2019年01月

襲名

ブログ 団十郎


歌舞伎の市川海老蔵さんが、市川団十郎襲名を発表しました(2019年1月14日)。
歌舞伎界の大ニュースです。


歌舞伎界では2017年、二代目松本白鸚を松本幸四郎さんが、十代目松本幸四郎を市川染五郎さんが、八代目市川染五郎を松本金太郎さんが襲名する「高麗屋三代襲名記念」が話題になりました。
このうち、白鸚さんと幸四郎さんの襲名披露は札幌でもこの夏、見られます(7月6日札幌市教育文化会館。チケットの前売りは3月開始の予定)。
ファンのみなさんには、楽しみにお待ちいただきたいと思います。



そんななかで発表された団十郎襲名は、特別の意味があります。何と言っても市川団十郎こそは歌舞伎役者を代表する最大の名跡だからです。
ためしに広辞苑など大きな国語辞典で「襲名」を引いてみてください。例文に出てくるのは例外なく「団十郎を襲名する」。ほかの役者の名前ではありません。


海老蔵さんはことし3月の「六本木歌舞伎」(21日から24日札幌のわくわくホリデーホール、完売)にも登場します。
登場したただけで舞台の空気を一変させてしまう、まさに「千両役者」が、いよいよ名実ともに日本の歌舞伎界を引っ張っていく時代になります。


来年5月の襲名後、披露の地方公演は2011年にかけて行われるでしょう。北海道でもぜひ実現させたい。


話は変わりますが、ことし第一回の道新寄席「桂米團治独演会」が1月12日に開かれましたが、これは米團治さんの還暦祝い、芸歴40年とともに「米團治襲名10周年」(それまでの芸名は小米朝でした)を銘打ったものでした。
2回の公演を、多くのお客様が堪能しました。


さて、なぜ名跡を継ぐことを「襲名」というのか。
「襲」の字は、「襲撃」や「急襲」など、なにやら血なまぐさいイメージがついて回ります。
「承名」や「継名」の方が平和的でいいのではないか、なんて思ってしまいます。


そこで「襲」の字を調べてみると「衣」は文字通り衣、「龍」は「シュウ」と読む難漢字の略字だそうで、衣服の重ね合わせの意味。そもそもは争いごとと結びついた字ではないのですね。
漢和辞典でも、第1の意味は「つぐ。うけつぐ」であり、「不意に攻める」はずっと順位の低い意味だとわかりました。

「世襲」「因襲」などの言葉を思い出せば納得がいきます。

歌舞伎でも、落語でも、はたまた相撲の力士や行司でも同じですが―、
大きな名前を後の人が継ぐことで、その人がいっそう精進して立派な存在になっていく。
ファンは先代、先々代などと比べながらその人の成長を見守っていく。
「襲名」は、なかなか味わい深い仕組みだと思います。


欧米にも名を継ぐことはありますが、「Jr =ジュニア」や「〇世」を名前と一体で呼ぶのが普通です。古い名前が新しく生まれ変わるニュアンスは薄いのではないでしょうか。



写真は団十郎襲名の記者会見を報じる道新スポーツ。団十郎の存在の大きさがわかる扱いでした

原作…追加(渋々)

前回、文芸作品とオペラについて書いたところ、「何で『ペレアス』が書いてないんだ」と、博識の読者からご意見をいただきました。

これだからうかつにものを書いてはいけないのですね。

だいたい、わたしは、再三申し上げているように、あまのじゃくでありまして、系統だててこのテーマを書くほど幅広くオペラを見たり聴いたりしているわけではないのであります。
あまり知られていない作曲家・ツェムリンスキーにあれだけの行数を当てて、イタリアやロシアはほんの申し訳程度というのは、どう考えても普通の音楽ファンのすることではありません。
ましてや、レンツだのビュヒナーだのとくれば、オタク以外の何物でもないではありませんか(開き直っている)。

