山崎の後任社長に就任しました。

社長ブログを引き継ぎます。迷いなくこう約束したものの、何を書いたらよいのやら。時が過ぎ、一向に筆が進みません。ぐずぐずしていると、チコちゃん、いや前社長に叱られそうなので、まずは自己紹介で見切り発車。

加藤利器(りき)と申します。


広辞苑を開くと、「文明の利器」の用例とともに、「よく切れる刃物」と書かれています。ちょっと怖いですね…。初対面の方からは「変わった名前。何と読むの。としきさん?」と言われ続けてきました。親は理科系を志向させたくて命名したようですが、大学は文学部。フランス文学などというやわな学問を専攻し、見事その期待を裏切りました。

さて、いまや東京スカイツリーがでんと聳える東京は墨田区業平(なりひら)で産湯を浸かり、寅さんのような義理人情の世界にもどっぷり浸かった幼少期。その後、隅田川に別れを告げ、荒川、江戸川を超えてディープな千葉県で小中高。大学は仙台へ。ここまで来たなら、まだ北がある。新天地で新たな人生を!

こう思い立って目指したのが北海道新聞です。

当時、新聞記者はあこがれの職業で、道新はリベラルな論調でマスコミ志願者に名を轟かせていました。首尾よく入社できたのは1979年(昭和54年)。といえば年齢が分かりますね。

夜行列車と青函連絡船を乗り継いで辿り着いた早朝の札幌は深い霧が立ち込めていました。この霧の向こうに何が隠れているのか。待ち受ける仕事への期待と不安を重ね合わせ、武者震いしたのを忘れません。

月日は流れ、39年。函館、倶知安、札幌、東京、北見…。政治・経済・社会・国際・論説…。いろいろな場所で実にいろいろな仕事をしてきました。直近の3年間は道新北見支社の支社長。オホーツクの自然を満喫し、食を堪能しました。


ひまわり

文化・スポーツ事業を企画・運営する弊社に来たのは偶然のことです。でも、チケットを購入するという利用者の立場で、ずっと愛着を持ってきた会社です。道民の生活に彩りを添える仕事に携われることにいま、強い誇りを感じています。39年ぶりに武者震いの喜びです。

実は「文化」については素人ながら、それなりにこだわりもあります。次回から職場の些事を含め、お話ししていきましょう。

マイペースで発信しますので、皆さんご愛読のほど、よろしくお願いします。

 

写真説明 いまごろオホーツクはひまわりが満開。澄み渡る青空。ゴッホの作品を彷彿させる景色が広がります