あけましておめでとうございます。
わたしは、いつになくまったりとした年末年始を過ごしましたが、受験生や受験生がおられる家庭はきっと、世間の浮ついた空気とは別物の緊張感に包まれていて、今も包まれていることでしょう。
こんなことを思ったのは、予期せずブラームスの名演CDと出会ったからです。
実は、ブラームスとシューマンは、わたしの大学受験、それに大学の卒業論文制作の思い出と切り離せない存在なのです。
受験生に助言できることなど何も持ち合わせないわたしですが、後になってその時間をまったく別の角度から愛おしく思い返す時がくるかもしれない。
そんな一例となるかもしれない個人的経験を、年の始めに書いちゃいます。
当時、今から半世紀も前ですが、NHK-FMに「大作曲家の時間」という番組がありました。音楽の大河ドラマ版といった番組で、大作曲家の作品の数々を1年かけて、その生涯の紹介とともに聴いていくのです。
高校受験生当時はシューマンの年。シューマンの音楽は受験勉強の友だったのです。
そして、それから何年かたって、大学の卒業論文の執筆と口頭試問対策をしていた当時は、同じ番組がまだ続いていて、ブラームスが主人公でした。ブラームスの音楽とともにわたしは何とか大学卒業資格を得たのです。
高校受験当時は、クラシック音楽を聴く家庭環境になく、レコードを買うお金もなかったので(もちろんユーチューブなど想像の外)、NHK-FMは欠かせない「音源」でした。
大学4年の時は、アルバイト収入もありましたが、出費は別の方に向かっていて、いわゆる大作曲家の作品を系統だてて聴くことなど、とてもかないませんでした。
受験勉強をちゃんとしていたのか、まともに卒論と向き合っていたのか、もう忘れてしまいましたが、「ながら」で2人の大作曲家の音楽を聴いていた自分をはっきり思い出すことができますし、その音楽はわたしの人生にかけがえのない彩りを与えてくれることになります。
シューマンとブラームスは子弟関係。ともにピアニストから出発して作曲家となり、4曲の交響曲、少数のピアノやヴァイオリンのための協奏曲、数多くの室内楽曲、歌曲、ピアノ曲を残した、よく似たタイプの作曲家でした(オペラはシューマンがやっと1曲、ブラームスはゼロ)。しかし、生涯は対照的でした。シューマンはクララという素晴らしい伴侶を得、多くの子供にも恵まれた家庭人でした(晩年は悲惨でしたけれど)が、ブラームスはシューマン一家と親しく交わり、クララとの間で恋愛感情も絡んだ複雑な魂の交流があったがために、生涯独身を通したのでした。
ブラームスの音楽に漂う「切なさ」は、ここに由来すると言われることが多い。
で、この年末年始に出会ったブラームスの話になります。
周期的に聴きたくなる曲に「ピアノ三重奏曲第1番」があります。愛称がついているわけではなく、有名曲とは言えませんが、最初に現れる主題は、青春の息吹を感じさせる歌謡調の旋律でまことに魅力的です。何種類かの手持ち音盤に、たまたま中古盤で見かけたピリスとデュメイ、ワンのトリオの録音を仲間入りさせたのです。

これがもう、泣けてくるほどの名演。繰り返し聴くこととなりました。
録音は90年代半ば。当時から評価は高かったと思われますが、あまのじゃくのわたしは、発売元が名門ドイツ・グラモフォンであったために敬遠してきたのでした。
何がそんなにいいのか。もちろんピリスのピアノは素晴らしいのですが、カギはズバリ、チェロのジャン・ワンだと思います。旋律が高音に向かうところで絶妙のディミヌエンド(音量抑制)を効かせる、それも超絶的美音で。ボーザール・トリオもオリバー・シュニーダー・トリオも、アンゲリシュとカプソン兄弟のトリオも、表現はもっとそっけなく、こんなに泣かせてはくれません。
いいなあ、チェロはいいなあ。
「大作曲家の時間 ヨハネス・ブラームス」のテーマ音楽だったピアノ四重奏曲第3番の第3楽章をワンのチェロで聴いてみたいと痛切に思いますが、録音はないらしい。
人生は短く、芸術は長い。
こんな時に引用する言葉ではないと知りつつ、言ってみたくなります。
深く人の心に残る機会を数多く提供できたら - ことしの仕事の抱負
ワンのチェロのようにギターを歌わせる技術とセンスを - ことしの趣味の抱負
ことしもつまらないことを書き連ねると思いますが、よろしければお付き合いください。