で、「ペレアスとメリザンド」です。メーテルリンクの戯曲を、ほぼそのまま台本にしてドビュッシーが驚くべき劇音楽を作り上げました。

ペレアス


ワーグナー狂のわたしは当然、この作品に何も求めていない時期が長く続きましたので、これが「驚くべき」作品であることを知ったのはつい最近です。どのみち、見当違いのことしか書けないので、ここでも深くは記しません(だいたい、戯曲も読んでいない)。
ただ、ドビュッシーもワーグナーのことは大変意識しており(実際、ワーグナー音楽の祭典・バイロイト音楽祭にも足を運んでいる)、ワーグナーの代表作「トリスタンとイゾルデ」がなければ「ペレアス」もなかったに違いない。

と、ついついワーグナーのことばかり書いてしまうのです。

フランスオペラであとわたしが付け加えられるのは、マスネの「タイース」、「マノン」あたり。「タイース」はアナトール・フランスの小説。「マノン」はプレヴォーというフランスの小説家の作品がもとになっているそうです(これらも文学としては読んでいません)。同じ小説からはプッチーニの「マノン・レスコー」も生まれています。

マスネは前回タイトルだけ触れた「ウェルテル」(ゲーテ原作)の作曲者。オペラ以外の管弦楽作品もなかなかいいです。もちろん「タイース」の有名な「瞑想曲」、最高です。

ドイツの作家ではトーマス・マンの「ヴェニスに死す」を加えておくべきでした。イギリスのベンジャミン・ブリテンがオペラを書いています。
この小説、映画にもなっていますが、やはり小説で読むのが一番いいかと。オペラは一度だけCDで聴いておしまいになっています。ブリテンは優れた作曲家だと思いますが、沈黙の多い物語を歌で饒舌に表現してしまったような違和感をわたしは感じてしまいました(あくまでも個人的感想です)。

以上、気の進まないままに書いた続編でした。まだまだ重要な作品があるに違いありませんが。


写真はわたしが見た「ペレアスとメリザンド」の映像作品のひとつ(ジョルダン指揮パリ・オペラ座)。写真がないのが残念ですが、2016年8月にNHK―BSで放送されたサロネン指揮の上演はとても良かった

原作は?

札幌文化芸術劇場(愛称hitaruヒタル)ができて、道民にもオペラが身近になった―と以前に書きました。

とは言っても、「オペラってそもそもお話が荒唐無稽でしょ?」などと言って、相変わらず敬遠したり軽蔑したりしている人も多いように見受けられます。

ミュージカルにも似た印象が持たれていそうです。ですが、北海道にすっかり定着した劇団四季のほかに、9月に開催する東宝の「レ・ミゼラブル」には、ぜひ注目していただきたい。原作はご存知フランスの文豪ヴィクトル・ユーゴーの小説。脚色はあるにせよ、荒唐無稽というよりは人間の「性(さが)」や普遍的な愛について考えさせられる作品です。

原作 レミゼ
写真①


ミュージカルのことは素人なので、オペラと原作についてちょこっと書いちゃいます。

バロック期にオペラが誕生して以来、原作は主に聖書とギリシャ神話です。ヨーロッパ文明の二大源泉ですから、当然と言えば当然です。そして19世紀ロマン派以降は小説が優勢になるという形でしょうか。ワーグナーなど、自作の台本にしか曲をつけなかった人はごく少数で、ほとんどは台本作家と作曲家のコンビでオペラは作られました。

ユーゴーにはほかにもオペラ化された作品があります。まずは有名な「ノートルダム・ド・パリ」。ドイツの作曲家フランツ・シュミットが「ノートルダム」のタイトルでオペラにしています。最近上演される機会はまずありませんが間奏曲だけは単独で取り上げられることがたまにある(そうそう、これはディズニー経由で劇団四季のミュージカル「ノートルダムの鐘」になりました)。
ユーゴーをロマン派作家の旗手に押し上げた成功作「エルナニ」(戯曲)はイタリアのヴェルディが「エルナーニ」としてオペラ化、ドニゼッティのオペラ「ルクレツィア・ボルジア」も原作はユーゴーです。

