2019年09月

エ・アロールの寛容

ミュージカル「レ・ミゼラブル」は10日の開幕以来、連日、満員御礼が続き、17日、11公演を締めくくる千穐楽で感動の幕を下ろしました。

会場の札幌文化芸術劇場hitaruに足を運んでくださった皆さま、楽しんでいただけたでしょうか。弊社主催の近年にない大出し物が無事終了したことに対し、あらためて感謝申し上げます。東宝をはじめ関係者の皆様、出演者の方々…。言い尽くせぬ「ありがとう」を送りたいと思います。

 

レ・ミゼラブル (002)

 

レ・ミゼラブルは欧米や日本など、世界各国で上演されている一大ミュージカルです。10年ほど前、主役を務めた17か国のジャン・バルジャン役が一堂に会して、それぞれの国の言語で「民衆の歌」を歌うイベントが英国で行われました(日本からは鹿賀丈史さんが参加)。レ・ミゼラブルが世界規模で愛され、上演され続けていることの証です。原作者のビクトル・ユゴーも、自分の作品がこんなことになっているとは、墓場でびっくりしていることでしょう。

 

ユゴー

 

きょうは、そのユゴーの女性遍歴についてお話しすることを、前回のブログでお約束していました。



レミゼを紹介する初回、ビクトル・ユゴー(1802年~1885年)はフランスのどんな田舎町に行っても彼の名前を冠した通りがあり、いまなお国民に親しまれている国家的シンボルだと書きました。ユゴーの葬儀が国葬で営まれ、遺体がフランスの偉人を祀るパンテオンに葬られていることがその証拠です。


そんな偉人であるユゴーが実は、私生活では「絶倫と言われるほど女性好きだった」と書くと、皆さんは驚かれるでしょう。日本で、もしユゴーほどの著名人の女性スキャンダルが発覚したらどうでしょう。たちまちマスコミが殺到し、国民から軽蔑され、失脚する。そんな光景が浮かびます。

ところが、ここは「愛の国」フランスです。女性関係にこれほど寛容な国もありません。文豪の女性問題など、大半の人は無関心、あるいは無視。「それがどうしたの?」。



第2次大戦後、フランスは第5共和政として国家を再建し、国民の直接投票によって大統領を選出してきました。ドゴールにはじまり、ポンピドゥー、ジスカールデスタン、ミッテラン、シラク、サルコジ、オランドと続き、現在はマクロン氏です。みなさん、名前は聞いたことがあるでしょうか。




私がパリに滞在したのはミッテラン氏の社会党政権からシラク氏の保守政権へ移行した時期でした。

当時、大統領の任期は7年。ミッテラン氏は2期務めたので14年の長期政権。その末期に話題になったのが、「隠し子」の存在です。大統領がダニエルさんという正妻とは別に、ルーブル美術館の学芸員を務める女性との間に隠し子を設けていたことを、成長した娘の写真とともに、週刊誌(パリ・マッチ)がすっぱ抜いたのです。

日本ならそれこそ大騒動に発展し、政界引退に追い込まれるところですが、フランス国民の反応は冷静そのもの。全く盛り上がりませんでした。しかも、ミッテラン大統領がパリ・マッチの報道を受けて、マスコミに答えた言葉がけだし名言。


「エ・アロール(Et alors)?」。日本語に訳せば「それがどうしたの?」でした。



日本でも作家の渡辺淳一さんが、これに着想を得て、同名の連載小説を200203年に北海道新聞の朝刊に連載したので、覚えている方もいるでしょう。

 

フランスでは私生活をめぐる女性問題は話題にしないという伝統があります。裏を返せば仕事をしっかりしていれば何も問題ないのです。隠し子がいようが、いまいが…。それよりも、ミッテラン大統領はその知性と容姿、よどみない弁論術などから理想の大統領像と尊敬を集め、「国父」として慕われました。

 

ミッテラン

 

こんなお国柄。「絶倫」だったビクトル・ユゴーが、女性問題をもって、自らの地位と名誉を貶められることはなかったのは当然です。レ・ミゼラブルを執筆した文豪として、後半生は国会議員(貴族院議員)として名をはせたユゴーは「フランス統合のシンボルであり、ナポレオン以上に国民に広く親しまれた存在」(仏文学者・鹿島茂氏)であり続けたわけです。


 

レミゼを観た方々に、原作者の女性関係を暴露するのは気が引けますが、やはりお約束したことですので、次回こそ、ユゴーの絶倫ぶりに触れてみましょう。



 

写真1 レ・ミゼラブル札幌公演の初日の舞台を終え、カーテンコールで観客の声援に応える出演者たち(北海道新聞写真部提供)

  

写真2 ビクトル・ユゴーは女性が大好き。「精力絶倫」と言われています

 

