2020年10月

アイヌの幻 なぜフランスに

ダイバーシティー(多様性)の大切さを考えたい。そのきっかけとして、アイヌ文化の奥深さから話を説き起こしました。多様性とは「違いを認め合う」ことは言うまでもありません。お互いを尊重し、相手を思いやり、理解を深める。いまを生きるわたしたちにとって、多様性とはいわば一人一人の「個性」と言って間違いないでしょう。


前回と前々回、読書の秋にぜひ手にしてもらいたい「2冊」として、船戸与一の「蝦夷地別件」と武田泰淳の「森と湖のまつり」を取り上げました。いずれも、道東の豊かな自然を舞台に、アイヌの躍動的な姿が新鮮な感動と驚きをもたらす大作です。北海道に暮らすわたしたちだからこそ分かち合える共感、共鳴といってもいいでしょう。



アイヌへの果てなき夢を追って、これからみなさんとフランス散歩に出ようと思います。




ブザンソン
写真1(みなさんをお誘いするのはフランス東部、スイス国境に近いブザンソンです)


一連のブログの中で、わたしは自分自身の過去の経歴として、北海道新聞の記者時代、約5年間パリで暮らす機会があったことに触れました。1年間はジャーナリズムの研修生として、残る4年間は特派員として過ごしました。いずれも家族とともに生活したため、パリは「第2の故郷」といった身近な存在です。


滞在中、政治、経済を含め激動の20世紀末を経験しました。ダイアナ妃の事故死もありましたし、サッカーのワールドカップフランス大会も。そこで出会った数々の人たちとの交流、育んだ友情に、言葉では尽くせぬ感謝の気持ちが溢れます。思い起こせば、良いことも、悪いこともありました。仕事の面で言いますと、達成できたもの、達成できなかったもの……。その中で、宿題として残った「あること」が、いまもなお、忘れられません。


「宿題」とは、アイヌに関するミステリー…です。それは北海道にとっても「果たせぬ夢」として残っている。こう言っても過言ではないかもしれません。


アイヌとフランス。みなさん、このふたつを結びつけるストーリーを何か思い浮かびますか。一見、唐突に思えるこんな話を進めていこうと思います。それは、アイヌの文化がいかに豊かで多様かを考える材料にしたいとの強い思いからです。


波響
写真2(主人公となるのは松前藩の家老で松前応挙と呼ばれた画家の蠣崎波響です)


話は1984年(昭和59年)に遡ります。いまから36年前の10月26日。この日の北海道新聞を手にした読者の多くがこの記事に目を留めたことでしょう。わたしもその一人でした。一体、何が? 朝刊1面を埋め尽くしたのは、極めて異色な記事だったのです。



横見出しは「蠣崎波響の幻の名作 夷酋列像フランスで11点発見」
縦見出しには「専門家の鑑定結果 真筆間違いない」とあります。



名作の絵画とその発見に貢献した人物の写真とともに、「蠣崎波響」「夷酋列像」の解説を加えた、堂々のトップ記事。いわゆる道新の「特ダネ」でした。


夷酋列像
写真3(ブザンソンで見つかった夷酋列像。忽然と姿を消し、フランスに眠っていたとは!)


政治や経済をテーマとする1面トップは日常的ですが、こうした文化ネタでトップを張るのはあまりないことです。裏を返せば、それほど価値の高い話題であったことが分かると思います。