ユーゴー以外では、やはりフランスのデュマの小説がもとになった「椿姫」があります(3月にヒタルで北海道二期会の公演があります。完売)。また、メリメの小説がビゼーの「カルメン」になりました。これらは、原作よりオペラの方が有名でしょう。アンドレ・ジッドの「カンドール王」という戯曲は、オーストリアのツェムリンスキーが「カンダウレス王」としてオペラ化しています。

ちなみに「カンダウレス王」の物語は紀元前7世紀、アナトリア半島(現在はトルコの領土)に栄えたリュディア国の王様が、妃に手引きされた友人に殺害され王位を簒奪されるという、おどろおどろしくもエロティックなもの。学校の授業で出てきたヘロドトスの「歴史」にも記述があります。
ツェムリンスキーのオペラはかなりマイナーですが、音楽は素晴らしいの一言とわたしは思っています。CDは二種類ありますが、いずれも入手は難しそうです。


原作は2
写真②


ツェムリンスキーという作曲家は、以前当ブログの「ジャケ美術館」で「こびと」というオペラを紹介しました。その原作はイギリスのオスカー・ワイルド。ツェムリンスキーはワイルド作品が好きで「フィレンツェの悲劇」もオペラにしています。これも不倫・殺人ドラマですが、やはり音楽は素晴らしい。今春、東京で上演の予定があります。
また、ワイルドと言えば、リヒャルト・シュトラウスの「サロメ」は有名ですね。ショッキングで非道徳の極みのようなこの物語、新約聖書の福音書に記述がある実話がもとになっています。

イギリスでは、何といっても大物シェークスピア。戯曲の数々(ハムレット、オテロ、マクベス、リア王、ウィンザーの陽気な女房たち、真夏の世の夢…)がイタリアやイギリス、たまにドイツの作曲家によってオペラにされています。T.S.エリオットの「寺院の殺人」のイタリア語、ドイツ語オペラもあります。
一方、ドイツの文豪ゲーテはフランスの作曲家が「若きウェルテルの悩み」「ファウスト」の台本を使って傑作を残しています。
ロシアではトルストイの「戦争と平和」、プーシキンの「エフゲニー・オネーギン」、ドストエフスキーの「賭博者」など、オペラ化された文学作品はいくつでも出てきます。

わたしの好みで言うと、ドイツのレンツの「軍人たち」、ビュヒナーの「ヴォイツェック」(以上は複数の作曲家が作曲)と「ダントンの死」は外せません。
日本人では三島由紀夫です。「金閣寺」に作曲したのは黛敏郎ですが、ドイツ人のハンス=ウェルナー・ヘンツェは「午後の曳航」をドイツ語版オペラにしました。

以上の作品、文学であればほとんど文庫本で読むことができます。ちょっと手に取ってみてはどうでしょう。

さて、蛇足です。

ユーゴーやゲーテなど政治家でもあった作家がたまにいます。ユーゴーは貴族院議員として死刑廃止や教育・福祉問題に力を注いだといわれます。私生活ではかなり派手な異性交遊歴があった彼が、今の日本の基準で「立派な政治家」と言われるかと微妙でしょうが、いわゆる「タレント議員」とは違った尊敬を集めていたことでしょう。

亥年の日本は、任期4年の統一地方選挙と3年ごとに半数が改選される参院選のふたつがぶつかる年。衆院解散の可能性も含めて政治や選挙の話題がにぎやかですが、地方政治にはなり手不足が慢性化し、国政は「舌禍議員」や「問題議員」が続出して、お世辞にも誉められない現状ではないでしょうか。

「タレント」ではなく、立派な文人政治家がもっと出てきてほしいものだと思います。

写真①ミュージカル「レ・ミゼラブル」を紹介する道新紙面(1月10日付)
写真②マイナーオペラ「カンダウレス王」2種と、「ノートルダム」のCD

受験時代

あけましておめでとうございます。


わたしは、いつになくまったりとした年末年始を過ごしましたが、受験生や受験生がおられる家庭はきっと、世間の浮ついた空気とは別物の緊張感に包まれていて、今も包まれていることでしょう。