写真3 ミッテラン大統領は機知に富み、頭の切れ味は歴代大統領の中で抜群でした

戦う者の歌が聴こえるか

ミュージカル「レ・ミゼラブル」はブログの進展を待ってくれません! 10日、札幌文化芸術劇場hitaru(ヒタル)で華やかに幕を開け、17日までの11公演がスタートしました。
パリの7月革命(1830年)に着想を得た大規模な民衆蜂起、その混乱の中でセーヌ川に身を投じる宿敵ジャベールの死、民衆蜂起の先頭に立つマリウスとコゼットの恋の成就、賑やかな婚礼、そしてコゼットらに見守られて天に召されるジャン・バルジャン…。血沸き、肉躍る第2部とエピローグはどうぞ、舞台でご堪能ください。

老婆心ならぬ老爺心から、ぜひお話しておきたいことがふたつあります。

ひとつ目は、言わずもがな、レ・ミゼラブルはミュージカルであることです。舞台を彩る名曲の数々に心を奪われます。とりわけ有名なのは、政府の圧制に抗議し、決起する若者や学生たち、それに賛同する市民が次々と加わる場面で歌われる「民衆の歌」(原題:A la volonté du peuple)です。
  
  戦う者の歌が聴こえるか 鼓動が あのドラムと響きあえば
  新たに熱い命が始まる 明日が来たとき そうさ 明日が
  列に入れよ われらの味方に 砦の向こうに 世界がある
  戦え それが自由への道

このメロディーを聞いて、わたしたちが言葉に表せぬ高揚感を覚えるのはなぜでしょう。それは、この詩がわたしたちの魂を鼓舞し、生きる勇気と希望を与えてくれるから。同時代を生きたドラクロワの名画「民衆を導く自由の女神」を想起させるから。そう、ミュージカルの舞台構成はこの絵画を基に作られているのです。


ドラクロワ

写真1

市民の力で革命を起こし、社会を根底から変えてきたフランス。国王を断頭台に送り、世界で初めて人権宣言を掲げた国。その主役はあくまで国民だ。権力に決して迎合しない。「小さくても怒りの声を上げよう」。このミュージカルは観る者にこんなメッセージを発し続けているのです。だからこそ、言葉にならない高揚感に満たされるのだと、私は思います。

そして、老爺心のふたつ目。それは、ジャン・バルジャンとジャベールの関係です。これがレ・ミゼラブルのストーリー展開の核をなしているのはみなさんお気づきでしょう。


jean valjean

写真2

Javert

写真3

ツーロンの徒刑場の看守から、警部にまで上り詰めたジャベール。その生い立ちはミュージカルでは触れられません。小説によれば、ジャベールは刑務所の中で女トランプ占い師の子として生まれ、父親も徒刑囚でした。自らの出身階級に強いコンプレックスを抱いていたため、権力の象徴ともいえる警察官を目指します。彼の感情を支配するのは、権威への尊敬と反逆に対する憎悪ですが、性格は極めて真面目で厳格そのものです。
ジャン・バルジャンの不正を暴くことに命を懸けたジャベールがミュージカルの最終章でセーヌ川に投身し命を絶ちます。なぜ? 銀の燭台を盗んだ罪を償うため、過去を清算して、清く美しく、純粋に生きようとするジャン・バルジャンに対し、ジャベールの心のどこかに、尊敬と敬意の念、すべてを許す感情が芽生えたとしたら…。それを否定する気持ちとの葛藤にさいなまれて……。こう解釈することも可能でしょう。

著者のビクトル・ユゴーは小説の中で、ジャン・バルジャンもジャベールも「生涯女性を知らなかった」とあえて記しています。つまり、ふたりとも童貞だったわけです。そう考えると、この二人の関係にどこか、同性愛的な要素が込められているのでは…。これはうがちすぎでしょうか。
小説の舞台となったモントルイユを紹介した際、ビクトル・ユゴーがかつて、このまちを愛人と訪れた忘れ得ぬ場所であり、作家自身、「絶倫」と言われるほど女性関係が盛んだったことに触れました。つまり、ジャン・バルジャンはユゴーとは対極にある人物として描かれたことになります。
次はユゴーの女性遍歴をテーマにしてみましょうか。

さて、hitaruで開幕した公演は順調に進んでいます。ジャン・バルジャン,コゼットなどは日によって演じる役者が違いますが、どの演技も、どの歌声も、感動ものです。
みなさんよりひと足早く、ゲネプロ(公演前の通し稽古)で観せてもらいました。「役得」にお許しを。

写真1:ウジェーヌ・ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」(ルーブル美術館蔵)。門外不出の名画は「日本におけるフランス年」に合わせて1999年、東京・上野の国立博物館に1か月間、貸与・展示されました
 
