前回、レ・ミゼラブルの時代設定は1815年~33年だと書きました。これはとりもなおさず、主人公のジャン・バルジャンがツーロンの徒刑場から釈放されてから、64歳で死亡するまでの時の流れです。
レミゼの18年間とは、いったい、どんな時代だったのでしょう。
自由・平等・博愛を標ぼうして王様(ルイ16世)と王妃(マリー・アントワネット)を断頭台に追い込んだフランス革命(1789年)から約25年。人権を保障した民主国家が成立すると思いきや、実は革命の進展を嫌う「保守反動・特権階級」が再び息を吹き返し、自由を渇望する「庶民」と激しい抗争を繰り広げていきます。貧しいものはより貧しく、富めるものはより豊かに。格差が固定、拡大し、あちこちで大衆による蜂起、暴動が頻発、社会全体が不穏で、重苦しい雰囲気に覆われていたのです。
こうした時代背景を踏まえて、話を進めましょう。
第一幕の舞台は南仏ツーロンから一転、英仏海峡に面した中世都市モントルイユへ。これはすでに紹介しました。ツーロンから直線で1500キロ。新しい人生を生きようと決意したジャン・バルジャンにとって、過去と決別するには十分な距離感がある設定です。
モントルイユは人口2000人の小さなまちですが、フランス人の多くがこのまちの名前を記憶しています。「ジャン・バルジャンがマドレーヌと名前を変えて市長になったまち」「レ・ミゼラブルで最も大事な舞台」。こんな答えが返ってくるはずです。
函館の五稜郭を想像してみてください。五稜郭では毎年、市民劇団が光と音で演出する野外劇を開催しているのをご存知でしょうか。そのモデルのひとつが、実はここモントルイユにあります。五稜郭の築城もこの写真の通り、そっくりです!
モントルイユのホームページを開いてみましょう。今年も7月26~29日、8月2~5日に恒例である「Les
Misérables」の野外公演が開かれたことが大きく掲載されていました。
出演者はすべて地元のボランティアで、総勢500人。2時間半の劇は、衣装や舞台セットを含め、すべてまちの人たちの手づくりです。しかも、世界各地で演じられているプロの興行にも決して劣らぬ演出と迫力。これで観覧料は大人19ユーロ(約2200円)。もちろん、主人公のジャン・バルジャンは毎年、市民公募で選ばれます。
レミゼの札幌公演で心を揺さぶられた人の次の行き先は? それはパリやニューヨーク、ロンドンの大劇場ではなく、モントルイユです。私はパリ滞在中、幸運にもその野外劇を鑑賞する機会に恵まれました。いまも忘れません。言葉にならない感動が胸を満たしたことを。
この小さなまちで昔から、レミゼの公演が続いてきたのは、冒頭触れたように、主人公ジャン・バルジャンがこのモントルイユの市長を務めたからにほかなりません。
このまちは、貧しく薄幸のファンテーヌ(レミゼのヒロインであるコゼットの母親)の生まれ故郷であり、ツーロンの徒刑場の看守だったジャベールが警察官に転身して警部を務めるまちでもあります。登場人物がまるでメロドラマのように奇跡の出会いを果たす不思議なまち。レミゼの大事な、大事な舞台回しの場所。
野外劇は小さなまちの人々が誇りを胸に、ずっと守り続けてきた宝です。これこそが「文化の力」だと思った瞬間でもありました。
次のまちへ急がなければなりません。
ジャン・バルジャンはその後、犯罪者の過去が暴かれて市長の座を追われ、再び投獄→脱獄→逃亡…に身をやつします。ようやくパリで棲み処を得たジャン・バルジャン。ある約束を果たすために、行かねばならないまちがありました。
それは、パリの東15キロにあるモンフェルメイユ。
写真1:五稜郭を思わせるモントルイユのまち。フランスの築城法を五稜郭が採用したので、こちらが本家です
写真2:モントルイユで毎年上演されるレミゼの野外劇。地元の人々500人がボランティアで参加します