記事のクレジットは【ブザンソン(フランス東部)浜地隼男特派員】とあります。浜地さんはすでに鬼籍に入られていますが、わたしの5代前の道新のパリ特派員だった方です。

おそらく、蠣崎波響や夷酋列像について知識のない方も多いと思います。まずは浜地さんの書いた記事の前文を読むと、概要が分かりますので、その記事をそのまま紹介します。

<江戸時代、“松前応挙”とうたわれた松前藩家老で画家の蠣崎波響(かきざき・はきょう)の「夷酋列像(いしゅうれつぞう)の11点がスイス国境に近いフランス・ブザンソン市立博物館に収蔵されていた。夷酋列像は、アイヌの長老ら12人を描き、時の光格天皇にも上覧された波響の代表作だが、忽然と姿を消したため幻の名作と称されてきた。これらの作品が倉庫に眠っているのに気づいた同博物館が、専門家に鑑定を依頼したところ、「波響の真筆と考えて間違いない」との鑑定結果が出た。波響の代表作がなぜ、フランス東部の地方都市に眠っていたのか。誰が日本から持ち出して、この博物館に収蔵したのか。12点のうち1点が欠落しているのはなぜか…。美術関係者の間で大きな話題を巻き起こしている>


ブザンソン博物館
写真4(蠣崎波響の幻の名作「夷酋列像」が保管されていたブザンソン市立博物館)


どうでしょう。みなさん、話の筋はつかめましたか? ことの詳細は次回から。

美化せず、蔑まず、さりげなく

秋の夜長に読書をいそしんでいる方も多いことでしょう。どうか、睡眠不足にはご注意を。
さて、前回、わたしはオホーツク地方の地域FM局に出演した際、リスナーに2冊の本を紹介したと書きました。紙幅がなく、1冊を取り上げて終わってしまったので、今回はその続き。もう1冊についてお話ししようと思います。

わたしが取り上げたのは、いずれもアイヌをテーマにした大作で、前回は船戸与一の「蝦夷地別件」について書きました。そして、もう一作です。若い世代で、この作家の名前知っている人は少数派? いわんやこの作品に至っては…。どうでしょうか。

題名を「森と湖のまつり」と言います。小説の舞台は釧路管内標茶町のシラルトロ湖(ここを訪れた人も数少ないのでは)。作者は、戦後文学を代表する小説家のひとりである武田泰淳(たけだ・たいじゅん)です。作品が発表されたのは1954~58年。月刊誌に25回にわたって連載された、と聞くと、「まだ生まれていなかった」と驚く人がいるかもしれません。


シラルトロ湖
写真1(釧路管内標茶町には釧路湿原最大の塘路湖とシラルトロ湖がひっそり息づきます)

船戸の「蝦夷地別件」を紹介した際、わたしは、アイヌ民族とこれほどまでに正面から向き合った文学作品を、ほかに知らないと書きました。では、この「森と湖のまつり」についてはこう表現します。「アイヌと和人のディープな恋愛を描き言った作品は先例がない」と。


武田泰淳
写真2(「森と湖のまつり」の作者・武田泰淳。その名前を知る人も少なくなりました)

作品に触れるまえに、少し寄り道をさせてください。みなさんは札幌に「北の映像ミュージアム」という博物館があったのをご存知でしょうか? 「あった」と過去形で書いたのは、博物館は運営が難しくなり、現在、規模も機能も大幅に縮小して、市内の別の場所に移転したからです。

ミュージアムは北海道をロケの舞台とした映画やTVドラマ、ドキュメンタリーなどの映像と関連資料を収蔵・展示する施設です。みなさんご承知の通り、北海道は全国有数の映画のロケ地です。北海道ゆかりの名作は数え切れないほどあります。こうした貴重な財産を後世に引き継ぐことを目的に、2003年にNPO法人が設立され、大事な名画が守られてきたのです。


映像ミュージアム
写真3(名画を紹介する北の映像ミュージアム。設立には多くの映画ファンが尽力しました)

北海道を舞台にした映画というと、みなさんはどんな作品を思い浮かべますか。印象に残る俳優は? きっと多くの人が高倉健を想起し、主演したタイトルが次々と出てくることでしょう。「網走番外地」に始まり、夕張を舞台にした「幸福の黄色いハンカチ」、幾寅駅(南富良野町)で撮影された「鉄道員(ぽっぽや)」、増毛を一躍有名にした「駅 STATION」。「遥かなる山の呼び声」は中標津がロケ地です。どれも懐かしいですね。今回取り上げた武田泰淳の「森と湖のまつり」も高倉健主演で映画化されたのをご存知ですか?


