ブルーノ・ガンツさんに続いて、身の程をわきまえずに、偉大な人の追悼文を書きます。
ドナルド・キーンさん(2019年2月24日没)。

キーンさんは、この人がいなければ、日本文学が世界に知られる機会がずっと遅れていたか、あるいはその機会が今日までないままだったかもしれない、という「恐るべき」日本通でした。

しかし、わたしがキーンさんを気にかけてきたのは、やっぱり、音楽を通じてなのです。
以下、わたしの、まったく偏ったキーンさん追想。

出会いは「レコード芸術」(音楽の友社)という月刊誌。わたしは学生時代から今まで購読し続けていますが、まさに学生の頃、キーンさんは「音盤風刺花伝」という連載を書いていた(中矢一義氏訳)のです。それを読むのがわたしの楽しみでした。

タイトルからすでに「日本通」があふれでていますね。能の世阿弥(1363-1443?)が遺した理論書「風姿花伝」をもじった。

連載は1975年から。雑誌連載としてはかなりの長文でした。雑誌そのものはもう廃棄して手元にないので、後に出版された単行本を手掛かりに書き進めます(各回16ページの分量です)。
タイトルを拾ってみると



「わたしの好きなレコード」

「“本場の音”」

「オペラは何語で歌うべきか」

「男と女」


…。


そして

「音楽と文学」



キーンさんは両親が集めていたSPレコードと蓄音機(若い人にわかるかな?)でオペラに親しむところから音楽歴をスタートしたといいます。
ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場はじめ欧米のオペラハウスに頻繁に通い、マリア・カラス(ギリシャ出身のソプラノ)やキルステン・フラグスタート(ノルウェー出身の同)、ルチアーノ・パヴァロッティ(イタリア出身のテノール)など、もはや伝説となっている名歌手たちの生のステージに数多く触れました。
こぼれ話ですが、あるオペラの海賊盤では、終演後の拍手に混じってキーンさんの「ブラヴォー」がはっきりと聞き取れるそうです。

音楽評論家ではないけれど「批評耳」は確かで、音楽会と妙につながっていないだけに(こう書くと音楽評論家に失礼か?)、まずいものははっきりと指摘していて痛快です。

例えばカラスが歌った「トスカ」(プッチーニ作曲のオペラ)については、こんな具合です。

<《トスカ》は、演劇的にはまったく不出来なうえに、プッチーニの音楽は、モーツァルトはいうに呼ばず、ヴェルディの傑作ともぜんぜん比較にならないものではあるが、カラスはその公演を一生涯忘れることのできない事件にしてくれたのだった。この音楽的、演劇的経験を拒絶し、たとえば、ウィーン・フィルによるメンデルスゾーンの《イタリア交響曲》を取る者があろうなどとは、わたしにはとうてい想像がつかない。たぶんわたしの音楽の好みは純粋ではないのかもしれない。だが、わたしは少なくともスノッブではない!>

ワーグナーの「タンホイザー」は嫌いだ、と断じてみたり、ベートヴェンの5番(交響曲「運命」)、9番(交響曲「合唱付き」)はなくても構わない、と告白したり、本当に縦横無尽に自身の音楽観を披歴しています。

「音楽と文学」についてもダイジェストしてもいいのですが、割愛します。いずれにしても、ちょっと読んでみたくなるのではないでしょうか。

キーンさんの人物に触れる機会が、わたしにあったはずはありません。でも、テレビなどのインタビューに答える姿を見るにつけ、恐るべき教養人にして懐の深い人、という印象を強く持ちます。

このごろ、教養に不足し、包容力のない人が変に力を持ったり、テレビに出すぎたりしているのを見ると、いっそうその感を強くするのです。

キーンさんは最晩年まで旺盛な執筆意欲を失わず、生前に出版できなかった著作があるといいます。そしてそのうちの1冊が、4月に刊行されるそうです。


タイトルは「ドナルド・キーンのオペラへようこそ!われらが人生の歓(よろこ)び」(文芸春秋)。

出版されるのが楽しみでなりません。