ドッカンドッカン

落語や漫才などお笑い系の世界で、大いに受けるさまを「ドッカンドッカン」と表現するのをご存知の人も多いでしょう。


「ドッカンドッカン笑いを取る」

「ドッカンドッカン受けた」


などと使います。落語の本や落語家のインタビューなどでもよく出てきます。



5月17日道新ホールで開いた道新寄席「春風亭昇太独演会」も、まさにドッカンドッカン笑いの渦でした。


それにしても、なぜ「ドッカン」という言葉を使うのか。いろいろ調べましたが、よくわかりません。

昭和50年代の漫才ブームでのB&B(島田洋七、洋八)で、洋七が当時の客の反応をこのように表現していたという分析がネットに載っていました。
何となく大阪より西から出たような感じはしますね。

会場が一斉に笑いに包まれる。しかも、瞬間的に爆風のように、それも立て続けに次から次へと。これは客席でよりも舞台上の演者の方が身をもって感じるのかもしれません。

爆発音(擬音語)、とても大きい、とても重い(擬態語)―。そんなときに「ドカン」「ドカッと」「ドカドカ」という言葉を使います。
そのいずれでもない「ドッカンドッカン」。言われてみれば、爆笑に次ぐ爆笑を表現するのにぴったりの言葉のようです。

さて、東京・大阪の落語界でもその存在が評価されている「道新寄席」。今年も多彩な顔ぶれでお届けしています。その年間スケジュールと落語豆知識を収めた小冊子ができました。ご希望の方は道新プレイガイドまでどうぞ。

ドッカンドッカン2


写真は道新寄席年間スケジュールの小冊子

別れの音楽

連休にはふさわしくない話題ですが、残念なことに、葬儀に出る機会が多くなりました。
音楽好きとしては、式場に流れる音楽が気になります。式場や葬儀社に任せると、オルゴールなどで邪魔にならない曲が使われるようです。

先日は、エルガーの「威風堂々」が壮麗に鳴り響く式に出させていただきました。意外ではありましたが、おそらく故人のお気に入りだったのでしょう。人柄がしのばれて効果的でした。
そういえば、カラオケ好きだった故人の遺言か、演歌が流れる式もありました。

クラシックだと、ベートーベンの第3交響曲(英雄)の第2楽章、ショパンのピアノソナタ第2番の第3楽章は文字通り葬送行進曲で、代表的な葬送の音楽です。モーツァルトやフォーレの「レクイエム」という手もあります。

暗く沈み込むような音楽は、会葬者にもぐっと迫ります。それでも、葬儀という儀式に先立って使うには重すぎると感じる参列者もいるかもしれません。

静かで心を落ち着けて故人をしのべる音楽、故人のやすらかな旅立ちを思わせる音楽が理想であるに違いありません。バッハやヘンデルのゆっくりした曲を選べば、ほぼ間違いなく目的にかないそうです。



ワーグナーが大好きな私は、「ジークフリート牧歌」がいいかな、と今のところ思っています。



興味のある方はYou Tubeでいくつも演奏を見ることができますので、どうぞ。

壮大な音楽で知られるワーグナーですが、この曲は妻コージマ(作曲家で大ピアニストだったリストの娘)の誕生日のために作曲しました。前年には息子ジークフリートが生まれています。葬送とは対極の目的で作曲されたのですが、穏やかで慰めも感じられ、「あり」でしょう。世界中でこれを葬儀に使う人は皆無かもしれませんが。

この曲の主要な旋律は、ワーグナーの楽劇「ジークフリート」(つまりワーグナーは息子に自作楽劇の英雄の名前を付けたのです)第3幕でも使われます。葬送つながりで言うと、「ジークフリート」の続編の楽劇「神々の黄昏」で英雄ジークフリートは殺されてしまい、その場面には有名な「ジークフリートの葬送行進曲」が流れます。

これこそ葬送音楽というべき、荘重で壮大な名曲ですが、自分の葬儀に英雄の葬送曲を流すのはさすがに気恥ずかしく、考慮の余地はありません。

アンコール

演奏会でのアンコールは、聴き手の楽しみのひとつです。拍手をしながら、曲目を予想して待つ人は多いのではないでしょうか。


先日、札幌コンサートホールkitaraで開かれたトヨタマスタープレイヤーズ・ウィーンは、ベートーベンやモーツァルトなど王道のプログラムのあと、J.シュトラウス2世のワルツ「美しく青きドナウ」で締めました。定番中の定番の名演に、聴衆のみなさんはすっかり満足のご様子でした。


ただ、アンコールの選曲は誰にとってもこんな幸福なものであるとは限らないようです。同じクラシックの世界ですが、ロシア(旧ソ連)出身のピアニスト、ヴァレリー・アファナシエフの言葉が面白い。彼は極端に遅いテンポで弾いたり、小説を発表したりと、奇才ぶりで知られる巨匠のひとりですが、「ピアニストは語る」(講談社現代新書)でこう語っているのです。




「6曲も7曲もアンコールを弾いてブラボーを浴びる。聴衆はメーン・プログラムのことはすっかり忘れてしまう。そんなことには耐えられない」(文章は引用者が一部加工しています)




リサイタルのアンコールは派手な曲であることが多いのは確かです。彼の解決策は、アンコールを拒否するか、小品ではなく別のソナタ(大曲)を全曲弾くか、だと言います。「ソナタ全曲なら、プログラムにもう1曲付け加えるだけですから」。
 
これには賛否ありそうです。20分以上にも及ぶソナタ全楽章を用意しているのなら、初めからプログラムで予告した方が、聴く側も心構えができていいのでは、と私なら思いますが。


ポピュラー系では、延々と拍手をさせておいて、みごとに着替えをして登場する例もあります。アンコールも含めた舞台設計かもしれませんが、あまのじゃくの私は、ちょっとやりすぎでは、と思ってしまいます。
 

昨年のスタイリスティックスの公演(ZEPP札幌)が思い出されます。「これでもうおしまい」とばかり退場したメンバーが、拍手がやまないためにハプニングであるかのように着替えの途中のいでたちで戻ってきて歌ってくれたのでした。
出演者への親しみや「お得感」を感じました。これが演出だとしたら、心にくいばかりです。

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※写真はイメージです。
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