平昌オリンピックが盛り上がっています。
鍛えに鍛えた力、磨きに磨いた技を競い合うだけでもすごいのに、結果がでるやいなや「4年後」の目標に向かって再び鍛錬を開始するという選手たち。
そのストイックな姿勢に、怠け者のわたしは、感動どころか畏怖さえ覚えます。
そんな素晴らしい競い合いに水を差すかのようにさまざまな課題が、今回ほど目立つ大会もないのではないか。
政治色、天候と競技時間の問題、開幕前からある「五輪」知的財産保護の問題などです。
根底に「国別対抗」「商業主義」があるわけで、いかんともし難い面も多いことは認めざるを得ません。
それにしても、もっと競技自体を楽しむ、超人のパフォーマンスに純粋に酔いしれる大会であってほしいものだと思います。
うろ覚えですが、こんな言葉があるそうです。
新聞はスポーツ面が一番。この面には、人間が成し遂げたすばらしい成果が載っている。それに対し、1面、社会面には人間がやってしまった醜い行いの報道が多すぎる。
醜いこと、許せないことを報じるのを怠っては、新聞の使命は果たせませんし、そうしたニュースをひとりひとりがきちんと読み、理解しないと民主制はなりたちません。
ですが、スポーツの世界にまでそんなニュースが割り込んでくるのは困りものです。
さて、
オリンピックと言えば思い出すCDがありますので、余談として付け加えます。

16人の作曲家による歌劇『オリンピーアデ』
マルケロス・クリシコス(指揮)ヴェニス・バロック・オーケストラ(EU輸入盤 naïveレーベル)=写真=。
題名の通り、イタリア・バロック時代の16人の作曲家による同じ台本のオペラから、ところどころを取り出してつなげたものです。
16人にはハッセ、ガルッピ、パイジエッロ、ヴィヴァルディ、ヨンメッリ、ケルビーニ、チマローザなどがいます。何人かはご存知の名前もあるのではないでしょうか。
オペラの舞台は古代ギリシャ。ある町の支配者がオリンピック・ゲームを催します。競技の賞品は彼の娘。勝者は彼女と結婚することができる。ところが、彼女には相思相愛の青年がいて…。
青年の友人、その恋人で父王に交際を反対されているために身分を隠している王女などが登場し、はらはらどきどきさせた挙句、最後はめでたしめでたしの幕切れとなります。
18世紀のイタリア・オペラは、作曲家ではなく台本作家が主役だったそうです。中でも人気だったのはピエトロ・メタスタージオ(1698-1782)という人。モーツァルトの「ティートの慈悲」も原作は彼でした。で、彼の「オリンピア―デ」は最大の人気作で、何と60人以上の作曲家が作曲したというのです。
このCDは、代表的な16人の「オリンピア―デ」全曲の中から場面に沿って優れた曲を選び出してつなげた、というわけです。
はっきり言ってキワモノで、おそらく日本で入手するのは困難(ヴィヴァルディの全曲盤はどこかで買えるかもしれない)ですが、同じように聞こえるバロック作品ながら作曲家の個性がわかり、それなりに意義のある試みだと思います。
以上は、知っていても何の役にも立たない余談でした。お付き合いありがとうございます。
ことしも、忘れたころに書き込んでいくことにしますが、こんな役に立たないことが多くなるかもしれません。