高倉健
写真4(高倉健が主演した「森と湖のまつり」。標茶町の湖畔が撮影舞台となりました)

1958年に上映された作品の監督は内田吐夢(うちだ・とむ)。主人公のアイヌ青年を高倉健が演じ、香川京子、中原ひとみなど往年の名女優が出演しています。上映からすでに62年が経ちます。配役の顔ぶれをみて記憶に蘇る人がいれば……幸いです。

この映画は言うまでもなく、武田泰淳の小説を忠実に映画化しています。高倉健が演じる青年と、旅で訪れた女流画家(香川京子)の葛藤を中心に、滅びゆくアイヌの姿が描かれていきます。本作の凄さをひとことで言えば、貧困や和人への同化といったアイヌを取り巻く現代的なテーマが実にさりげなく、蔑むことなく、自然に描写されている点にあります。アイヌを美化することもありません。


森と湖のまつり
写真5(「森と湖のまつり」はベストセラー小説。手に入らない人は地元の図書館へ)

小説が出版するやすぐさま、時の名優を起用して映画化され、ファンを喜ばせたことを思うと、アイヌへの向き合い方は現代より、ずっと自由で開かれていたと言えます。

では、竹田泰淳はなぜ、アイヌの世界に開眼したのか。それは、武田が短い期間ではありますが北海道で暮らした経験を持つからです。その体験こそが、作家に、アイヌの豊かな文化を認識させ、小説へと昇華させたのです。

作品の世界をより深く理解するには、道東を旅することが欠かせません。阿寒、屈斜路、摩周。さらにもう一歩、東へ。塘路、シラルトロ。釧路湿原に開けたその湖畔に立つと、わたしたちはアイヌの魂に触れ、心を激しく揺さぶられるのです。

先住者の汗と涙が彩る大地


日本は単一民族の国ではありません。


先住の民であるアイヌの人々の豊かな文化に彩られた国……。
北海道で暮らすわたしたちこそがその先頭に立ち、発信していく責務があります。開拓から152年。この間、隅に追いやられてきた(いや、追いやってきた)人々の苦境と現実に光を当て、復権に力を注がなければならない。そう強く思います。


前回、「単一にこだわる愚かしさを知る」という少し過激な見出しを掲げたのも、日本が単一民族から成る国家であると発言し続ける「政治家」へのメッセージであるとともに、すべての国民に正しい認識を抱いてもらいたいという願いからです。

「ダイバーシティー」(多様性)について考えるうえで、その導入としたのがアイヌです。北の大地で暮らす日常の中で、先住者への敬意にも似た気持ちに満たされる瞬間があります。そのひとつが、書物の中での出会いです。季節が移り、「読書の秋」を迎えました。今回は本をくくりながら、そんな出会いを繰り広げてみます。


シャクシャイン
写真1(英傑シャクシャイン。日高管内新ひだか町の静内真歌に像が聳え立ちます)


わたしは、オホーツク地方にある北海道新聞の支社に勤務していた2年ほど前、地元の地域FM局から出演依頼がありました。その時、与えられたテーマは「この秋、読んでおきたいこの2冊!」。リスナーが限定されているとはいえ、公共の電波にのせて自分の考えを発信する責任の重さを感じたからでしょう。かなり緊張したことを思い出します。

わたしは、リクエストに応じて、2冊の本をスタジオに持参しました。選んだのは、いずれもアイヌをテーマにした作品でした。これには訳があります。2年前を思い起こしてみましょう。当時、女性知事が音頭を取り、幕末の探検家・松浦武四郎がこの大地を「北海道」と命名して150年の節目に当たると大きくPRしていました。


蝦夷地舞台
写真2(アイヌの人々は国後・択捉との交易にも貢献しました。この景色こそ原風景です)


