亥年選挙の前半戦が終わりました。
立候補者が少なくて選挙が成立しなかったり、成立しても低い投票率にとどまったりしてしまう、いわゆる低調な選挙が目立ちました。
地方自治の空洞化などという識者の警告も目立ちます。
やぶにらみにしかすぎませんが、わたしも何か書いてみたい誘惑にかられます。
わたしがまだ若い新聞記者だったころ、選挙の投票率は悪くても70%台でした。
つまり、成人の70%以上が特定の期間、特定の目標に向かって動く大イベントが選挙だったのです。
そして、選挙の結果を受けて行われる「政治」は、あまねく国民・住民の暮らしに影響する。こんなでかいものは他にありません。
政治記者のはしくれとして、仕事は楽しかったし、誇りも持てました。
しかるに、今の選挙の体たらくです。
16年ぶりの新人対決となった知事選の投票率が6割に届かない。
道議選ですら無投票の選挙区がある。
考えられません。
イベントを仕事にする立場からこれをやぶにらみしますと、このイベント、要するに魅力がないのです。参加する気が起きにくい。
これを楽しめるイベントにする。その方法を考えるべきだ。
考える主体は誰か。
まずは政党です。
日本の政党は長く、別の目的でつくられた団体(経済、労働、宗教…)の政治部門にとどまってきました。政党助成金という名の税金を食べていながら、いまだにそれらしい仕事をしている政党がほとんどない。議員が集まれば政党を名乗れると勘違いしている、軽薄で愚かな政治家たちが多すぎる。
ちゃんと綱領をつくり組織をつくり党員を育て有権者にアピールする働きをせよ。そしてスター候補者を発掘せよ。
ほらね、選挙が楽しそうになってきたでしょう?
政党に次ぐのは…。
学界であり言論界、マスコミ(あえてメディアとは言わずこう呼ぶ)でしょう。内向きの議論ばかりしていないで、「お客様」が来てくれるような「イベント開催」に知恵を絞るべきだ。
歴史観をもって時の政権にきちんと向き合え。特にテレビの政治報道は、わたしのような元玄人でも見ているのがつらい。生活者が関心を持って見られるような、まっとうな番組をつくってほしい。
教育もそうです。政治を教えるのは確かに難しい。しかし、政治教育は消費者教育と同じです。まじめに考えられる有権者を育てなければ、見た目はいいけれども有害な商品に手を出してしまうかもしれない。その悪影響ははかりしれません。
実際、そうした傾向は日本でも、海外でも見られるではないですか。
以上はやや精神論。なかなかすぐにうまくはいかないかもしれない。でも、地道にやっていくしかありません。
個別的対症療法としては、選挙の仕組みを変えることです。
選べ、と言われても、実は選べないのが今の選挙。与えられた候補者のなかに、自分たちの代表と思える人がいないケースが多い。まともな人ほど選挙に出たがらないということもある。
これではイベントとしての魅力などとてもありません。今、変えないと大変なことになるという危機感を持つべきです。
たくさんの候補予定者を立てて予備選を行う。
個人ではなく政党に投票できるようにする。あるいは複数の候補に按分投票できるようにする。
テーマによっては住民投票を選挙と同時に行う。
1人1票ではなく、例えば子供を持った親には1票を超える投票価値を認める。
などなど、これまでも、いろんな案が出されてきました。
かつて、無投票当選を認めない選挙制度の提案もありました。議員選挙では定数はあくまでも仮の定数として、告示段階で仮定数に満たない場合は、立候補数マイナス1を正式な定数とする、というものです。仮定数10の議会に9人しか立候補届がなかったら、正式定数は自動的に8として選挙を行うのです。
意欲ある立候補予定者がいるのに、調和を重んじるマチのボスが抑え込んでしまうなんてことが、無投票の裏にはたまにあります。こうすれば立候補者は逆に増えそうな気がしますが、どうでしょうか。