このごろ話題になっているものに「eスポーツ」があります。
要は対戦型のコンピューターゲームの腕を競うことを、スポーツとして楽しもうというわけです。
伝統的なスポーツ愛好家には「そんなのスポーツじゃない」と、顔をしかめる向きがまだまだ多い。「e」スポーツは「悪い」スポーツだと言わんばかりなのですね。
しかし、米国や中国、韓国では、多額の賞金をかけた大会が開かれて大勢の観衆を集め、選手(プロゲーマー)は社会的に尊敬の対象になっているのだそうです。
市場規模は全世界で約1000億円。今後は年率13%で伸びていくという予測(NTTデータ)もあるのだとか。
いずれオリンピックの正式競技になるだろうとも言われています。
わたしは対戦型のコンピューターゲームには興味がなく未経験ですし、ゲーマーといわれる人たちがゲームで勝利するためにどんな訓練を積んでいるのかも知りません。
かといって伝統的なスポーツに思い入れがあるわけでもありません。体を動かすのは苦手で、伝統的スポーツにつきものの「汗」とか「根性」とかに、無条件に感動してしまうようなスポーツ経験はほぼゼロです。
ですが、職業柄、大勢の人が動くイベントには興味がわきます。
つまり、eスポーツにあまり先入感は持っていないつもりです。
ただし、ごく一般の子供たちにコンピューターゲームを奨励することには中立的ではいられません。
ゲーマーが英雄視されることと、ゲーマーを目指そうとする子供たちが続々現れることとは切り離せるのか。すっぱりと「別物だ」と割り切れればいいのですが。
子「将来はゲーマーになる」
親「偉い! うんとゲームをして頑張るんだよ」
なんだかなあ。
世界保健機関(WHO)が総会で、ゲームのやりすぎで日常生活が困難になる「ゲーム障害」を新たな依存症として認定したそうです(2019年5月26日北海道新聞)。
「ゲーム脳」という言葉がありました。未発達な脳にとって、コンピューターゲームの刺激はかなり悪い影響を与えるというのは、確かなようです。
伝統的なスポーツ、野球やサッカーに打ち込んだ少年が、肩や足腰に故障を抱えることはままあります。それらと、ゲームが脳に与えるダメージを同等に考えることはできないでしょう。
一般の応援にしてもそうです。サッカーの敗戦がサポーターの暴動を引き起こすことがあります。それがサッカーではなくてコンピューターゲームだったら。なぜだか、人類の終末を連想してしまって、そら恐ろしい(SF映画の見過ぎ?)。
これは勘繰りになりますが、eスポーツ奨励の背景には、関連業界の「カネ儲け主義=巨大な利権」が横たわっている感じがする(自分が『大勢の人が動くイベントには興味がわきます』、などと言ったばかりですが)。機器やソフトの特定のメーカーが得る利益は、伝統的スポーツの用具メーカーが受ける利益とは比較になりますまい。
オリンピックを盛り上げたい人たちも、eスポーツを支持する若者たちを振り向かせるという「利益」を強く意識しているでしょう。
そんなこんなを考えると、eスポーツが「大繁栄」する未来は、あまり想像したくない、というのが現時点でのわたしなりの結論になります。
以下は、まったく別の付け足し話。あまのじゃくなわたしは、伝統的なスポーツがともすれば軍隊用語で語られることに違和感を抱いてきました。応援している人たちに向かって監督や選手が「ともに戦いましょう」などと呼びかけるのを聞くと、そこから離れたくなります(ちょっとオーバーに書いてます)。
ゲームはゲームとして楽しむ(打ち込む)のがいい。ゲームに参加するのは「戦い」ではなく、あくまでも「プレー」の精神でやってほしい。命をやりとりするものではないのですから。