支倉常長がカトリックの洗礼を受け、ローマ教皇に謁見して帰国した日本は、異教徒を徹底排斥する弾圧の嵐が吹き荒れ、殺伐とした景色が広がっていました。 常長は帰国して2年後に52歳で死んだとされます。その死は……。自死だったのか、病死だったのか、それとも処刑 …
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2020年02月
ハポンさんが映す光と影
まずは、この写真を見てください。薄いグレーのジャケットを纏い、沿道の人たちに笑顔で手を振っているのは。そう。現在の天皇陛下。ここを訪れたのは皇太子の時代でした。 写真1(満面の笑みを振りまく当時の皇太子。いつ、どこを訪れたのでしょう) 2013年6月 …
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沈黙が意味する悲運の使命
仙台藩士支倉常長ら一行のスペイン国王、ローマ教皇謁見の旅の足跡は、現在、常長の銅像が建立されている世界各地の場所をみると明らかです。 太平洋を横断して新大陸に最初の一歩を記したメキシコ・アカプルコにはじまり、キューバの首都ハバナ、スペイン南部セビリアに …
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世界は激動し殺気立っていた
仙台藩主伊達政宗がスペイン国王とローマ教皇のもとに派遣する慶長遣欧使節が月の浦(現在の石巻市)を出航したのは1613年(慶長18年)10月28日のことでした。 スペインの航海技術の粋を尽くし、江戸の船大工が造り上げた帆船サン・ファン・バプティスタ号には、支 …
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