珍しいCD(若いころはレコード)を見つけると手に入れたくなる困った性癖があります。
古いものでは、マジャール語で歌われたワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(もとはドイツ語)、ハープで弾かれた「アランフェス協奏曲」(もとはギター)など。
最近ではハーディーガーディー(ベルギーの民族楽器。手回しヴァイオリンのようなもの)で弾かれたバッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番や、オーケストラ用に編曲されたブラームスのピアノ三重奏曲第1番など。



でも、最近オンライン中古で手に入れたこいつは、そんなレベルをはるかに超えたヘンなCDです。今回は、これを紹介しちゃいます。



前回のブログでドナルド・キーンさんの「音盤風刺花伝」を紹介しましたが、それで思い立ったことです。前回、あえて割愛した「音楽と文学」について、キーンさんはこんなことを書いているのです。



<わたしは自分が、オペラから大いなる楽しみを得るのは、その文学的連想のせいなのだろうかと思うことがときどきある。オペラのリブレット(台本=筆者注)のほとんどは、文学としては高く評価されていない。(略)音楽抜きの《トロヴァトーレ》(ヴェルディ作曲のオペラ=筆者注)の公演を聴きに行くことなど想像できるだろうか>



さあ、「おかしな」CDの登場です。



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ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」(以下「指環」と略します)の朗読です。音楽は一切なし、朗読のみで収録時間は6時間30分14秒。CD8枚組。
どうです、そうとうヘンでしょ? 2007年ウィーンで収録され、ドイツの col legno 
社から出ています。

「指環」は、世界一長いオペラといわれ続けています。
4つの楽劇「ラインの黄金」「ワルキューレ」「ジークフリート」「神々の黄昏」から成ります。実際の上演には各楽劇1夜ずつ、計4日間を要します。
演奏時間は通して14時間ほど。CDだと12枚から14枚のセットとなります。台本を読むだけだと早いので、6時間半ですむのですね。

ちなみにこのCDセットで朗読しているのはスゥエン―エリック・べヒトルフというオペラ界では有名な演出家。もちろんワーグナー作品もいくつも演出しています。ワーグナーが総譜に記したト書きもほぼ全部、読んでいます。

ドイツ語に堪能なわけでもない身ゆえ、朗読についての論評は差し控えますが、ワーグナー楽劇の肉も骨もそぎ落とし、いわば神経系だけを取り出したような言葉の数々が、不思議な力をもって迫ってきます。
キーンさんがこれを聴いたらなんといわれるか。気になるところです。


ワーグナーは、台本を自分で書いたオペラ作曲家なので、台本ができた段階で仲間を集めて朗読会を開くことがよくありました。
有名なのは、歌劇「ローエングリン」の朗読会。当時、彼が拠点にしていたドレスデンで催され、その席には市内に住んでいた大作曲家のシューマンも出席していました。
出席者は一様に作品に感激したそうですが、それをオペラにすることについては、シューマンは「いったいどんな音楽になるのか想像がつかない」という趣旨の感想を述べたといいますし、他の有力な出席者は「オペラ化など考えない方がいい」といさめたとか。


ただ、ワーグナーが書いた音楽はすばらしく、今日も人気の演目となっているのです。


「ローエングリン」は上演時間3時間半ほど。全編朗読したとして、所用1時間強というところでしょうか。それでもなかなかすごい。
ましてや「指環」(!)。

キーンさんが知らないはずはないのですが、ワーグナーのオペラ台本は、ドイツ文学者の間で長らく研究の対象となっています。とりわけ最後の作品「パルジファル」に登場する女性クンドリーは謎の存在とされ、研究論文は数えきれないほどある、といっても過言ではないでしょう。
ワーグナーの作品に関しては「文学としては高く評価されていない」とは言えない、数少ない例外だと言えると思います。

それにしてもこのヘンな「指環」のCD、全部を通して聴くことは死ぬまでないだろうなあ。