写真2:ジャン・バルジャン  写真3:ジャベール

ジャン・バルジャンが父になるまち


レ・ミゼラブルの時代背景について、前回、大事な史実を記し忘れました。

ナポレオン・ボナパルト(1769年~1821年)の登場と没落です。

混乱の世にすい星のごとく現れ、皇帝に就いたのが1804年。レミゼのストーリーが始まる1815年には、セントヘレナ島へ永久追放されて失脚していますが、物語のあちこちでその英雄譚が語られます。その孤高な姿をジャン・バルジャンに仮託したと解釈する研究者もいるようですが、少し無理があるかもしれません。



ナポレオンに興味のある方は、直木賞作家の佐藤賢一氏がこの8月から、長編小説「ナポレオン」(集英社)を3巻分冊で発刊しますので、ぜひ手に取ってみては。



 

さて、本筋に戻ると。

パリに棲み処を得たジャン・バルジャンが、ある約束を果たすために行かなければならなかった場所があった…。そこからです。


目的地はパリの東15キロにあるモンフェルメイユ。会わなければならなかった人物とは。物語のヒロインであるコゼットです。

ジャン・バルジャンが市長を務めたノルマンジーのまちモントルイユで、自らその死を看取った女性についてはすでに触れました。名はファンテーヌ。薄幸を絵に描いたような女性でした。


ファンテーヌはモントルイユで生まれ、15歳でパリに出て女工に。ここで大学生と知り合ったものの、弄ばれて捨てられ、身に宿していた女の子を出産します。この子がコゼットです。ミュージカルのパンフレットや書籍の表紙に、必ず描かれている少女、といえばわかるでしょう。フランス版「おしん」と言っていいほど、不幸をすべて背負い込んだ少女。希望ある未来は彼女に訪れるのでしょうか(訪れるのです☆)。



cosette
写真1


 

パリ近郊のモンフェルメイユは、ファンテーヌが故郷モントルイユに戻って人生をやり直そうと決意し、コゼットを抱いて偶然通りかかったまち。ここで安宿を経営するのが、悪を絵に描いたような夫婦テルナディエです。ファンテーヌは見ず知らずのこの悪徳夫婦に、支度金を払ってコゼットを預け、故郷へ戻る。無理筋な展開ではありますが、レミゼではよくあること。気にせずに。


ファンテーヌの死に際に、コゼットを取り戻すことを約束したジャン・バルジャン=マドレーヌ市長=にとって、パリの棲み処に落ち着くとすぐ、その約束を果たそうとしたのは、正義感あふれる主人公として当然の行動だったかもしれません。



いまでこそパリのベッドタウンとして発展するモンフェルメイユも19世紀初頭は貧しく寂しい農村。写真は20世紀初頭に撮影されたビクトル・ユゴー大通りです。小説の舞台となったモンフェルメイユにとって、文豪の名前をまちで最も大事な通りに冠したのは、小説の舞台となった誇りの表れ。まちのホームページをみると「レ・ミゼラブルで光が当てられなければ、このまちは何の変哲もない田舎町であり続けた」と自虐的に書かれています。まさにユゴー様さま。


MONTFERMEIL_-_Avenue_Victor-Hugo
写真2


深い森の中へ、毎晩水汲みに行かされるコゼットがジャン・バルジャンと真っ暗闇の一本道で出会うシーンは、わざとらしくはあるもののドラマチック。このシーンが全編を通じて最も感動的だと評する研究者がいるほど。弱者に対するビクトル・ユゴーの愛と共感がこの場面に凝縮されているからです。ミュージカルではさらりと通り過ぎてしまうシーンですが、ぜひ小説で読み返してみてはどうでしょう。これでもかというほどの描写です。



天涯孤独のジャン・バルジャンがコゼットの父となるー。感動的な場面です。


 

 

強欲で悪徳のテルナディエに法外の金を支払い、コゼットを引き取ったジャン・バルジャンはパリへと向かいます。まちは学生や民衆の暴動が頻発する不穏な情勢。ジャベール警部やテルナディエ夫婦など、これまでの登場人物がなぜかパリに集結し、コゼットの連れ合いとなるマリウスなど新たな人物も加わって緊迫の第2幕へ。月日は流れ10年が経過します。

大団円の舞台としてユゴーが用意したのは、1832年の民衆蜂起でした。

暴力的な反乱以外に意思表示の方法を持たなかった当時の「惨めな人たち(レ・ミゼラブル)」が行き着く「必然」だったのです。



写真1 レ・ミゼラブルのパンフレットや小説の表紙に必ず使われるコゼットの挿絵

写真2 コゼットが「おしん」のような幼少期を送ったモンフェルメイユ。20世紀初頭のはがきにビクトル・ユゴー通りが記録されている

           

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