こんなことを思ったのは、予期せずブラームスの名演CDと出会ったからです。

実は、ブラームスとシューマンは、わたしの大学受験、それに大学の卒業論文制作の思い出と切り離せない存在なのです。

受験生に助言できることなど何も持ち合わせないわたしですが、後になってその時間をまったく別の角度から愛おしく思い返す時がくるかもしれない。
そんな一例となるかもしれない個人的経験を、年の始めに書いちゃいます。

当時、今から半世紀も前ですが、NHK-FMに「大作曲家の時間」という番組がありました。音楽の大河ドラマ版といった番組で、大作曲家の作品の数々を1年かけて、その生涯の紹介とともに聴いていくのです。
高校受験生当時はシューマンの年。シューマンの音楽は受験勉強の友だったのです。
そして、それから何年かたって、大学の卒業論文の執筆と口頭試問対策をしていた当時は、同じ番組がまだ続いていて、ブラームスが主人公でした。ブラームスの音楽とともにわたしは何とか大学卒業資格を得たのです。

高校受験当時は、クラシック音楽を聴く家庭環境になく、レコードを買うお金もなかったので(もちろんユーチューブなど想像の外)、NHK-FMは欠かせない「音源」でした。
大学4年の時は、アルバイト収入もありましたが、出費は別の方に向かっていて、いわゆる大作曲家の作品を系統だてて聴くことなど、とてもかないませんでした。

受験勉強をちゃんとしていたのか、まともに卒論と向き合っていたのか、もう忘れてしまいましたが、「ながら」で2人の大作曲家の音楽を聴いていた自分をはっきり思い出すことができますし、その音楽はわたしの人生にかけがえのない彩りを与えてくれることになります。

シューマンとブラームスは子弟関係。ともにピアニストから出発して作曲家となり、4曲の交響曲、少数のピアノやヴァイオリンのための協奏曲、数多くの室内楽曲、歌曲、ピアノ曲を残した、よく似たタイプの作曲家でした(オペラはシューマンがやっと1曲、ブラームスはゼロ)。しかし、生涯は対照的でした。シューマンはクララという素晴らしい伴侶を得、多くの子供にも恵まれた家庭人でした(晩年は悲惨でしたけれど)が、ブラームスはシューマン一家と親しく交わり、クララとの間で恋愛感情も絡んだ複雑な魂の交流があったがために、生涯独身を通したのでした。

ブラームスの音楽に漂う「切なさ」は、ここに由来すると言われることが多い。

で、この年末年始に出会ったブラームスの話になります。
周期的に聴きたくなる曲に「ピアノ三重奏曲第1番」があります。愛称がついているわけではなく、有名曲とは言えませんが、最初に現れる主題は、青春の息吹を感じさせる歌謡調の旋律でまことに魅力的です。何種類かの手持ち音盤に、たまたま中古盤で見かけたピリスとデュメイ、ワンのトリオの録音を仲間入りさせたのです。

ピリス


これがもう、泣けてくるほどの名演。繰り返し聴くこととなりました。

録音は90年代半ば。当時から評価は高かったと思われますが、あまのじゃくのわたしは、発売元が名門ドイツ・グラモフォンであったために敬遠してきたのでした。
何がそんなにいいのか。もちろんピリスのピアノは素晴らしいのですが、カギはズバリ、チェロのジャン・ワンだと思います。旋律が高音に向かうところで絶妙のディミヌエンド(音量抑制)を効かせる、それも超絶的美音で。ボーザール・トリオもオリバー・シュニーダー・トリオも、アンゲリシュとカプソン兄弟のトリオも、表現はもっとそっけなく、こんなに泣かせてはくれません。

いいなあ、チェロはいいなあ。

「大作曲家の時間 ヨハネス・ブラームス」のテーマ音楽だったピアノ四重奏曲第3番の第3楽章をワンのチェロで聴いてみたいと痛切に思いますが、録音はないらしい。

人生は短く、芸術は長い。

こんな時に引用する言葉ではないと知りつつ、言ってみたくなります。

深く人の心に残る機会を数多く提供できたら - ことしの仕事の抱負
ワンのチェロのようにギターを歌わせる技術とセンスを - ことしの趣味の抱負

ことしもつまらないことを書き連ねると思いますが、よろしければお付き合いください。

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