昨年は作曲家・武満徹さんの没後20年でした。日本の生んだ20世紀の大作曲家の一人です。各地で記念のコンサートが開かれました。
命日の2月20日を前に、あらためて武満さんをしのびたいと思います。きっかけは、やはり没後20年を記念して出版された立花隆さん著「武満徹・音楽創造への旅」(文芸春秋)に遅まきながら圧倒されたことです。
2段組み780ページの大部に、武満さん本人はもちろん、彼を取り巻く国内外の音楽事情がぎっしりと詰まっています。
クラシック音楽界は爛熟の後期ロマン派の後、とても難しい時代を迎えます。
いわるゆ「現代音楽」は、新しい表現手段を求めて聴衆に挑戦するかのような「楽しくない音響」に入り込んでいきます。
武満さんもそうした「実験」の影響を受けています。しかし、生み出された作品はそれらとはまったく違った印象を与えます。
その特徴を、知識も経験も足りないことを自覚した上でぼくなりに表現すれば、「漂うグラデュエーション」ではないか、と思うのです。
煙が大気中をたなびくような、あるいは水のなかの絵の具がゆらゆらと広がり混じり合い、どこまでも延びてゆくような…。
彼の音楽に東洋的自然観を見るのもそんな特徴ゆえでしょう。
立花さんの本から最後に印象的な言葉を引用します。
武満さんは「僕は小さい音が好き」と強調しているのです。「大きい音の大きさは有限だけど、小さい音の小ささは無限のグレードがある」「大きい音にはみんなあんまり注意を払わないけど、小さい音だと、みんな耳をそばだてて音を聴き出そうとする」と。
彼はギターを愛し、優れた作品を遺しました。ギターはまさに小さな音に耳を傾けてもらう楽器です。この楽器には実は、ぼくも思い入れがあるので気に入った一節なのです。
写真は立花隆「武満徹・音楽創造への旅」
ギターを抱える筆者。カバー写真は実はこうなっていました