前回、ローマ教皇庁から発信された小さなニュースを端緒に、キリシタンの弾圧で殉教し、「福者」の称号を与えられた中浦ジュリアンの話を説き起こしました。400年前、日本人として初めてローマの地を踏み、教皇に謁見した天正遣欧少年使節。派遣された4人の少年の一人だったジュリアンの「最期」は極めて残酷でした。
ディリコさんは遣欧少年使節の史料の調査や専門家による鑑定などの結果、1585年にマンショらが北部ヴェネツィアを訪問した際、ルネサンス期のイタリア画家ティントレットの息子ドメニコ・ティントレットが描いたものと判断した。
肖像画のマンショは着物姿ではなく、スペイン風の衣装を着用。制作を受注したのは父と伝えられるが、衣装の特徴や画風などからドメニコが仕上げたと論文は結論づけている。

写真5(ミゲルは棄教後、命の危機にさらされながらも生を全うしました)