この知事は、150年に及ぶ和人の歴史を誇る一方で、それ以前、ここ蝦夷地に暮らしていた人々の労苦を思いやる視点がすっぽり抜け落ちていたのです。心ある道民は彼女の発言に違和感を覚えたことでしょう。そこで、わたしはこの番組であえて、北海道の地が、アイヌの人々の「血と汗と涙に彩られた大地」であることを深く知る必要がある、と力を込め、その世界に踏み入るための必読書として、2つの作品を紹介したのです。それをここで“再放送”したいと思います。



蝦夷地別件
写真3(蝦夷地別件はアイヌ民族を主人公に激動の蝦夷地を描き切っています)


1作目に挙げたのは、船戸与一(ふなど・よいち)作「蝦夷地別件」です。若い世代には、船戸の名前に触れたことのない人もいるかもしれません。しかし、わたしのような「老いの域」に達した者にとって、船戸は時代の先を行く、あこがれのハードボイルド作家でした。新作が出るたびに、必ず書店で買い、心躍らせて読み耽りました。船戸は5年前、満州国をテーマにした超大作「満州国演義」(全9巻)を脱稿し、71歳で没しました。彼の新作が読めないかと思うと、寂しさが募ります。


船戸与一
写真4(船戸与一はハードボイルド小説の草分け。読者を血沸き肉躍る世界に誘います)


「山猫の夏」「猛(たけ)き箱舟」「砂のクロニクル」…。南米や中東、アフリカなど海外に題材を求めた作品とは一線を画した本作の舞台は、18世紀の蝦夷地。アイヌ最後の蜂起と伝えられる「国後・目梨の乱」を壮大なスケールで描き切りました。圧巻の一言に尽きます。アイヌ民族とこれほど真正面から向き合った文学作品を、わたしはほかに知りません。


時代はちょうど、フランス革命が起きた1789年。民族の大規模蜂起として歴史に名をとどめる「シャクシャインの乱」から120年目に当たります。当時の蝦夷地は、原生林に覆われた未開の大地…こんなイメージを抱きがちですが、それは誤解です。先住民族のアイヌがこの地に築き上げた文化は17世紀、すでに大きく開花していました。人々は、舟を操って国後、択捉に至る現在の北方領土を自由に往来し、漁に携わり、島々の定住者たちと交易・経済活動を行っていました。国後・択捉・歯舞・色丹。4島が日本固有の領土であることは、この歴史が証明しています。

江戸時代、蝦夷地を支配したのは松前藩です。道南の小藩の目は道東まで行き届くことはなく、藩から利権を買収した運上屋が悪徳な商売を繰り広げています。アイヌを虐げ、利益を搾取し、横暴の限りを尽くしていく…。和人(シャモ)に対する怒りが頂点に達し、蝦夷地全域を巻き込んだ大蜂起に発展したのが、この作品のテーマである「国後・目梨の乱」でした。

蝦夷地に革命が起こるのか。渾身の歴史絵巻は大団円へと向かいます。あとはみなさんぜひ本を手に取って、読み進めてください。この小説を読んだ人なら、「日本は単一」といった単純で安易な発想が生まれることはないでしょう。

単一にこだわる愚かさを知る

日本は単一民族だと主張し続ける麻生太郎氏について、前回、厳しく批判する形で終わりました。この政治家には、単一にこだわることがいかに愚かであり、しかも事実に反しているかを、ぜひ認識してもらいたいと切に願います。ただ、未曾有を「みぞゆう」と読む違える一般常識の欠如、九州の保守的な価値観・因習に捕らわれた成育履歴、地方財閥の御曹司、80歳の高齢者…などを総合的に勘案すると、もはや不可能でしょう。



イランカラプテ
写真1(新千歳空港にはアイヌで「イランカラプテ」と書かれた歓迎幕がはためきます)


北海道に暮らすわたしたちは知っています。この大地には、先住者であるアイヌの人たちが生活を営み、豊かな文化を育んできたことを。この大地に踏み入ってきたわたしたち和人は新参者であり、わずか150年の歴史しか持っていないことを。


