まる1815年には、セントヘレナ島へ永久追放されて失脚していますが、物語のあちこちでその英雄譚が語られます。その孤高な姿をジャン・バルジャンに仮託したと解釈する研究者もいるようですが、少し無理があるかもしれません。



ナポレオンに興味のある方は、直木賞作家の佐藤賢一氏がこの8月から、長編小説「ナポレオン」(集英社)を3巻分冊で発刊しますので、ぜひ手に取ってみては。



 

さて、本筋に戻ると。

パリに棲み処を得たジャン・バルジャンが、ある約束を果たすために行かなければならなかった場所があった…。そこからです。


目的地はパリの東15キロにあるモンフェルメイユ。会わなければならなかった人物とは。物語のヒロインであるコゼットです。

ジャン・バルジャンが市長を務めたノルマンジーのまちモントルイユで、自らその死を看取った女性についてはすでに触れました。名はファンテーヌ。薄幸を絵に描いたような女性でした。


ファンテーヌはモントルイユで生まれ、15歳でパリに出て女工に。ここで大学生と知り合ったものの、弄ばれて捨てられ、身に宿していた女の子を出産します。この子がコゼットです。ミュージカルのパンフレットや書籍の表紙に、必ず描かれている少女、といえばわかるでしょう。フランス版「おしん」と言っていいほど、不幸をすべて背負い込んだ少女。希望ある未来は彼女に訪れるのでしょうか(訪れるのです☆)。



cosette
写真1


 

パリ近郊のモンフェルメイユは、ファンテーヌが故郷モントルイユに戻って人生をやり直そうと決意し、コゼットを抱いて偶然通りかかったまち。ここで安宿を経営するのが、悪を絵に描いたような夫婦テルナディエです。ファンテーヌは見ず知らずのこの悪徳夫婦に、支度金を払ってコゼットを預け、故郷へ戻る。無理筋な展開ではありますが、レミゼではよくあること。気にせずに。


ファンテーヌの死に際に、コゼットを取り戻すことを約束したジャン・バルジャン=マドレーヌ市長=にとって、パリの棲み処に落ち着くとすぐ、その約束を果たそうとしたのは、正義感あふれる主人公として当然の行動だったかもしれません。



いまでこそパリのベッドタウンとして発展するモンフェルメイユも19世紀初頭は貧しく寂しい農村。写真は20世紀初頭に撮影されたビクトル・ユゴー大通りです。小説の舞台となったモンフェルメイユにとって、文豪の名前をまちで最も大事な通りに冠したのは、小説の舞台となった誇りの表れ。まちのホームページをみると「レ・ミゼラブルで光が当てられなければ、このまちは何の変哲もない田舎町であり続けた」と自虐的に書かれています。まさにユゴー様さま。


MONTFERMEIL_-_Avenue_Victor-Hugo
写真2


深い森の中へ、毎晩水汲みに行かされるコゼットがジャン・バルジャンと真っ暗闇の一本道で出会うシーンは、わざとらしくはあるもののドラマチック。このシーンが全編を通じて最も感動的だと評する研究者がいるほど。弱者に対するビクトル・ユゴーの愛と共感がこの場面に凝縮されているからです。ミュージカルではさらりと通り過ぎてしまうシーンですが、ぜひ小説で読み返してみてはどうでしょう。これでもかというほどの描写です。



天涯孤独のジャン・バルジャンがコゼットの父となるー。感動的な場面です。


 

 

強欲で悪徳のテルナディエに法外の金を支払い、コゼットを引き取ったジャン・バルジャンはパリへと向かいます。まちは学生や民衆の暴動が頻発する不穏な情勢。ジャベール警部やテルナディエ夫婦など、これまでの登場人物がなぜかパリに集結し、コゼットの連れ合いとなるマリウスなど新たな人物も加わって緊迫の第2幕へ。月日は流れ10年が経過します。

大団円の舞台としてユゴーが用意したのは、1832年の民衆蜂起でした。

暴力的な反乱以外に意思表示の方法を持たなかった当時の「惨めな人たち(レ・ミゼラブル)」が行き着く「必然」だったのです。



写真1 レ・ミゼラブルのパンフレットや小説の表紙に必ず使われるコゼットの挿絵

写真2 コゼットが「おしん」のような幼少期を送ったモンフェルメイユ。20世紀初頭のはがきにビクトル・ユゴー通りが記録されている