もう30年以上も前になりますが、旧東ベルリンのベルリン州立歌劇場でワーグナーのオペラ「タンホイザー」を見ました。わたしの初めてヨーロッパ歌劇場体験でした。

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ベルリンの文化地区ウンター・デン・リンデンの「顔」です。プロイセン王フリードリヒ2世(1712-1786年)の命で建設され、1742年にこけら落とし。第2次大戦中のベルリン空襲で破壊されましたが、55年に再建。旧東ドイツ時代はもちろん、統一後もドイツ・オペラの殿堂として君臨してきました。


その歌劇場の全面改修がこのほど行われ、昨年、にぎやかに再開しました。2010年に始まった工事は、さまざまな困難に遭って予定より3年も遅れたのでした。


再建のドラマがドキュメンタリー「ベルリン州立歌劇場の再建」として制作されました。札幌で新ホールの建設工事が大詰めを迎えているなかだけに、CATVのクラシック音楽専門チャンネル、クラシカ・ジャパンが放映したのを興味深く見ました。

ドキュメンタリーの特徴は、そこで働く人々を丹念に取材したことです(アンネ・オステルロー監督)。職場としてのオペラハウス、そこで働く職人や労働者にとっての劇場再建の意味を問いかけているのです。

歌手たちや専門技術を身につけた若い職人たちは、新しい歌劇場の完成を思い描きながら、旧劇場の思い出を語り、感謝の言葉を捧げます。
専属の歌手たちは再建工事中は、市内のもうひとつの有名劇場シラー劇場で歌います。スター歌手たちはその間も、世界の歌劇場に出演し、喝さいを浴び続けます。

しかし、大道具・小道具やその運搬、館内の清掃など、単純作業にかかわってきた高齢の職員らは、取り壊しとともに職を失うのです。

勤続37年の大道具係の男性は「あと数年で定年を全うできるのに、新しい劇場の完成を待ってではもう働けない」と、うらめしそうに語ります。それだけではありません。旧東ドイツ出身者の年金は、旧西出身者より30%も低い、というのです。旧東時代の払い込み金額が算定基準になっているからで、東西格差が厳然と残っているのです。
職種でも差別されています。勤続50年の男性が働く運搬部はほとんどが旧東ドイツ出身者か、統一後世代の学生アルバイトだといいます。新劇場に彼の働く場所はありません。ピエロ志望だった別の男性は、旧東時代に家族が亡命したため当局から目を付けられて夢を阻まれ、統一後も下積みの人生を送らざるを得ませんでした。

2010年、あと数か月で職場がなくなるという最終シーズン。プッチーニの「ラ・ボエーム」やチャイコフスキーの「エフゲニー・オネーギン」が上演される劇場で、床ふきをしたり、デッキブラシに寄りかかってリハーサルに聞きほれたりする職員たちの姿が映し出されます。

分断国家の「後遺症」は日本では想像するしかありません。では、職種の格差はどうでしょう。
今では、運搬も清掃も別の専門の会社が請け負って、働く人たちはひとつひとつの現場に感傷を持つようなことはないでしょう。現場がなくなれば、次の現場を求めていくだけのことです。
企業活動としては合理的でしょうが、「その仕事がどんな役に立っているのか」は、働く者からは見えにくい。



照明係の男性が語った言葉が胸に残ります。「仕事を愛していなければ(退職が)こんなにつらくは感じない。晴れ晴れと辞められるだろう」



EU諸国のなかで、ドイツが経済的に最も成功したのは、労働市場の流動化に果敢に取り組んだからだ、と言われます。そんなドイツで、歌劇場のこの職場は取り残された「聖域」だったのかもしれません。文化の殿堂の裏側からその歴史を、スタッフとして見続けることができたのですから。

新歌劇場のこけら落としには、シューマン作曲の「ゲーテのファウストからの情景」が、オペラと演劇を融合した新構成で上演されました。同じチャンネルで全編が放送されましたが、素晴らしい舞台でした。

上演のプロローグ、前口上のナレーターとして往年の名ソプラノ歌手、アンナ=トモワ・シントウが登場しました。
わたしが30数年前にみた「タンホイザー」でヒロイン、エリーザベト役を歌っていた歌手です。これにも因縁を感じてしまいます。

そして、終演後にも見どころが待っていました。カーテンコールに、ドキュメンタリーに登場した職員たちが登場し、観客たちの大きな拍手を受けたのです。誇らしげな顔に見えましたが、内心にあったのは涙でしょうか、あきらめでしょうか、それとも恨みでしょうか。

参考までにクラシカ・ジャパンの番組ホームページを載せておきます。

http://www.classica-jp.com/program/detail.php?classica_id=CU1767

写真は旧ベルリン州立歌劇場(2007年の来日公演のプログラムから)。新劇場の外観は、これをほぼ再現している。