多様性(ダイバーシティー)の素晴らしさを知ることを今回の大きなテーマに掲げました。この目的のために、わたしはまず、アイヌの人びとにまつわる話を、徒然なるままに綴りながら、思索を巡らせたいと思います。

まもなく、今年のノーベル文学賞の発表があります。日本では川端康成、大江健三郎両氏に続いて、村上春樹氏の受賞が成るか。今年も全国の「ハルキスト」たちが夢中になって応援していることでしょう。

最近の受賞者の中で、わたしが最も印象に残っている作家に、フランスのギュスタフ・ル・クレジオ氏がいます(2008年受賞)。かつて、北海道新聞のパリ特派員を務めていた頃、知己を得た文芸評論家・菅野昭正さん(現在、東京・世田谷文学館長)とパリの街角で雑談したことを思い出します。アルベール・カミュやアンドレ・ジードなど多くのノーベル賞作家を輩出してきたフランスで、次に受賞するのは誰でしょう? こんな質問に、仏文学者でもある菅野さんが迷わず名前を挙げたのが、ル・クレジオ氏だったからです。


ルクレジオ
写真2(ノーベル文学賞を受賞したル・クレジオ氏。アイヌにもあたたかい目を向けます)

特徴的な名前が忘れられず、ずっと記憶に残っていましたが、予言は見事、的中しました。ノーベル財団は「限りない人間性の探求者であり、現代文学の地平を切り開いた哲学者」と称えています。遠いフランスのノーベル賞作家…とお思いの方もいるかもしれませんが、実は、その創作活動の中に、日本の先住民族であるアイヌが明確に位置づけられていることを、ぜひ心に留めてもらいたいのです。

ル・クレジオ氏はノーベル賞を受賞する2年前の06年1月、初来日を果たしていますが、その際に訪れたのは、東京や京都ではなく、北海道のアイヌ民族のもとでした。アイヌ研究が盛んな札幌大学の研究者が招聘し、それを快諾する形で実現したのです。

ノーベル賞に輝いた時、わたしは札大の瀧本誠樹准教授(当時)を取材しましたが、新千歳空港に到着したル・クレジオ氏がサンダル履きで降り立ち、慌てて持参した長靴に履き替えてもらったという、来道時の逸話を聞いて、権威とは無縁の作家の人柄に深く感銘を受けたものでした。


札幌大学
写真3(アイヌの研究拠点となる札幌大学。ル・クレジオ氏のシンポジウムが行われました)


道内滞在中、札大でのシンポジウムに参加し、西岡水源地(札幌市豊平区)の雪原を歩き回り、胆振、日高のアイヌ民族の史跡を巡ってアイヌの人たちと交流を深めました。

瀧本さんは「その静謐なたたずまいを思い浮かべるだけで、出会えた喜びや興奮、去っていった時の寂しさの記憶が胸を締め付けます。一会にして人を魅了する稀有な人。弱者に寄せる誠実で、真摯なまなざしに突き動かされました」と回顧したうえで、氏が語ったこんな言葉を教えてくれました。



「文明社会の中で取るに足らないと思われてきたものにこそ、実は大事な価値がある。それを知らせるのが文学の役割です」



ル・クレジオ氏はヌーボー・ロマンの旗手として1960年代に文壇に登場しますが、それもつかの間、名声をあっさりと捨てて放浪の旅に出ます。中南米、アフリカ、太平洋の島々…。40作に及ぶ著作の多くは、こうした体験を踏まえ、欧米による先住民文化の破壊の歴史を綴っています。作品に共通するのは、弱者側の一方的な「怒り」ではなく、小さな声にじっと耳を澄ます深い思索の痕跡であり、自然と融和して生きる先住者への深い敬意なのです。


銀の滴
写真4(ノーベル文学賞作家としてアイヌの口承文学の紹介にも貢献しています)


作家は言います。


「他民族によって構成される社会は何と豊かで多様なことか」。



このさりげない言葉に接するたびに、「単一」に固執する愚かさをあらためて思い知らされます。件の政治家にも聞かせたい。こう強く思います。

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