演奏会でのアンコールは、聴き手の楽しみのひとつです。拍手をしながら、曲目を予想して待つ人は多いのではないでしょうか。


先日、札幌コンサートホールkitaraで開かれたトヨタマスタープレイヤーズ・ウィーンは、ベートーベンやモーツァルトなど王道のプログラムのあと、J.シュトラウス2世のワルツ「美しく青きドナウ」で締めました。定番中の定番の名演に、聴衆のみなさんはすっかり満足のご様子でした。


ただ、アンコールの選曲は誰にとってもこんな幸福なものであるとは限らないようです。同じクラシックの世界ですが、ロシア(旧ソ連)出身のピアニスト、ヴァレリー・アファナシエフの言葉が面白い。彼は極端に遅いテンポで弾いたり、小説を発表したりと、奇才ぶりで知られる巨匠のひとりですが、「ピアニストは語る」(講談社現代新書)でこう語っているのです。




「6曲も7曲もアンコールを弾いてブラボーを浴びる。聴衆はメーン・プログラムのことはすっかり忘れてしまう。そんなことには耐えられない」(文章は引用者が一部加工しています)




リサイタルのアンコールは派手な曲であることが多いのは確かです。彼の解決策は、アンコールを拒否するか、小品ではなく別のソナタ(大曲)を全曲弾くか、だと言います。「ソナタ全曲なら、プログラムにもう1曲付け加えるだけですから」。
 
これには賛否ありそうです。20分以上にも及ぶソナタ全楽章を用意しているのなら、初めからプログラムで予告した方が、聴く側も心構えができていいのでは、と私なら思いますが。


ポピュラー系では、延々と拍手をさせておいて、みごとに着替えをして登場する例もあります。アンコールも含めた舞台設計かもしれませんが、あまのじゃくの私は、ちょっとやりすぎでは、と思ってしまいます。
 

昨年のスタイリスティックスの公演(ZEPP札幌)が思い出されます。「これでもうおしまい」とばかり退場したメンバーが、拍手がやまないためにハプニングであるかのように着替えの途中のいでたちで戻ってきて歌ってくれたのでした。
出演者への親しみや「お得感」を感じました。これが演出だとしたら、心にくいばかりです。

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※写真はイメージです。